第五話『リンコの過去』
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アトランティスの夜は暗くならない。昔は夜という世界があったらしいけど、わたしは夜を見たことがなかった。たくさんのエーテルエネルギーがいつも夜空を照らす。わたしは子どもの頃、西の果てにある《トートの叡智の図書館》で幻の星を見たことを思い出した。
クリスタルをうなじの差し込み口にプラグインすると、脳がホログラムを映し出す。ホログラムの紙のページをめくる音。いつも絵本の中だけで見る星。そこにあるはずなのになかったことにされるのは、まるで自分を想起させる。
わたしにはリンコという名前がある。だけど、お父様やお母様には一度も名前で呼ばれたことがない。
「格付を上げ、王宮に貢献することが人間の価値だ。それ以外の人間には……」
「価値はございません。そうですよね? お父様」
早く大人になってお父様やお母様に認められる立派な人間にならないと。
まだ7歳。年端もいかない世間も知らない王宮のこともまだ分かってない子どもだ。だからこうして、週末はいつも父と図書館へ出向いて王族について学ぶ。
「だったらお前にはそんなくだらない絵本を読んでる時間はない」
ホログラムが映し出されている本の隙間から、父の姿がある。父はわたしのうなじに繋がるプラグを強引に引っ張って、別のプラグに差し替えた。首から脊髄の下にかけて強烈な痛みが走る。
「……っ」
泣いちゃだめだ。我慢しなくちゃ。強い女にならなきゃ。何度も、何度も、何度も、繰り返し言い聞かす。ただでさえ、わたしは父の役に立たない欠陥品。だから余計なことは考えず、今は差し替えてもらったホログラムに集中しよう。
だけど。
そう考えようとすればするほど、視界がぼんやりと熱いもので滲んでいく。だめだ。泣いちゃだめだ。
「……またか」
父は価値のないモノを見るかのような顔をする。何度もこの顔をさせている。呆れさせている。もっとわたしが期待に応えられるように強くあらないといけないのに。必死に出そうになる涙をぬぐい、もう一度、ホログラムの方に集中する。映し出されたのは、緑の丘の上にある大聖堂で、雲一つない青空だ。父の姿は視界から消え去り、映像だけが目に入る。さっきの絵本よりも高性能なクリスタルで作られたホログラム。映像はゆっくりと大聖堂の中へと入っていく。
重厚な扉が開かれるとそこには息をのむような純白な空間が広がっていた。見上げるほど高い大理石の柱は、幾重にも重なるアーチを描いて遥か天井へと伸び、天界の雲海を思わせる緻密な彫刻を支えている。
そこにベリアルの息子たちと呼ばれるこのアトランティスの宗教《ベリアル聖教》の信徒たちが、一斉に祭壇の長椅子から立ち上がり、歓喜にむせび泣いていた。
「うちの息子の病気が治りました!!」
「あなた様のおかげでオリハルコン錬成術の試験に一発で合格しました」
「好きだった彼に振り向いてもらうことができました! 本当にいつもありがとうございます!!」
「オリハルコン鉱山の管理職のリーダーになれました! これも教皇様のおかげです」
信徒たちの前には、圧倒的な存在感を放つ主祭壇がある。そこには祭服を身にまとい、穏やかな顔をした聖職者《クロムウェル教皇》がたたずんでいた。大理石の複雑な斑模様が、まるで凍りついた炎のように赤く妖しくきらめき、その上には幾つもの聖人像と黄金の装飾が、天からの光を浴びて神々しく輝いている。左右に並ぶ古びた木製の聖歌隊席からは、目に見えぬ祈りの気配が漂ってくるようだ。手前に捧げられた紅白の献花が信徒たちの声を静かに聞いている。
──しかしこの映像とわたしの幸福度指数はまるで釣り合わない。わたしに原因がある。どうにかして理解、許容、神の愛を受け取ろう。
そんな中、クロムウェル教皇の祭服の胸元から何かが取り出される。
そう、クリスタルだ。
信徒たちはそのクリスタルに向かって手を合わせ、またもや一礼する。ここでいつも疑問が生じた。信徒たちの心臓から白い光のようなものが、クリスタルに向かって流れていく。
その光はクリスタルに吸収され、黒いモヤがクリスタルに渦巻くのだ。いつもわたしはこれを見たときに、見てはいけないもの見てしまったと罪悪感と後悔に襲われる。わたしにだけ見えるものなか、他の人たちにも見えるのか? そんな疑問が浮かんだけれど、父の前でそれを言うのは憚られるような気がした。
『おい。集中しろ』
わたしの集中力が途切れたことを察知したのか、ホログラムの再生中に、父がわたしの頭を大きな手で押さえつける。その手は、再生中のため、いつもより優しく、わたしの集中を妨げないようにしてくれている。わたしはこの手が好きだ。これに対しての作法も分かっている。声に出して返答すると、ホログラムに集中できてないと怒られるので、心の中で、『はい。畏まりました。お父様』と言い、父とクロムウェル教皇に畏敬の念を抱く。
「みなに今日は話しておきたいことがある。先日、また、神の教えに背いたゴミどもが地下街から地上に上がってきて暴動を起こした。まるでゴキブリだ。彼らには神の愛と恩恵が見えていない。可哀そうな連中だ」
クロムウェル教皇がそう言うと、信徒たちは思い思いに心中を吐露した。
「その通りでございます。わたくしは、王宮の門番をやっておりますが、やつらは時間帯も不定期で、突然王宮の前にやって来ます」
「奴らは異教徒でしてよ。時間も守れない。マトモな教育も受けていないカス共ですわ。突然やってくるなんて。常識という概念が通用しない」
「クロムウェル様は、そんな異教の民を殺さず、改心させようとなさっている。クロムウェル様こそが神の御慈悲を体現なさったような方だ。奴らは野蛮だ。暴力と支配によってしか他人を動かすことができない」
「奴らの信仰はどうやら『龍』らしい。恐ろしい。世界を滅ぼしかねない異形のバケモノなど信仰しおって!!」
そして大勢いる信徒たちが騒めく中、クロムウェル教皇はクリスタルを大理石の机の上に置き、一息つく。するとまた、祭服の胸元から何かを取り出した。
一枚の紙きれ。そこには地下街を取り締まる特殊部隊や、捜査隊がこの一か月にどれだけのテロリストを検挙したかが書かれていた。
「これが今月の検挙数だ。243人。そのうち逮捕されたのが192人。みなの祈りと信仰のおかげだ。ありがとう。先月よりも多くの犯罪者を取り締まることができた。だが、国外に逃亡した犯罪者もいる。アトランティスの正確な人口は分からないが、ざっと見積もって1200万人。その中にどれだけの人数が、我々の寝首をかいて、国家転覆を目論んでいるかはわからない。くれぐれも気を抜かず、信仰と、職務をまっとうしてくれ」
黙祷!!
