第六十六話『アンドロイドの巡回』
オレたちは排気ダクトの影で、さっきの死体の山の血を服に染み込ませ、その死臭を身に纏わせていた。
だからこそ『王族の感情』が手に取るように分かる。この廃棄処分されるキメラを解体し、リサイクルするための経路に人間がいないことを。こんな汚れ仕事は王族がやりたがらないことを。
だからここにはアンドロイドしかいない。通路にはさっきから作業用アンドロイドが淡々と往復している。戦闘能力自体は低くても、オレがバールで殴り倒した瞬間──そいつの通信回路を通じて王宮全体に『バグ発生』の警報アラームが飛んでしまう。ギルがアンドロイドの巡回パターンを読み、クリスタが龍のOSで一瞬だけアンドロイドの視覚センサーにノイズを走らせる。そのわずか数秒の隙に──ダメだ、数が多すぎる。じゃあ、死体の山と一緒に、肉塊のフリをして……。いや、呼吸と心拍数でバレる。だからこんなこともあろうかと思って用意しておいたのだ。
オレは排気ダクトの影に隠れる2人に、カバンからあるブツを取り出す。そう──
「お前これって……」
「レンさん?」
「デジタルマスクだ。クリスタは知らなかったな。これを被れば、機械の探知センサーを誤魔化せる」
「こんなこともあろうかと、あのディスコの時に使ったマスクの周波数を、王宮の作業用アンドロイドの『認識コード』に書き換えておいた。オレが奴隷やってた頃の産物だ」
「お前……バカなくせにやるじゃねえか」
「うっせ」
ギルが皮肉げに口元を歪めるが、その瞳はオレの機転に明確な信頼を寄せていた。
カバンから引き出した三つのデジタルマスクは、顔面を覆うバイザー部分が漆黒の鏡面になっており、まるでダフト・パンクのそれのような、下層街のテクノジャンク特有の無機質な無骨さがあった。
オレはそれを自分の頭にすっぽりと被り、ギルとクリスタにも手渡す。
──カチリ、と内側のスイッチを入れた。
その瞬間、マスクの内側に張り巡らされた超微細な圧電スピーカーから、ズン、ズン、ズン……と、脳の髄を直接震わせるような重低音のエーテルビートが流れ込んでくる。令和の骨伝導イヤホンを参考に作ったものだ。
(──始まった)
これだ。このデジタルマスクの本質は、ただの視覚偽装じゃない。
耳の奥をジャックする歪んだベースラインと、トランス状態へ誘う高速のテクノミュージック。鼓膜から脳のシナプスへとダイレクトに伝播するその旋律は、オレの恐怖や焦りといった余計な脳波を完全に『心地いい興奮』へと塗りつぶしていく。
死臭への嫌悪感も、迫るタイムリミットへの恐怖も、音楽の熱量に溶けて消えていく。心拍数が一定のトランスリズムと同調し、視界のノイズが晴れていく。
オレの隣でマスクを被ったギルが、ビートに合わせて小さく首を振った。クリスタも初めて体験する脳内麻薬のような高揚感に、一瞬だけあどけなく目を見張ったが、すぐにギルと同じように小さく首を振る。
「……レンさん、これ、凄いです。頭の中が、すごく熱くて……落ち着きます」
バイザーの隙間から漏れる駆動音が、彼女のエーテル波と同調してチカチカと緑色に点滅する。
オレは歪んだ変調音声のスピーカー越しに、低く告げた。
「このリズムに合わせて歩くんだ。一歩ずつ、機械の波長に自分をハメ込め。マスクから放たれるホログラムの残像が、アンドロイドのスキャナーを『ただの搬送用コンテナ』に誤認させる。ただし、ビートが乱れれば偽装が剥がれる。着実にいくぞ」
「おうよ。ディスコの時よりノリがいいじゃねえか、この曲」
ギルが不敵に笑い、ダクトの影から汚泥の回廊へと一歩を踏み出した。
通路の先から、首を奇妙に傾げた清掃用のアンドロイドが、ドロドロの培養液を積んだ台車を押してこちらへ向かってくる。距離、わずか三メートル。
アンドロイドの赤いスキャン光線が、オレたちの顔面のデジタルマスクを、そして血と死臭に塗れた服を冷徹になぞっていく。
──チチ、チチ……。
アンドロイドの網膜の中で、オレたちの姿はデジタルマスクの放つジャミングホログラムによって、ただの背景か、あるいは壁際に固定されたリサイクル用のタンクとして処理されている。
音楽のビートに合わせて、オレたちは呼吸を殺し、アンドロイドと完全にすれ違うその瞬間まで、機械の歯車になったように着実に、淡々と足を運んだ。
アンドロイドは何の疑問も抱かないまま、ガタゴトと音を立ててオレたちの背後へと通り過ぎていく。
「……抜けたな」
オレはバイザーの奥で、トランス状態の心地いい興奮を維持したまま、バールを低く構え直した。
通路の奥からは、さらに大量の汚泥培養液が循環するパイプの重低音が響いている。リンコのいる最暗部への距離は、このビートに乗って、一歩ずつ確実に縮まっていた。




