第四十話『発明品デジタルマスク』
この地下街にはもうメストルの息がかかっているのかもしれない。
アジトの冷蔵庫に買い込んできた食材を乱暴に放り込み、一刻も早くこの部屋から立ち去ろうとしたその時──
「おい待てレン──」
ひそひそ声でギルが言うと、オレはその状況をすぐさま理解し、
「伏せろ……みんな……」
と、同じぐらいの声量で伝達する。リンコとセネカが伏せると、アジトの窓の外に、四足歩行の獣みたいなシルエットがウロウロと街の中を闊歩しているのが分かった。そのまま、三人にアイコンタクトを取り、窓からちょうど死角にあるアジトのクローゼットへと移動する。クローゼットは幸運にもオレのだらしなさのおかげで、半開きになっており、中に置いてある大きな箪笥の引き出しからゆっくりと例のブツを人数分取り出すことに成功した。
「なにこれ……」
「オレが前世の知識、クラブカルチャーやサイバーファッションを総動員して作ったデジタルマスクだ」
こんな日がいずれくるだろうと思って、エーテルで光るネオンチューブや、顔を完全に隠すLEDデジタルマスク(ダフトパンクみたいなやつ)をジャンクで急造した。
機動兵器は『怯える犯罪者の脳波や心拍数の急上昇』を検知してスクラップにしてくる。それに、顔認証システムで感知してくるから厄介だ。
だからこのデジタルマスクが役に立つ。ただ顔を隠すためだけではなく、ギルがビルドした携帯型の低周波発振器を首元に当て、強制的に脳波と心拍数を『超トランス状態』に固定して、恐怖の感情ログをゼロにする。
「恐怖を感じたら即ハッキングされる。このマスクで脳内をトランス状態にして、機動兵器の目の前をノリノリのステップで踊りながら突破するぞ!」
「わ、わけわかんないわよ! ふざけてんの!」
「いたって真面目だ」
リンコとセネカのデジタルマスクには猫耳がついている。
「これが女性用な」
「なんでもいいから貸しなさいよ」
「リンコ様~。そのマスク超絶可愛いです」
「………」
ギルは無言でこのアホな光景を眺めながら、何も言わず、そのマスクをかぶった。全員が装着し終えると、恐怖のログがゼロになるような、BPM140前後の4つ打ちの心地いいグルーヴにうねりのあるメロディがオレたち4人の脳内へと同期される。
「なにこれ……」
「え……」
セネカとリンコが驚いている。そうだ。地上の人間は、ベリアル聖教の『賛美歌』しか知らないから驚くのも無理はない……。これが現代(令和)が誇る音楽だ!
──てか、それより早くしないと!!
オレたちはマスクを装着すると、息をつく間もなく地下街のメインストリートへと飛び出した。
しばらく歩いていく。さっきの機動兵器は撒くことができたけど、いつどこで出くわすか分からない。緊張しつつ、警戒しつつも、歩行スピードは少し早く、緩めることなく進んでいく。
そこは普段の喧騒が嘘のように、冷酷で息苦しい緊張感に支配されていた。
頭上高くにそびえ立つ、巨大なコンクリートと鉄屑の超高層ビル群。その隙間から、人工太陽の、薄暗く白茶けた光が澱んだ空気の底へと差し込んでいる。空を見上げれば、バカげたピンク色や赤色のジャンクな反重力車が、静かな駆動音を立ててビルとビルの間を縫うように飛び交い、剥き出しの太い排気パイプからは生ぬるいオイルの臭いが噴き出していた。街頭のいたるところに設置された、古臭いブラウン管のモニター。いつもなら下層のジャンク広告を垂れ流しているはずの画面には今、王宮の紋章と共に『未確認の生体バグを検知。思想統制セクターより機動兵器をパージ中』という冷徹な警告文字が、ノイズ混じりに不気味に点滅している。
「なにこのマスク。恥ずかしいんだけど」
「目立つが、無人の機甲兵器だからな。機械相手を誤魔化すならこれが好都合だ」
「……いた。あそこ……!」
オレのジャケットの裾を、リンコが震える手できつく掴んだ。
彼女の視線の先──ストリートの交差点や建物の物陰を、不気味な鉄の塊がうろついている。
メストルが放った、王宮製の自律型機動兵器。
人の形を捨てた、四足歩行の金属の獣のようなシルエット。その頭部にあたる部分からは、血の光のような凶悪な赤色のスキャンレーザーが、扇状に何度もストリートをなぞっていた。
