第七十七話『メストルの思惑』
メストルは、リンコに向かって言う。
「おい──お前が持っているレプリカの懐中時計の動かし方を吐け。そして本物の懐中時計がある場所を教えろ」
オレは奴のクソくだらねえ野望を無視し、攻撃を仕掛ける。
「おい。よそ見してる暇ねえぞ。トカゲ野郎」
オレがバールを一振りすると、いつものように超高密度のプラズマの一線が、地割れを起こしながらメストルの胴体を狙う。だが、寸前のところで、メストルのクソ野郎が、リンコを盾にし、直撃を回避しようとしてくる。オレはバールを持つ手の方向をズラし、その軌道を変更する。
「……っぶねえ」
壁に直撃したプラズマが、分厚いコンクリートをドロドロに溶解させる。もし軌道を逸らすのがコンマ一秒でも遅れていれば、リンコの身体は半分消し飛んでいただろう。
「ハハハハハッ! 素晴らしい! 見事な反射神経だ、レン! だが、それがお前たちの限界だ!」
メストルはリンコの背後に完全に身を隠し、狂ったように高笑いした。
「この女に傷ひとつ付けられないお前たちが、どうやって私を止める? 王宮のエネルギーが無くとも、まだ私のクリスタルがある。この空間の重力場を作る程度のな。……さあ、猟犬よ! 奴らをミンチにしてしまえ!」
リンコが一歩前へ踏み出す。彼女の周囲の空気が歪み、目に見えるほどの重力波がギルたちへと襲いかかろうとした、その時だった。
「……なぁ、メストル」
オレはバールをだらりと下げ、あえて隙だらけの姿勢で口を開いた。デジタルマスクの出力をいじり、オレの『声』に、ある特殊な周波数の重低音を乗せる。
「お前、本当に『リンコ』を盾にしていいのか?」
「……何?」
「十人王の中でお前だけがリンコの処分に反対した。リンコに傷一つつけられないのは、お前も一緒なんだろう? 盾にするフリとかバレバレだから。さっきのは──」
そう、危なかったのではない。軌道はズラしたけれど、掠っていただけ。しかしそれは父親が我が子を守るためではなく、何か大事なデータを守るような『リンコが何かの遺産』であるような振る舞いだ。
オレはバールで、テスラコードの出力をギルから極限まで引き出し、空間全体に『四つ打ちの重低音』を共鳴させた。あの日のエーテルディスコで、鳴らした音だ──
ズン……、ズン……、ズン……! ただの音じゃない。宇宙の重力関数に限りなく近づけた、オレのハッキングコードだ。
その瞬間だった。
リンコの胸元で、冷たく沈黙していたはずの『懐中時計』が、音の波長と同期するように、光り始めた。
そう──あの時、エーテルディスコで見たときと同じだ。
「な……ッ!?」
メストルの顔から、余裕の笑みが完全に剥げ落ちた。
「馬鹿な……!? 王宮の最高出力でもピクリともしなかったただの鉄クズが……なぜ??? 貴様の鳴らす音で光っているだと!?」
ビンゴだ。だが、一体なぜコイツがこんなにも懐中時計に固執するかは分からない。
メストルは必死にリンコから懐中時計を引き剥がそうとする。
「何故だ? 王宮のエネルギーがブラックアウトした今、なぜ、この懐中時計が光る?」
メストルはリンコから引き剥がした『懐中時計』を、奇妙な物体でも見るような目で何度も何度も触れたり、揺らしたりする。
「お前らが、王宮のフリーエネルギーに依存している間──オレたちは本物のフリーエネルギーを研究してたんだよ。メストル──お前、十人王の一人なのに、何にも知らねえんじゃないのか?」
「フリーエネルギー。ふ──そんな世迷言を言う奴が過去にもいたな……。しかし、神の起こす奇跡の解説書など、神に対する冒涜──邪教だ──」
メストルは指に嵌めたクリスタルの指輪を、オレたちに向けてかざす。
ズ……ズ……ッズ………ズズズ……
またもや重力制御の波に揉まれる。
「グァ……ッ!?」
ミシミシと、全身の骨が悲鳴を上げる。ただ重しを乗せられたような感覚じゃない。オレたちのいる空間そのものが、不可視の万力で圧縮されていくような、次元の違う圧倒的な暴力だ。
「ハ、ハハハハ! 王宮のインフラなど今の私には必要ない。このクリスタルのみで十分だ」
メストルが光る懐中時計を持つ手を高く掲げ、指輪を嵌めたもう片方の手を指揮者のように振る。
ギルが苦悶の表情を浮かべ、テスラコードの青白い光を明滅させながら膝をついた。
「クソが……さっきよりも出力が上がってやがるぞ……ッ! レンッ!」
「龍のOSで、重力の波長を……中和、します……ッ!」
クリスタが額の光を強め、必死に妨害電波を放とうとするが、直後、彼女の目から一筋の血がツーッと流れ落ちる。