クロムウェル教皇がそう言うと、皆が目を閉じ、胸の前に手を当て、神に祈りをささげる。わたしもそれに倣って祈りを捧げた。
神様。わたし良い子になります。お父様とお母様に認められるような、立派な王族として、この国の歯車になります。
そうやって祈りを捧げるのが終わると一人の信徒がクロムウェル教皇に向かって言い放った。
「地下街の連中どもは、夜な夜な国外逃亡を見計らい、ポセイドンの大運河に停泊しているヴィマナを強奪してこの国から脱出しております。わたしは大運河の守衛を任されておりますので、奴らの国外逃亡をなくすため、尽力を尽くします!」
「ああ、頑張りたまえ。ヴィマナは大切な市民の税から作られたものだからな。君に神の御加護があらんことを」
ヴィマナ。この前、本で読んだ。お父様にUFOって言ったら怒られたことがある乗り物だ。重力をコントロールして動くヴィマナ。悪い奴らはそれに乗って、この国から逃げようとしている。わたしも将来大きくなったら悪い奴を倒すヒーローになるんだ。
「クロムウェル様。奴ら異教徒は、自らを龍の末裔というわけの分からないことをのたまっております。奴らの聖地はこの国のはるか東にある《ムー大陸》。奴らがそこを目指して逃亡しているという噂は本当なのでしょうか?」
「ああ、本当だ。ただし──」
クロムウェル教皇は一拍空けて、首から下げられている十字架を、大聖堂の天井に向かって掲げた。天井にはステンドグラス製の窓ガラス。そこから淡い光が差し込んでいる。クロムウェル教皇は、上を向き、意味深につぶやく。
「得てして人は、愚かな自分を覆い隠すように、ありもしないものに手を伸ばそうとする。ありもしない現実をあると錯覚する。ムー大陸など奴らが頭の中で作った架空の話だよ」
「その通りです! 教皇!」
「信仰のチカラが足りないから、そんな幻を見るんだ」
どっと歓声が上がる。信徒たちはさらに恍惚とした表情で、主祭壇の上にあるクリスタルにパワーを送り続ける。
そこでわたしは思っちゃいけないことを思ってしまう。さっき見た絵本の舞台がムー大陸のお話だったからだ。お星さまがあって、自然と科学が共存していて、森のどうぶつたちや、妖精さんが、いつもそばにいて助けてくれる。あんなのおとぎ話だとは思うのに……。
なんだろう。この胸の痛みは。
押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ押さえつけなくちゃ
──そうだ。ありもしないものを信じたり、手を伸ばそうとするのは愚かなことだ。
わたしの導き出した結論は新たな自分を解放させ、清々しくしてくれるのと同時に、身体にはそれと違った反応が現れる。いつものやつだ。
心拍数が上がる。ドクドクと血管の脈打つ音が頭の中で鳴り止まない。呼吸が浅くなり、視界に移るホログラムがどんどんぼやけていく。息が詰まりそうだ。そして苦しみの中、父の声がした。何を喋っているのかは上手に聞き取れない。それよりも、どうしてわたしはここにいるのだろう? どうして生きているのだろう? という疑問が脳内を覆いつくす。今まで必死に取り繕ってきた自分がペリペリと剥がれ落ちていく音、見えない感情に蓋をして誤魔化していた自分、それらをようやく捨てて、新しい自分に生まれ変われるような気がした。そんな感情が水源のように溢れ出て、大きな流れる一本の川となる。
わたしはその場に倒れこみ意識を失いかける。激しい全身の痛みの中、地面をのたうち回った。王族なのに惨めな恰好で這いつくばっているわたしを父はよく思わないだろう。早く起き上がらなきゃと思えば思うほど、身体の反応は正反対へ向かう。せめて、意識を失う前に父の言葉を聞かなきゃ。必死の抵抗で、あらゆる身体機能を、聴覚だけに集中させる。
「王族ともあろう人間がオリハルコンアレルギーを持って生まれるとはな。親としてお前のような欠陥品を生んだことが恥ずかしい」




