第六十八話『ムネセウスへの怒り』
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──ズン、ズン、ズン、ズン……。
鼓膜の奥を直接ぶん殴ってくるテクノの重低音に合わせて、オレたちは這い上がるように進む。
この通路は、リサイクルされるキメラたちの『解体ライン』への逆流ルートだ。右側の壁に埋め込まれたぶ厚い透明パイプの中を、濁った緑色の培養液と、時折正体の分からない肉塊や毛皮の切れ端が、ゴボゴボと音を立てて下層へと吸い込まれていく。
(吸い込まれた先が、あの『メドゥーサのマザーラボ』か……)
服に染み付いた死臭と、パイプから漏れ出る薬品の匂いが、マスクの内側の狭い空間にこもる。普通なら吐き気を催すような最悪の環境。だけど、骨伝導スピーカーから脳へ直接注ぎ込まれる凶悪なベースラインが、その不快感を強引に『進むためのエネルギー』へと変換していた。
ギルが、ビートのリズムに合わせて正確に三歩進み、右側の凹みに身を隠す。その後ろをオレとクリスタが影のように追う。
「……レン、前方、天井に固定式のセキュリティガンだ。十秒周期で首を振ってる」
マスクのバイザー越しに、ギルの声が低く響く。ボイスチェンジャーで歪んだその声すら、どこかテクノのサンプリングボイスみたいに聴こえた。
見上げれば、細い通路の天井に、赤い光を放つ無機質な銃口がギラギラと光っている。
「クリスタ、いけるか」
「はい……! この曲のリズム、龍のOSのハッキングコードの『波長』と、すごく相性がいいです。いきます」
クリスタがデジタルマスクのバイザーに細い指先を触れると、彼女から放たれるエーテル波が、骨伝導のビートと綺麗にシンクロして増幅された。バイザーの鏡面に、緑色の文字列が滝のように流れ落ちる。
──チ、チチ、ジジッ。
天井のセキュリティガンの赤い光が一瞬だけ激しく明滅し、ガクンと首を垂れた。クリスタのハッキングノイズが、銃のセンサーを一瞬だけ『完全な盲目』に陥れたのだ。
「今だ、行こう!」
オレたちはビートに歩幅を合わせたまま、音もなく、だけど確実にその銃口の真下をすり抜けた。走れば足音でバレる。焦って心拍数を上げれば、マスクの周波数が狂ってジャミングが剥がれる。とにかく着実に、機械の隙間を縫うようにして、オレたちは地下のさらに奥、再生プラントの搬入口へと迫っていく。
どれほど歩いただろうか。
行く手を阻む重厚な金属製のシャッターの前に、オレたちは辿り着いた。
シャッターの横にある操作パネルには『再生プラント・第4搬入口』の文字。その奥からは、巨大なピストンが肉を押し潰すような、不気味な重低音がズシン、ズシンと響いてくる。
「ここが、再生プラントの一番下……最深部セクターへ繋がる搬入口だ」
ギルがパネルに端末を繋ぎ、コードを読み取らせる。
「ロックの解除には、王宮のメインサーバーに直接アクセスする必要がある。クリスタ、俺の端末のバイパスを維持してくれ。あと三十秒でこじ開ける」
「了解です、ギルさん。……防衛周波数、押さえ込みます!」
二人がパネルに向き合う中、オレはバールを両手で握り直し、背後の通路に目を光らせていた。
マスクの奥で、テクノの曲が最も盛り上がる『ビルドアップ(加速)』のセクションに入ろうとしている。BPMが上がり、脳内の興奮がさらに研ぎ澄まされていく。
(待ってろよ、リンコ……。今、そこまで行く)
アトランティスの王族どもが何を目論んでいようが知ったことか。古代の核戦争の歴史がどうとか、そんな大層な話は後回しだ。オレはキメラにされそうになってるアイツを救い出す。それだけだ。
ジジジジジッ、とクリスタのバイザーが激しく明滅した。
「ギルさん、急いで! 上層からの巡回アンドロイドの信号が、この通路に向かって急接近してます! 数は四!」
「分かってる、あと五秒……三、二、一。──抜いたぞ!」
ギルが叫ぶと同時に、目の前の巨大なシャッターが、ガガガガガと重苦しい音を立てて上へと跳ね上がった。
その向こう側に広がっていたのは、見上げるほど巨大な、無数の巨大シリンダーが乱立する再生プラントの心臓部。薬品の霧が立ち込める薄暗い空間の先には、最深部セクターへと続く、鉄製の不気味な螺旋階段が伸びていた。
「よし、飛び込むぞ!」