クリスタ……すまねえ……耐えろ……。
「無駄だ。私の指輪にあるクリスタルは、ピラミッドと同等の純度を持つ。今までせっせと奴隷たちや人柱のエネルギーを回収して圧縮したものだ──貴様らのチンケな妨害など、木っ端微塵にすり潰すのみ!」
「なら、アタシが……!」
セネカが、メストルの死角から跳躍する。だが、
「もうそこにいるお前の透明化は解けているぞ。貴様らが、ピラミッドを停止させたおかげでな──」
メストルが指をパチンと鳴らすと、セネカのいた重力が局所的に反転。実体化したセネカの身体が、凄まじい勢いで天井に叩きつけられ、そのまま床へと墜落した。
「ゲホッ……!」
セネカが床に倒れ伏す。
「そもそも透明化など、王宮が奴隷どもを管理するために導入したシステム。途中から貴様らと共に行動していることは気づいていた。王宮のアンドロイドやターレットと一緒にされては困る」
たった一人の王の力。これが、何万年もこの大陸を支配してきたトカゲの頂点の一人、ラスボスとしての絶望か。メドューサの時とは比べ物にならない。
「さあ、猟犬よ。まずはその生意気なハッカーの腕をへし折れ」
メストルの冷酷な命令に応じ、リンコがゆっくりと歩み寄ってくる。彼女だけは、この異常な重力場の中でも全く影響を受けていない。うなじに刺さったクリスタルが、メストルの重力波と完全に同調しているからだ。
「リンコ……ッ」
オレはバールを床に突き立て、必死に立ち上がろうとするが、重力の枷がそれを許さない。
無表情のまま近づいてきたリンコが、オレの顔面を容赦なく蹴り飛ばす。
「ガッ……!」
血の味が口の中に広がる。だが、オレは反撃できない。するわけにはいかない。
「リンコ……オレだ。目を覚ませ……っ!」
だが、リンコは無慈悲にもオレの右腕を掴み、その関節を逆方向に捻じ曲げようと無機質に力を込める。ミシッ、と嫌な音が鳴る。
「ハハハハ! 傑作だな! 王宮のエネルギーを断ち、見事私を出し抜いたと思っただろうが、結果はこれだ。貴様らは何も守れず、私の用意した猟犬に食い殺されるのだ!」
クソ……クソッ……。
視界が霞む。バールを握る握力すら奪われていく。
メドューサの時のような、電気の等電位化を利用した強引なショートハッキングは通じない。重力場は電気の波長とは根本的に違う。空間そのものを歪める力に、バール一本でどう対抗する?
必死に頭を回転させる。
フリーエネルギー、重力関数、音の波長、テスラコード……。
霞む視界の中で、オレはメストルの手元を見た。
奴が奪い取った、リンコの『懐中時計』。
オレの鳴らす四つ打ちの重低音に呼応して、未だに淡く、熱を持つように光り続けている。
……待てよ。
メストルは言った。『王宮のインフラは必要ない、自分とクリスタルだけで十分だ』と。
だが、奴は今、あの『懐中時計』を素手で持っている。
そしてその時計は、オレの放った『宇宙の重力関数に限りなく近づけたハッキングコード』を受信して光っている。
「……ッ」
血塗れの口元が、自然と歪んだ。
バカなトカゲ野郎だ。
奴は自分で気付いていない。オレの鳴らす音が、なぜあの鉄クズを光らせたのか。
あれはただの光じゃない。オレの『音』と『時計』が、通信機器のように完全にリンクしている証拠だ。
そして今、その時計を直接握りしめているのは、メストル、お前自身だ。
「ギル……」
オレは折られそうになる右腕の痛みに耐えながら、床に這いつくばったまま、重力制御で苦しむギルにデジタルマスクの内部通信で語りかけた。
『マスクのスピーカーの指向性を絞れ。オレの四つ打ちの周波数を、奴の持ってる懐中時計に一点集中させるんだ。……オレが、重力そのものを寝取ってやる』
『……チッ、最後の最後まで、心臓に悪いハッキングばっかり思いつきやがって……!』
インカム越しに、ギルの荒い心拍数と、不敵な笑い声が返ってくる。
『なんかよく分かんないけど、リンコ様がそれで助かるなら!』
床に倒れたままのセネカが、震える手で自身のデジタルマスクのブースターを最大まで回す。
『クリスタ、ギル……! アイツに、全部……!』
「──オオオオオオッ!!」
ギルが咆哮した。あいつの全身に刻まれたテスラコードが、青白い火花から、すべてを焼き尽くすような純白のプラズマへと跳ね上がる。その膨大な電気エネルギーが、セネカとクリスタのマスクを経由し、オレのデジタルマスクへと一気に逆流してきた。
視界が真っ白に染まるほどの熱量。オレの脳細胞が、テスラコードの過負荷で焼き切れそうになる。
(これだ……これだけの出力があれば、届く……!)
