第七十八話『勝利への確信』
静寂が戻る。
メストルの指輪が砕けたことで、奴が持っていた『懐中時計』がカラン、と床に転がった。光は失われ、また元の冷たい鉄クズに戻っている。
「はぁ、はぁ……、やった、のか……?」
ギルが肩で息をしながら、デジタルマスクを外す。
オレはすぐに振り返った。
そこには、うなじのクリスタルを半分砕かれ、糸の切れた人形のようにその場にへたり込んでいるリンコの姿があった。
「リンコ……!」
オレは駆け寄り、彼女の肩を掴む。
だが、リンコの瞳はまだ濁ったままだ。うなじに残ったクリスタルの破片が、なおも『チチチ……』と不快なノイズを立てて微弱に発信を続けている。メルトダウンしたピラミッドの残響キャッシュが、まだ彼女の脳を縛っているんだ。
「ごめん──リンコ」
オレはクリスタルの残りの破片を抜くために、バールを使ってリンコのうなじに突き立てた。リンコの身体に傷をつけないように、慎重に抜く。
それに成功してほっと胸をなでおろし、オレはバールを使ってリンコのうなじのポートへアクセスする。
そしてリンコの思考ログや、プロテクトをこの前のように確認する。
「な──王宮の中枢を落としても、SSS級のプロテクトが剝がれないだと……!?!?」
オレはリンコの頭に手を当て、デジタルマスクのハッキングログを走らせるが、画面に表示されるのは無慈悲な『ACCESS DENIED(アクセス拒否)』の赤文字だけだった。
その時、地下の壁が大きくズズズ……と鳴動した。
ピラミッドが死に、メストルが倒れたことで、この地下空間全体の構造維持(重力制御)が完全に限界を迎えている。上からパラパラと、巨大な岩石が落ちてき始めた。
「レン! ここも長くは持たねえぞ! 崩落が始まる!」
ギルが叫ぶ。
「……地上だ」
オレはリンコを背中に背負い、床に落ちた懐中時計を、再度、リンコの首元にかけてやる。大切なものだ。お前を守ってくれるかもしれねえ。
「ここにいてもプロテクトは割れねえ。奴も死んだ。みんな、地上に出るぞ! このクソみたいな地下から、這い上がるんだ!」
オレのその言葉を、地の底から這い上がるような悍ましい声が遮った。
「──誰が、死んだだと?」
ズズズズズッ……!!
亀裂の奥底、漆黒の深淵から、不気味な赤黒い光が漏れ出し、空間の重力が再び異様に歪み始めた。
「嘘だろ……あの高さから落ちて、まだ生きてやがるのか!?」
ギルが声を荒らげる。
オレたちは崩れゆく足元を踏み留まりながら、亀裂の下を覗き込んだ。
「ハァ……ハァ……アァァァァァッ!!」
赤黒い光を纏いながら、メストルがゆっくりと浮かび上がってくる。
奴の姿は、もはや王の威厳など欠片も残っていない異形のバケモノだった。砕けた指輪の代わりに、動力炉の奥底に眠っていた『純度100%のクリスタル原石』を自らの腕や胸に直接突き刺し、その莫大なエネルギーを強制的に吸い上げて反重力場を形成しているのだ。
顔面の半分は先ほどのバールの一撃で陥没し、紫色の血がボトボトと滴り落ちている。だが、その残った片目は、狂気に満ちた血走った眼光でオレたちを睨みつけていた。
「私が……この私が、アトランティスの神たる私が!! 貴様らのような泥に塗れた下等生物に敗北するなど、あってはならないのだァァッ!!」
メストルが咆哮すると同時に、突き刺さったクリスタルが脈打ち、周囲の岩盤がボロボロと重力に引かれて宙に浮き上がる。