オレたちはデジタルマスクの重低音を脳髄に響かせたまま、迫り来るアンドロイドの足音を背に、リンコが囚われているアトランティスの最暗部へと、泥臭く一歩を踏み出す。
第4搬入口のシャッターを潜り抜けた瞬間、薬品の白く重い霧が、マスクのバイザーをたちまち白く曇らせた。
──ズシン、ズシン、ズシン。
上層のテクノビートとは別の、世界を押し潰すような機械の作動音が、足の裏から骨を伝って響いてくる。
見上げれば、天井に届くほどの巨大なシリンダーが、薄暗い霧の中に何本も無機質にそびえ立っていた。シリンダーの内部では、得体の知れない蛍光緑の液体が泡を立てて循環しており、何かの『影』がゆっくりと沈殿しては蠢いている。
マザーラボが地底の最深部にあるなら、ここはまさに、上層の王宮から汚物がすべて零れ落ちてくる最終処理場だ。
「……ひどい匂い」
マスクの変調音声越しに、クリスタが小さく呻いた。
バイザーがジャミングの光を放っていても、この場所に充満する狂気までは隠しきれない。
オレはバールを握り直した。
(リンコ……!)
リンコは今──ムネセウスの奴に拉致されて、どこかでキメラの材料にされかかっている。120分のタイムリミットが、オレの脳波を焦りで焼き焦がそうとしていた。
「レン、来るぞ! 完全に位置を補足された!」
ギルが背後のシャッターの向こうを睨みつけ、叫ぶ。
ガシャイン、ガシャインと、狂ったような金属音が薬品の霧を切り裂いた。
追ってきた4体の巡回アンドロイド。だが、それだけじゃない。オレたちがこの心臓部に足を踏み入れたことで、プラント内の防衛システムが完全に覚醒したのだ。
シリンダーの影から、さらに数体のアンドロイドが、赤いスキャン光線をオレたちのデジタルマスクへと照射する。
──ピピピピピピピピピピピッ!!!!!
けたたましいアラームが部屋中に鳴り響く。マスクのホログラムが激しくブレて、ただの背景の偽装が完全に剥がれ落ちた。
「もう隠れてやり過ごす段階は終わりだ! クリスタ、ギルの後ろについてろ!」
オレは脳髄に響くテクノのビルドアップが、最高潮へ達したのをハッキリと聴いた。
ドンッッッ!!!!!と、脳を破壊するような爆発的な重低音が弾ける。
「オラァァァァッッッ!!!!」
トランス状態の興奮のまま、オレは一番近いアンドロイドの顔面に、バールを全力で叩き込んだ。
硬質な装甲がパキィンと砕け散り、電子火花が霧の中に飛び散る。ギルが間髪入れずにその背後から銃弾を撃ち込み、機能停止した機体を蹴り倒した。
「レン、長引かせるな! 警報が鳴った時点で、上の解体処理の速度が上げられる可能性があるぞ!」
「分かってる!!」
ムネセウスの野郎が、侵入者に気づいてリンコの処分を早める。それだけは絶対に防がなきゃならねえ。襲いかかってくるアンドロイドの腕を、バールを盾にして受け止める。キィンと火花が散り、強烈な衝撃が両腕を痺れさせたが、オレは構わず力を込めて押し返し、そいつの首の関節をバールの先端で力ずくでコジ開けてへし折った。
クリスタはデジタルマスクのバイザーに両手の指先を押し当て、喉元を詰まらせながら叫んだ。彼女の鏡面のバイザーから、強烈な緑色のエーテル波が閃光のように吹き出し、プラントの防衛ターレットの照準システムへ直接ノイズを流し込んで狂わせている。端末なんていうメカに頼るんじゃない。彼女自身の脳波と龍のOSが、ビートに乗って直接アトランティスの超科学をハックしているのだ。
「右からもう一体来ます……! ギルさん、ハッチを開けて、下の螺旋階段へ!!」
「チッ、数が多すぎる。レン、そいつを片付けたらすぐに下へ行け!」
ギルが残りのアンドロイドの足元に発煙筒のようなジャミング弾を投げつける。強烈な閃光とノイズが霧の中に広がり、機械どもの赤い目が一瞬だけ彷徨った。
「行くぞ!!」
オレはバールを構えたまま、霧の奥に死神の鎌みたいに伸びる、鉄製の螺旋階段へと足をかけた。
一歩、階段を下るたびに、シリンダーから響く重低音が遠ざかり、代わりに下層からの不気味なシステム音が近づいてくる。
(待ってろ、リンコ。ムネセウスのクソ野郎ごと、その解体機をバールでブチ壊してやる)
デジタルマスクの脳内麻薬に背中を押されながら、オレたちは血と硝煙の匂いを纏って、リンコが囚われる最深部セクターへと、一歩ずつ確実に近づいて行く。
ガン、ガン、ガン、ガン……ッ!