オレはリンコに右腕を踏みつけられたまま、血塗れの顔を上げ、メストルを睨みつけた。
「デジタルマスク、指向性音響システム──最大展開!!」
ドン!!!!!!
空間を揺るがすような、あまりにも重い四つ打ちの重低音。だが、その音波は四方に拡散しない。ギルの電気を燃料にして極限まで収束された『音のレーザー』となり、一直線にメストルの手元へ着弾した。
「な……が、あ、あァッ!?」
メストルが悲鳴を上げた。
奴の手の中にある『懐中時計』が、オレの放った重力関数のコードをまともに喰らい、単なる発光を超えて、凄まじい熱と振動を放ち始めたのだ。
「何だこれは!? 熱い……時計が、私のクリスタルのエネルギーを……吸い上げて、いる……!?」
そうさ、気づくのが遅えんだよ。
お前が指輪のクリスタルから放っている重力波は、元々は奴隷から搾取した人工的な『歪み』だ。対して、オレが音に乗せたコードは、宇宙そのものの運行に近づけた『真の重力関数』。
純度の低い偽物の重力は、本物の関数の導線に触れた瞬間、すべてそっちへ吸い込まれて相殺される。等電位化させるのは電気だけじゃねえ。お前が何万年もかけて溜め込んだ重力エネルギーごと、その懐中時計を媒介にして、オレがハックしてんだよ!
ズズ、ズ、ズン……!
空間を押し潰していた不可視の万力が、嘘のように霧散していく。
「グッ、ガハッ……! 私の、私の重力場が……消える……!?」
メストルが狼狽し、懐中時計を投げ捨てようとした。だが、強欲なお前の皮膚に、熱せられた懐中時計の金属がじりじりと焼き付いて離れない。
「リンコッ!!」
重力から解放された瞬間、オレはバールを握る左手に全神経を集中させた。
だが、リンコはまだ止まらない。うなじの独立クリスタルが禍々しく赤黒く光り、オレの右腕を完全に折り切ろうとさらに体重をかける。
「──レンさん、そこを動かないで!!」
背後から飛び出してきたのは、龍のOSを限界突破させたクリスタだ。彼女の瞳は完全に龍の縦スリットへと変わり、凄まじい速度でリンコの死角へと滑り込む。
狙うのはリンコじゃない。そのうなじに刺さる、メストルのクリスタルだ。
「ハァァァァッ!!」
クリスタの手刀が、高密度のアンチ・エーテルを纏ってリンコのうなじへと突き立てられた。
パキィィィン!!!
激しい閃光と共に、リンコのうなじのクリスタルが大きくひび割れる。
「ガ、ア……ッ」
リンコの動きが、初めてピタリと止まった。その隙を、オレが見逃すはずがない。
「っらぁぁぁぁッ!!」
オレは掴まれていた右腕を強引に引き剥がし、床に転がっていたバールを引ったくる。狙うは、重力を奪われてただのトカゲに成り下がったメストルだ。
「ひ、う、動くな! 動くというなら、この懐中時計を叩き割って──」
メストルが必死に、手に張り付いた時計をもう片方の手で壊そうとする。
「それはリンコの宝物だ! させねえよ!」
オレはプラズマの刃をあえて出さなかった。超高熱のエネルギーじゃなく、オレたちの怒りと、奪われた奴隷たちの怨念を、このバールにそのまま乗せる。
ブンッ、と空気を切り裂く音が響く。
オレは全力の踏み込みから、メストルの顎目掛けてバールを全力で振り抜いた。
「が、はっ──」
ゴッッッ!!! というエグい肉声と共に、メストルの巨体が真上へと跳ね上がる。
「ギル! セネカ! トドメだ!!」
「言われなくてもなぁッ!!」
跳ね上がったメストルの身体に、ギルが最大出力のテスラ電撃を叩き込み、空中で肉体を硬直させる。
「これで、終わりィィィ……!」
死角から現れたセネカが、メストルの胸元に向けて鋭い回し蹴りを叩き込んだ。
ドガァァァン!!!
三人の連携を喰らったメストルは、動力炉の最も深い亀裂の奥底へと、真っ逆さまに叩き落とされていく。
「おのれ……おのれぇぇぇハッカーどもがァァッ! アトランティスの神たる私が、このような地を這う虫ケラどもにィィィッ!!」
闇の底へと消えていく悲鳴。
かつてアトランティスの思想を支配した王は、自分自身の強欲と執着に足元をすくわれ、無様に最深部の底へと沈んでいった。




