第四十五話『洗脳解除』
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アトランティス上層、第03セクター。
それはレンたちが地下街で起こした『爆音のバグ』が、王宮のメイン・ファイアウォールを焼き切ったまさにその瞬間の出来事だった。
バツン、と。
世界を常に覆っていた、あの不気味なほどに規則正しいエーテルの駆動音が、地上の30%に及ぶ区画で完全に停止した。
人工太陽の光までは消えなかったものの、地上のクリスタル採掘鉱山、そして地底の一部に至るまで張り巡らされていた『洗脳周波数』の電磁塔が、一斉に機能を停止して沈黙する。
「……あ?」
鉱山の最奥、冷たい岩肌に向かって機械的にツルハシを打ち下ろしていた一人の奴隷の男が、その場でピタリと動きを止めた。
いつもなら、脳の奥底に絶え間なく響いていた王宮の『讃美歌』──従順であれ、労働せよと囁く冷酷なノイズが、綺麗さっぱり消え去っている。
男は、己の手をじっと見つめた。泥と血に汚れた、ボロボロの手だ。
「……あれ? 俺、なんでこんなところで、こんなことしてんだ……?」
それは、一人の疑問では終わらなかった。
隣の男も、その奥の少年も、地底の暗がりに並んでいた数百、数千の奴隷たちが、一斉にツルハシを地面に落とした。カラン、カランと、鉄が岩にぶつかる音が静寂の鉱山に虚しく響く。
王宮が施していた『家畜のOS』が、今、完全に強制終了したのだ。
脳ミソを覆っていた霧が晴れ、自分が不当に奪われていた時間と、身体に刻まれた理不尽な痛みを、全員が『本当の己の意識』でハッキリと自覚した。
だが、湧き上がったのは絶望ではない。
彼らの身体には、王宮のシステムを狂わせ、ファイアウォールを突き破ってここまで届いた『未知の重低音の残響』が、大地の振動となって微かに伝わっていた。
「おい……これ、何の音だ?」
「知るかよ。だが……胸の奥が、ガチガチに熱くなってきやがる……!」
一人の若者が、転がっていた空のドラム缶を、手にした鉄パイプで思い切りぶち叩いた。
──ドォン!!!
空洞の鉄が、地底の空気を激しく震わせる。
それに呼応するように、別の男が岩をツルハシで叩き鳴らした。
──カーン!!!
「ハッ……なんだよこれ、めちゃくちゃ気持ちいいじゃねえか!」
「踊れ!!! 働いてる場合じゃねえ!!! 今日はもう、終わりだァ!!!」
誰からともなく笑い声が弾け、次の瞬間には、鉱山全体が地鳴りのような爆音に包まれていた。
ドラム缶を叩き、鉄パイプを打ち鳴らし、奴隷たちは王宮の備蓄していた配給用の酒を力任せに強奪してブチ撒ける。
それは、アトランティスの歴史上、ただの一度も許されなかった『家畜たちの反逆の宴』だった。
人工太陽の光に照らされた地上でも、同じように狂った祝祭が始まっていた。
監視の王宮兵たちが慌てふためいて通信機に怒鳴り散らす中、洗脳を解かれた何万という群衆が、大地の底から響いてくるBPM140のグルーヴに身体を委ねて、狂ったようにステップを踏み、叫び、笑い転げている。
王宮の絶対的な支配に、明確な『バグ』が刻まれた──。
男たちの歓喜の声がアトランティスの30%の区画に響き渡る。
※※※
鉱山の男たちがツルハシを落としたその同時刻、隣接する『中央資源梱包工場』でも、全く同じ奇跡が吹き荒れていた。
バツン、と防壁が焼き切れた瞬間。
天井のスピーカーから流れていた王宮の抑圧的な讃美歌が途切れ、細かな火花を散らして沈黙する。
「……え?」
薄暗い工場ライン。ベルトコンベアの前で、ロボットのように正確な動きでクリスタルやオリハルコンを緩衝材に包み、木箱へとパッキングしていた女の奴隷たちが、一斉にその手を止めた。
いつもなら脳の奥をガチガチに縛り付けていた精神調律(洗脳OS)が、綺麗さっぱり消え去っている。
ラインの先頭にいた若い女は、自分が今まさに梱包しようとしていた、冷たく輝くオリハルコンの塊を見つめ──次の瞬間、激しい嫌悪感とともにそれを床へと投げ捨てた。
ガシャァァァン!!! と、高価な鉱石が床で虚しく弾ける。
「嘘……私、なんでこんな冷たい石っころのために、何年も、毎日毎日同じ作業を繰り返してたの……!?」
「私の髪、ボロボロ……。爪だって、こんなに割れて……」
「思い、出した……! 私、地下街にちゃんと帰りたい家があったんだわ……っ!」
一人が涙を流した瞬間、工場の全ラインから、抑え込まれていた『本当の感情』がせきを切ったように溢れ出した。
王宮が強いてきた家畜の時間は終わりだ。彼女たちの瞳に、奪われていた生々しい人間としての光が、一気に、強烈に取り戻されていく。
地底の底からドクドクと響いてくる、レンが遺したBPM140の重低音。
その大地のベースラインに、彼女たちの高鳴る鼓動が完全にリンクした。
「やってられないわ、こんなクソみたいな仕事!」
一人の女が、梱包用の頑丈な木箱を力任せにひっくり返した。
それを合図に、工場内は一瞬にしてお祭り騒ぎへと変貌する。
女たちはコンベアの上に立ち上がり、梱包用の薄い緩衝材をまるで紙吹雪のようにフロア全体にブチ撒けた。
舞い散る白いフィルムと、ラインからこぼれ落ちて床一面に散らばったクリスタルやオリハルコンが、室内の蛍光灯の残光を浴びて、まるでディスコのミラーボールみたいにキラキラと七色に乱反射する。
「踊りなさいみんな!!! 最高のバックトラックが響いてるわ!!!」
隣の鉱山区画からドラム缶や鉄パイプを打ち鳴らしてなだれ込んできた男たちと、工場の女たちが合流し、きらめく鉱石の光の海の中で、泥臭くも最高に美しい祝祭のステップを踏み始める。
王宮兵が慌てて銃を構えるが、洗脳を解かれた何万という群衆のエネルギーの前には、そんな脅しなど1ミリも通用しない。
オリハルコンの輝きの中で笑い、叫び、踊り狂う彼女たちの姿は、王宮の冷酷なインフラを内側から完全にハッキングし、アトランティスを崩壊へと導く『美しきバグの嵐』そのものだった──。
地下街で血を流して倒れたレンの音楽は、メストルの想定を遥かに超えて、このクソみたいな世界の土台を確実に、内側から爆破し始めていた──。