カチ、カチ、カチ、と不快な電子音を立てながら、通行人たちの顔を次々とスキャンしていく。
あのセンサーは伊達じゃない。顔認証だけじゃない、人間の『脳波』『心拍数』『呼吸の乱れ』、果ては魂が発する『量子の周波数』まで感知して、不審者を見つけ次第、その場で物理デリート──文字通りスクラップにしてくるディストピアの猟犬だ。
「あれに見つからず行くなんて無理過ぎる。リンコ様~」
顔面を紙のように青ざめさせたセネカが、声を絞り出す。
周囲の無関係な地下街の人たちも、巻き添えを喰らうのを恐れて、足早に機動兵器から距離を取ろうと怯えた目でコソコソと路地裏へ逃げ込んでいく。心拍数が上がれば上がるほど、あの猟犬のターゲットにロックされるというのに。
だが、オレは隣でマスクの排気口からタバコを咥えたままのギルと視線を合わせ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「いくぞ。脳内の四つ打ちビートに体を預けろ。機械のルーティンを、オレたちのリズムでバグらせる」
オレはそう言うと、デジタルマスクのLEDインジケーターを極彩色のウェーブ状に発光させ、交差点のど真ん中、赤色スキャンレーザーの射程圏内へと躊躇なく一歩を踏み出した。
──ズン、チャ、ズン、チャ、と脳内に響く140のグルーヴ。
恐怖は消えている。首元の発振器が刻む一定のパルスが、オレの心拍数を恐怖ではなく、ただの『心地いい興奮』へと強制的に固定していた。
オレは前世社畜だったけど、金曜夜になけなしの金でクラブに行った過去がある。そこで身に付けたステップを軽く踏みながら、猟犬の目の前を滑るように進む。
「……ッ、もう、どうにでもなりなさいよ……!」
腹を括ったリンコが、猫耳マスクをバチバチに光らせながらオレの後に続いた。セネカもその小さな体をリズムに合わせてピコピコと弾ませ、最後にギルが、煙草の煙をマスクの排気口からサイバーに吐き出しながら、気だるげなワンステップを踏んでストリートを横切る。
──カチ、カチ、カチカチカチカチカチッ!!!
異様な光景を検知した機動兵器の頭部が、グワンと異音を立ててオレたち4人の方へと一斉に向いた。血のような赤いレーザーが、オレたちの顔面、胸元、そして全身の量子波形を舐めるように激しくストロボさせ始める。
『警告──不審な服装の個体を検知。思想統制コード照合中……』
バチバチと火花が散るような緊張感が、オレたちのデジタルマスクの表面で弾けた。
だが、猟犬のAIがどれだけログを解析しようとも、返ってくるデータは『恐怖のログ:ゼロ』『心拍数:140(完全一定)』『脳波:極限のトランス状態』。それは王宮のデータベースにある『怯え、逃げ惑う地下街の犯罪者』の波形とは、120億%かけ離れた未知のデータだった。
『……照合エラー。対象の生体ログに怯え、動揺のパラメーターを検知できず。……一般の過激なストリートパフォーマー、無害と判断。スキャンを終了します』
ピピッ、と機動兵器の頭部のランプが、赤から抜けるような緑色へと切り替わり、何事もなかったかのように別の路地へと向きを変えて歩き去っていった。
「……ぷはっ! う、嘘でしょ、本当にやり過ごせちゃった……!?」
機動兵器の背中を見送りながら、リンコがマスクの奥から信じられないといった声を上げた。
「言ったろ? 機械なんて設定されたルール、ログ通りにしか動かないバカなんだよ。それよりギル、リンコとセネカに案内を」
「ああ。このストリートの突き当たり、地下の最深部へと続くジャンクダクトの奥だ。……インフラの無線同期はとっくに100%だ」
「ええ分かったわ」
「にゃ。了解」
ギルが顎で指し示した先。重厚な鉄屑の防音扉の隙間から、地下街の冷たい空気を震わせるような、鈍く重い低音の『地鳴り』が漏れ聞こえてきていた。
──『エーテルディスコ』。
王宮の退屈な賛美歌しか知らないこの世界に、前世の地球の狂ったカルチャーをぶち撒ける、オレたちの反逆の秘密基地。
オレはバールの感触を確かめ、デジタルマスクのネオンを最高光度でギラつかせながら、その分厚い鉄のドアノブへと手をかけた。
「よし……待たせたな地下街のネズミども。王宮のクソみたいな支配システムを根底からひっくり返す、オレたちの爆音の時間だ!!」