「ヤバいですよ、レンさん! あいつ、地下の構造を維持していたクリスタルの基盤エネルギーごと、自分の反重力に変換しています! このままじゃ、地下どころか王宮全体が一気に崩落します!」
クリスタが叫ぶ。
「チッ、往生際がクソ悪いトカゲ野郎が……!」
オレは背中のリンコを落とさないように庇いながら、再びバールを構え直した。だが、ギルのテスラコードも、クリスタの龍のOSも、さっきの全力攻撃で底を突きかけている。
「逃がさん……逃がさんぞ、ハッカーども……! その時計も、猟犬も、お前たちの命も、すべて私の重力の底で押し潰してやる!!」
メストルが両腕を振り上げると、宙に浮いた無数の巨大な瓦礫が、まるで流星群のようにオレたち目掛けて殺到してきた。
「ギル! セネカ! クリスタ! 迎撃しながら上へ走れ! あんなゾンビ野郎に構ってる暇はねえ、何が何でも地上へ抜けるぞ!!」
「上等だ! あの執念深さ、マジでストーカーの素質あるなアイツ!」
「はわわわ! 龍のOSがもう使えないですぅぅ」
「リンコ様をお守りするためー!!!!」
オレたちは迫り来る瓦礫をバールとテスラコードの残滓で弾き飛ばしながら、崩壊する螺旋階段を駆け上がり始めた。
背後からは、地の底から這い上がるメストルの狂った哄笑と、空間そのものが削り取られるような重力崩壊の轟音が、どこまでも追いかけてくる──。
螺旋階段は、もはや本来の形を保っていなかった。
メストルが下から引き連れてくる異常な重力場のせいで、石造りの階段が飴細工のようにねじ曲がり、足場が次々と空中に浮遊しては崩れ落ちていく。
「ハァッ……ハァッ……!」
オレは背中のリンコがずり落ちないよう、左腕でしっかりと彼女の太ももを抱え込み右手一本でバールを握りしめながら無我夢中で駆け上がった。
肺が焼け付くように痛い。右腕はさっきリンコに踏みつけられたダメージが残っていて、激痛が骨髄を突き刺してくる。だが、足を止めたら終わりだ。
「逃げられると思うなァァッ! 私と一つになれ! アトランティスの礎となれェェッ!」
遥か下方から、メストルの怨嗟の声が重力波に乗って押し寄せてくる。
奴は、ただ浮上してきているだけじゃない。周囲の壁や床を重力で削り取り、それを巨大な岩の塊へと圧縮しては、砲弾のように上空のオレたちへと放ち続けていた。
「チィィッ! しつこいんだよテメェは!」
最後尾を走るギルが、テスラコードの残滓を振り絞って電撃の網を展開し、飛来する瓦礫を空中で爆破する。だが、その光はあきらかに弱々しい。
「ギル、右からなんかデカいの来てる!」
セネカが叫びながら、ネコ科特有の跳躍力で飛び蹴りを放ち、瓦礫の軌道を強引に逸らす。だが、着地の衝撃で彼女の足元の階段が大きくひび割れた。
「きゃあっ!?」
「セネカさん!」
クリスタが咄嗟にセネカの腕を掴み、崩れる足場から引き上げる。三人とも、限界はとうに超えていた。
「クソッ、このままじゃジリ貧だ……!」
オレが舌打ちした、その瞬間だった。
「──ならば、道ごと消し飛ばしてやろう」
ゾクッと、背筋に悪寒が走った。
見下ろすと、深淵を昇ってくるメストルの両腕の間に、これまでとは比較にならないほど高密度に圧縮された『黒い重力球』が形成されていた。光すらも歪んで吸い込まれていくような、局所的なブラックホール。
「マズい……! 全員、壁際に寄れッ!!」
オレの警告と同時だった。
メストルがその黒い球体を、オレたちのいる螺旋階段の中心空洞へ向けて解き放った。
ズゴォォォォォォォォォンッ!!!!!