鉄製の螺旋階段を一段下りるたびに、オレの靴が血と薬品の混ざった泥を撥ね上げる。
天井の清掃アンドロイドどもが発する、ジャミングの煙の向こうからの虚しい銃撃の音が、頭の真上で遠ざかっていく。代わりに、階段の吹き抜けの底──暗黒の深淵から、じっとりと肌にまとわりつくような、文字通り『死の工場の駆動音』が、テクノの重低音に混ざって這い上がってきた。
シュウウウウウウ……。
排気管から噴き出す、『薬品とキメラの脂』の嫌な匂いが、マスクのフィルターを透過して鼻腔をぶち刺す。
(最深部……マザーラボの底だ)
ギルがオレのすぐ後ろで、どこからともなく出した銃をいつでも撃てるように構えてる、階段の壁面の電子ロックを次々とハックして、オレたちの逃げ道を確保していた。そのさらに後ろでは、クリスタがデジタルマスクのバイザーを緑色に点滅させながら、息を切らしてオレたちの歩幅についてきていた。
「レン、もうすぐ最底層だ! この階段の突き当たりのハッチを抜ければ、ムネセウスがリンコを拘束しているはずの『解体室』へダイレクトに出る!」
「……タイムリミットは!?」
「あと数分もない! 清掃アンドロイドの警報で、ムネセウスの野郎が解体機の出力を最大に上げやがった! 今すぐに止めないと、リンコの肉体そのものが別のバケモノのパーツにリサイクルされるぞ!」
ギルの変調音声が、焦りで微かに歪む。
オレの頭の中で、デジタルマスクのテクノミュージックが、さらに凶悪なリフレインを刻み始めた。脳波がトランス状態の頂点を引き維持したまま、怒りで全身の血管が爆発しそうになる。
(あのクソ真面目で、一度はメストルに洗脳にされてたアイツを……今度はムネセウスのキメラの材料にするだと……?)
ふざけんじゃねえ王宮の陰謀なんて知らねえが、リンコはオレの目の前で、地下街の人間を殲滅するっていうクソみたいな現実の中で、確かに自分の意思で足掻こうとしていたはずだ。それを、王宮の十人王どもが、自分たちの都合で中身をいじくり回してゴミみたいに廃棄するなんて、絶対に許さねえ。
階段の最下層。
目の前に、禍々しい深紅の警告灯が明滅する、巨大な円形のハッチが立ち塞がった。
ハッチのガラス窓の向こうから、不気味な緑色の液体がボトボトと滴り落ちている。
「クリスタ、龍のOSでこのハッチの強制解放を叩き込め! ギルは中に入った瞬間、周りの防衛タレットを撃ち抜け!」
「了解です……! エーテル波、最大出力、いきますッ!」
クリスタがバイザーに両手を添えた瞬間、彼女の身体から放たれた強烈な緑のエーテル波が、ハッチの制御基板に直接突き刺さった。
バチチチチチチッッッ!!!!!
火花が散り、ロックが外れた瞬間、オレは両手でバールを握り直し、渾身の力でその重い鉄の扉を蹴り開けた。
「ムネセウスのクソ野郎ォォォォオオオオッッッ!!!!!!」
薬品の霧が吹き出す部屋の向こう、巨大なガラス製の解体カプセルの中で、無数の触手のようなコードに繋がれ、苦しそうに目を閉じているリンコの姿が、オレのバイザーの奥にハッキリと映り込んだ──。