轟音というより、世界そのものが破裂したような衝撃波だった。
黒い球体が階段の中腹で弾けた瞬間、すさまじい重力異常が発生した。重力が上下左右に乱高下し、王宮の分厚い壁が紙屑のように引き裂かれ、オレたちの足場であった螺旋階段が数十メートルにわたって完全に消滅した。
「うおぉぉぉぉっ!?」
オレの身体が、足場を失って空中に放り出される。
「レンッ!!」
辛うじて崩壊を免れた上層の縁にしがみついていたギルが、オレに向けて手を伸ばした。
だが、届かない。距離が開きすぎている。
「ギル!」
オレは空中で体勢を立て直そうとするが、背中にリンコを背負っているせいでバランスが取れない。このままじゃ、メストルのいる深淵まで真っ逆さまに落下してしまう。
眼下では、重力崩壊によって地下の岩盤が大きく裂け、斜めに傾いた巨大な排気ダクトのような空洞がポッカリと口を開けていた。
咄嗟の判断だった。
「オレにかまうな! お前らはそのまま上へ抜けろ!」
「バカ野郎、何言って──」
「オレはリンコと別のルートを探す! 地上で合流だ! 絶対死ぬなよッ!」
オレは右手のバールを壁面に突き立て、落下軌道を強引にズラした。
ガガガガガガッ!!と、バールが石壁を削りながら火花を散らす。摩擦で腕が千切れそうになるが、それでも歯を食いしばって耐え、開いた排気ダクトの暗闇へ向けて体を投げ出した。
「レンさぁぁぁん!!」
「レンッッッ!!」
セネカとクリスタの悲痛な叫び声が、崩壊の轟音に掻き消されて遠ざかっていく。
ギルが何かを叫び返していたが、もう聞き取ることはできなかった。
直後、オレとリンコは滑り台のような巨大なダクトの中へと吸い込まれた。
猛烈な勢いで斜面を滑り落ちていく。上下の感覚すら曖昧になるような暗黒の中、オレは背中のリンコだけは絶対に守り抜くように、彼女を庇うように抱き抱えながら転がった。
「ぐっ、がはっ……!」
何度も壁や床に全身を打ち付ける。デジタルマスクのシールドが削れ、視界にエラーコードが明滅する。
やがて、ダクトの傾斜が緩やかになり、オレたちはドサリと冷たい金属の床へと放り出された。
「……ッ、はぁ、はぁ……」
全身の痛みに顔を歪めながら、オレはどうにか身を起こす。
周囲は完全に静まり返っていた。さっきまでの、メストルとの死闘や崩落の轟音が嘘のように、不気味なほどの静寂が支配している。
デジタルマスクのライトを再起動させると、そこはどうやら王宮の地下深くに取り残された、旧時代のメンテナンス・ブロックのようだった。錆びついたパイプが無数に這い回り、分厚い隔壁で完全に閉ざされた空間。
ギルたちの声も、メストルの狂気も、ここまでは届いてこない。
完全に分断された。
「リンコ……! リンコ、無事か!?」
オレは慌てて、腕の中に抱え込んでいた少女の顔を覗き込んだ。
リンコは目を閉じたまま、静かに息をしている。ダクトを転がり落ちたときの傷はない。首元にかけ直してやった『懐中時計』も無事だ。
だが、彼女のうなじにはさっきのクリスタルの影響か微弱な光を放っている。
「……クソが」
オレは冷たい壁に背中を預け、ズルズルと座り込んだ。
痛む右腕を押さえ、バールを傍らに置く。
上層がどうなっているかは分からない。ギルたちは無事に逃げ延びたはずだと信じるしかない。オレが今やるべきことは、どうにかしてこの閉鎖空間から脱出するルートを見つけ出し、リンコを連れて地上へ出ることだ。
静かすぎる空間に、リンコの規則正しい寝息と、オレ自身の荒い呼吸音だけが響く。
「……二人きりになっちまったな、リンコ」
オレは泥と血で汚れた手で、リンコの頬にそっと触れた。
「起きたら、全部終わってるようにしてやるからな。……もう少しだけ、待ってろ」
オレはデジタルマスクのコンソールを開き、この旧式エリアのネットワークの残骸に、ハッキングのコードを流し込み始めた。
王宮の中枢が死んでも、物理的な構造図のキャッシュくらいは残っているはずだ。地上へ続く最短ルートの換気口でも、エレベーターシャフトの残骸でもいい。とにかくここを抜ける道を見つけ──。
ギィィィィィィンッ……!!
その時、背後の分厚い金属の隔壁が、突如として悍ましい金属疲労の音を立てた。
「……ッ!?」
オレは弾かれたように振り返り、バールを構え直す。
厚さ数十センチはあるはずのチタン合金の扉が、まるで見えない巨人の手で捻り潰されるように、内側からボコボコと異様にひしゃげていく。
ズン……ズン……と、扉の向こうから地響きのような足音が近づいてくる。
ドガァァァァァァンッ!!
ついに限界を迎えた隔壁が、紙切れのように吹き飛んだ。
もうもうと舞い上がる土煙と錆の粉の中、赤黒い重力波を纏った異形が、ズルリ、と足を踏み入れた。
「みぃぃぃ……つけたぞぉぉぉ……ハッカーァァッ……!!」
顔の半分を陥没させ、紫色の血をダラダラと垂れ流しながら、身体中に純度100%のクリスタル原石を突き刺したメストルだった。
奴の眼球はもはや理性を失い、ただ純粋な執着と殺意だけでオレと、そしてリンコの胸元にある懐中時計をギョロギョロと見据えている。
「テメェ……ストーカーってレベルじゃねえぞ、マジで」
オレはリンコを背中に庇いながら、ジリッと後ずさった。
最悪だ。ギルのテスラコードも、クリスタのアンチ・エーテルもない。セネカの死角からの援護もない。頼れるのは、右腕の激痛に耐えながら握りしめているバール一本だけ。
「返せ……それは、私のものだ……! この宇宙のシステムは、私だけが手にする権利があるゥゥッ!!」
メストルが血まみれの腕を振り上げると、周囲に張り巡らされていた旧式の太い鉄パイプが、重力に引きちぎられて宙に浮き上がった。
奴が腕を振り下ろす。数トンはある鉄の塊が、砲弾の速度でオレたち目掛けて殺到する。
「チィィッ!!」
オレはリンコを抱えたまま横に跳んだ。
先ほどまでオレたちがいた床が、鉄パイプの直撃を受けて爆発したように砕け散る。
休む間もない。第二、第三の瓦礫が連続して飛んでくる。
「オラァッ!!」
オレはバールにプラズマの刃を展開し、迫り来る鉄骨を空中で両断する。だが、ただ斬っただけでは重力のベクトルは完全に殺しきれない。斬り裂かれた鉄骨の破片が散弾のようにオレの身体を掠め、肩や頬を浅く切り裂いていく。
「ちょこまかとォォッ! 虫ケラがァァッ!」
メストルが苛立ち任せに空間を圧縮する。
ギリッ、とオレの全身に不可視の重しが乗しかかった。膝がガクンと折れそうになる。
だが、オレは歯を食いしばって床を蹴り、逆にメストルの懐へと突進した。
「泥まみれの虫ケラに、足元すくわれた気分はどうだァ!!」
バールを逆手に持ち替え、下からカチ上げるようにメストルの胸元のクリスタルを狙う。
「遅いッ!」
メストルが反重力の壁を正面に展開する。バールのプラズマ刃が重力の壁に激突し、火花と衝撃波が撒き散らされる。分厚いゴムの壁を全力で殴っているような感覚。バールが弾き返されそうになるのを、右腕の痛みを無視して左手でリンコが背中から落ちないように支え無理やり押し込む。
「オォォォォラァァッ!!」
強引な出力で重力の壁を焼き切り、バールの先端がメストルの肩口を掠めた。
「グガァッ!?」
メストルが怯む。その隙にオレは奴の顔面に蹴りを見舞おうとするが、奴の身体に刺さったクリスタルが明滅し、オレの身体をトランポリンのように弾き飛ばした。
「がはっ……!」
正面から壁に叩きつけられ、肺の中の空気が全部吐き出される。
「レン……っ」
背中から落ちたリンコが微かに身じろぎした。目を覚ましかけているのか? いや、まだだ。この激しい戦闘の衝撃でうなじのポートに負荷がかかっている。
「大丈夫だ、リンコ。寝てろ」
「どこを見ているッ!!」
メストルが怒り狂い、その巨体で直接突進してきた。重力で加速したその質量は、もはやダンプカーだ。
オレは間一髪でリンコを抱き抱え、横に転がって躱す。メストルがオレのいた壁に激突し、分厚いコンクリートが粉々に砕け散る。
泥臭い。全くスマートじゃない。スマートなハッキングなんて、今のこの状況じゃクソの役にも立たねえ。
メストルが壁から腕を引き抜き、振り返りざまに裏拳を放つ。
オレはリンコを庇いながらバールの柄でそれを受け止めるが、重力が乗った一撃はオレの両腕を容易く弾き飛ばし、そのままオレの横っ腹に重い一撃をクリーンヒットさせた。
「ゴッ……ォ……!」
肋骨が二、三本イッた感覚があった。口から血の塊を吐き出しながら、床を転がる。
「ハ、ハハハ……! 脆い、脆いぞ人間! 貴様らのような下等な肉体が、アトランティスの神に勝てる道理など初めから存在しないのだ!!」
メストルがゆっくりと歩み寄ってくる。
視界が明滅する。デジタルマスクの警告音がうるさい。
だが、オレはバールを杖代わりにして、地面に優しくリンコを置いて立ち上がった。
「……神、ね」
口の中の血をペッと吐き捨てる。
「この懐中時計の『設計者』に勝てなかったお前が神なんて笑わせる」
「貴様ァァァァッ!!!」
メストルの逆鱗に触れた。奴の全身のクリスタルが暴走するように赤く光り輝く。
「殺す! その口ごとすり潰してやるゥゥッ!!」
周囲の瓦礫という瓦礫が、すべてオレたち目掛けて収束し始める。
オレはニヤリと笑った。
怒りで視野が狭くなってるぜ、トカゲ野郎。
オレは奴を煽りながら、ずっと背後にあった『あるもの』の位置を計算していた。旧時代のメンテナンス・ブロック。頭上には、ボロボロに錆びついた極太の『高圧冷却パイプ』が走っている。
「頭冷やせや!!」
オレはメストルに向けてではなく、頭上のパイプのジョイント部分に向けて、バールから最大出力のプラズマを投射した。
ドシュゥゥゥゥンッ!!
ジョイントが溶解し、内部に何万年も封入されていた超高圧の冷却ガスと蒸気が、爆発的な勢いでメストルの頭上から噴出した。
「な、グォォォッ!? 見えんッ!!」
マイナス数十度の絶対零度に近い冷却ガスが、メストルの身体に刺さった熱を持つクリスタルと急激な温度差を引き起こし、辺り一面を真っ白な蒸気で覆い尽くす。
重力のコントロールが一瞬ブレた。
「ここだァッ!!」
オレは白煙を切り裂いて声を上げる。
狙うのはただ一点。奴の胸のど真ん中に突き刺さった、一番巨大なクリスタルの原石。
右腕の痛みを左腕で強引にカバーし、全身の体重と、オレの意地のすべてをバールに乗せて突き出す。
ガキンッ!!!
バールの先端が、メストルの胸のクリスタルに激突した。
「ハァァァァァァッ!!!」
オレは叫びながら、さらに押し込む。クリスタルの表面にピキッとヒビが入る。
「下郎がァァァァッ!!!」
メストルが白煙の中で咆哮し、オレの首をその太い腕でガシッと掴み上げた。
「ガッ……!」
「終わりだ! 貴様のそのバールごと、消し飛べェェッ!!」
奴の手に重力が集束していく。首の骨がミシミシと鳴り、意識が遠のきかける。
だが、オレはバールから手を離さない。
後ろにリンコの気配がする。彼女の胸元で、懐中時計が微かにカチリと音を立てた気がした。
「……終わ、ら……ねえ、よ……!」
オレは血走った目でメストルを睨み返し、さらにバールを深く、深くねじ込もうと死力を尽くした。
ギリギリの死闘。お互いの命を削り合う泥沼の底で、オレたちはまだ、終わるわけにはいかない。
「砕けろォォォッ!!」
オレは折れた肋骨の痛みも、削り取られそうになる首の激痛もすべて無視して、バールを握る両手に残る命のすべてを注ぎ込んだ。
ピキッ……ピキキキキキッ!!
超高圧の冷却ガスで急激に凍結していくクリスタルの表面と、内部から突き立てられるバールの超高熱プラズマ。相反する極端なエネルギーの干渉に、純度100%の結晶が悲鳴を上げる。
「ガ、アアアッ……!? バ、カな……! 私の、神の力が……暴走、する……ッ!?」
オレの首を絞め上げていたメストルの太い腕から、フッと力が抜けた。奴の陥没した顔面に、これまで浮かべたことのない明確な『恐怖』が張り付く。
内包された膨大な重力エネルギーが、行き場を失ってメストルの肉体を内側からミシミシと軋ませ始めたのだ。
「離せッ! 離れろ、下等生物ゥゥッ!!」
メストルがオレを力任せに引き剥がそうとするが、オレは意地でもバールから手を離さない。いや、もはやバールそのものがクリスタルのエネルギーと融合し、引力のように吸い付いて離れないのだ。
「これで、テメェの玉座も……終わりだ……ッ!!」
オレは最期の力を振り絞り、プラズマの出力を限界点まで引き上げた。
パキィィィィィンッ!!!
メストルの胸の奥深くで、アトランティスを支え続けた巨大な原石が、完全に砕け散る音が響いた。
その瞬間、奴の身体のひび割れから、ドス黒い重力の閃光が漏れ出し──時間が、ほんの一瞬だけ止まったように錯覚した。
「オレたちもろとも、ブッ飛べえええええ!!」
直後──鼓膜を破るような轟音と共に、臨界点を超えたクリスタルが大爆発を起こした。
ドゴォォォォォォォォォォォンッ!!!
それは炎の爆発ではない。メストルが体内に何万年も圧縮し続けていた莫大な『反重力』のエネルギーが、強烈な上昇気流となって真上へと一気に解放されたのだ。
「ぐぁあああああっ!?」
すさまじい爆風がオレとリンコを巻き込み、砲弾のような速度で上空へと吹き飛ばす。
地下深くのメンテナンス・ブロックの天井が、紙屑のように吹き飛び、オレたちの身体は無重力のトンネルを急上昇していく。
王宮の分厚い地盤を、暴走した重力波が次々と抉り開け、凄まじい速度で階層をぶち抜いていく。瓦礫が滝のように逆流し、周囲の空間がぐにゃぐにゃに歪む。
リンコが風で飛ばされそうになったが、オレはその手を掴み、自分の元へと引き寄せる。
オレはその圧倒的な暴力の中で、ただリンコを両腕で抱きしめ、彼女だけは絶対に守るように身体を丸めることしかできなかった。
(頼む……ッ! 抜けろォォォッ!!)
ガツン、ゴツンと、無数の岩の破片がデジタルマスクのシールドを打ち据える。視界のインターフェースが次々と真っ赤なエラーを吐き出し、機能停止していく。
どれほど上昇しただろうか。永遠にも思える数秒ののち、オレたちの頭上を覆っていた最後の分厚い岩盤が、重力の奔流によって木っ端微塵に砕け散った。
夏なのに強風の影響か、冷たい空気が一気に肺に流れ込んでくる。
(……地上、だ……)
吹き飛んだ岩盤と共に、オレとリンコの身体は宙空へと大きく放り出された。
眼下で、アトランティスの王宮が重力崩壊を起こし、ズズズ……と音を立てて崩れ落ちていくのが微かに見えた。
だが、それを最後まで見届ける余裕はなかった。放物線を描いて落下していく中で、全身を打ち付ける激痛と疲労が限界を超える。オレの意識はうつろな状態で、外の空気を感じリンコを支えることしかできなかった。




