第三十七話『スキャナー』
※※※
わたしは昨日からずっとセネカに謝りたかった。セネカと出会った思い出や、確かにそこにいた記憶を疑ったりなんかしてごめんと。
急に一人になりたいとか言って突き放したりしてごめんと。
だけどそれは、セネカのことが誰よりも大切で、失いたくない存在だから。
わたしたちはあいつらのアジトのすぐそばにある地下街のショッピングにて買い物をしていた。
当のセネカは昨日のことなんか気にもせず、わたしとのショッピングに夢中だった。だからなおさら、謝るタイミングを見失ってしまう。美味しい夕飯を作るためのレシピやら、化粧品を選んだり、二人でお揃いのキーホルダーを買ったり『あいつら二人に何かお礼の品でも買ってやろうかな』と、そういう普段通りの会話が続くことによって切り出すのがどんどん難しくなっていく。そしてショッピングの帰り道──、わたしはセネカが口を閉ざすのを見計らって、ベストなタイミングで言うことにする。
「セネカ。ごめん!」
「リンコ様……急にどうなされたんですか?」
「昨日、偽のインプラント記憶を剥がされたとき、セネカとの思い出や記憶を疑ったりしたから。けどこれはセネカのことが大切で失いたくないからパニックになったの」
セネカは日が傾きかけた人工太陽に照らされながら、そのトレンドマークの八重歯をニコっとさせた。え? なんで笑顔? 怒ってないの?
「知ってますよ……そんなことくらい……。リンコ様が大切に思ってくれてることは十分伝わります。むしろ、わたしがリンコ様のこころを癒し、お力添えできなかったのが一生の不覚!!! わたしの方こそごめんなさい……」
ぺこりと、わたしの胸のあたりまである小さな背丈で、頭を下げた。
「セネカが謝ることない!」
「だったら、リンコ様も謝ることないですよ」
二人で謝り合ってるのがなんか可笑しくなって笑ってしまう。同時にシンクロしたことに心地よさを感じていると──
「ああ……。でも……」
急にセネカの八重歯が微笑みではなく、ギラつきに変わっていく。セネカがわたしに怒るなんて珍しい。わたしは何かしたのか恐る恐る尋ねる。
「えっと……セネカ……?」
「あのツキシマレンとかいう男! リンコ様のはじめてを奪ったことは許せません!」
はじめてって──。
はじめてのお酒ね! 誤解を招く言い方しないでよ!
あー、でも、セネカは18だし、まだ飲めない。だから、やきもち妬いたのかのかな
『初めては一緒に飲み行こうね』って言ってたことふとを思い出す。そんな重い約束だとは思ってなかったけど……。
「あいつとはノーカン。よく覚えてないし」
「まさか……変なことされて……っ」
「するわけないでしょ! 話した内容をおぼえてないだけ!」
──嘘である。めちゃくちゃ覚えてて死にたい。勢い余って、レンとか名前で呼んだのも。おじさんたちに、恋人に間違われたのも……。それに対して腹を立てちゃったことも全部──。
唯一覚えてないのはアジトに帰った直後、どうやって寝たかだ。会ってウザ絡みしたことを謝りたい気持ちと、昨日のことを消去したい気持ちがせめぎ合う。謝りたいけど謝ってしまうと昨日のことを覚えてることがバレてしまう。
これではまるで、ツキシマレンのことを意識してる女みたいになってしまう。今日あいつとどういう顔をして会えばいいのか分からない。そうよ! 覚えてないふり! そう! それでいこう!
「よかった……あのゴミ虫にリンコ様の貞操を奪われなくて」
「そんなことしてくるわけないでしょ、あのバカは! ただの命の恩人! 知り合いとばったり居酒屋で会って話したみたいな感じ。だからノーカン!」
「安心しました!」
セネカがそう言うと、再び通行人が訝しげにわたしたちを見ていることに気付く。一緒にショッピングに行った時から気付いていたがセネカは今、他の人たちから見ると半透明だ。中には見えてない人もいるようで、『なにあれ一人で喋ってる変な人』と言う声が聞こえてくる。
ただし、地下街の人たちは事情を知っている人も多いのか、『よく見ると半透明の人だよ』とか『王族に消されかかってるんだ。可哀そうに』と、十人十色の反応を示していた。
「アジト戻ってきたね」
「ふぅ~、暑いです」
そこでわたしたちは──
見てはいけないものを見てしまった……。
※※※
十数分前──
「おいギル。……先に言っとくが、背中だけじゃねえよな?」
「ああ。今回は胸板から左脇腹にかけて、かなり複雑な回路が走ってる。フリーエネルギーの『増幅波形』のコードだ」
「はぁー……クソ、やっぱりかよ……」
オレは盛大なため息をつきながら、ベッドの脇に転がっていたジャンクのスキャナー(見た目は完全に前世のゴツいデジタルカメラ)を拾い上げ、渋々起動した。レンズの奥で、緑色の読み取りレーザーが頼りなく明滅を始める。
「じゃあ、サクッと脱げや。マスターデータさん」
「おい、その呼び方はやめろ」
ギルは苦笑しながら、着ていた作業着を無造作に脱ぎ捨てた。
鍛え上げられた肉体。そこに、まるで生き物のように不気味に、かつ美しく浮かび上がっている幾何学的な紋様。亡くなったあいつの兄弟分が、この世界の救済のために遺した『テスラコード』の第1層の一部分。
これ自体が、世界をハックするための巨大なフリーエネルギーの設計図だ。
「おい、もっと腕を上げろ。脇腹のコードが歪んでスキャンエラーになる」
「こうか?」
「そうそう、そのまま動くなよ。……というかさ」
パシャリ、とジャンクカメラのフラッシュがアジトの薄暗い空間に虚しく弾ける。
ファインダー越しに、ギルのバキバキに割れた腹筋と、そこに刻まれた謎の幾何学コードを覗き込みながら、オレは思わず口を尖らせた。
「……というか、これ最初の同期の時に、お前の背中と胸のタトゥーをいちいち写真撮らなきゃいけないの、マジで何のプレイだよ。はたから見たら完全にそっちの趣味の奴だろオレたち」
「言ってろ。俺だって寝起きからむさ苦しい男に全身を舐めるように撮影されて、いい気分なわけねえだろ」
「被害者面すんな! どっちかっていうとオレの精神的負荷のほうがでかい!」
カメラを掲げ、上半身裸のギルに向かって『もっと右腕上げろ!』と全力で怒鳴り散らした、まさにその瞬間だった。
──背筋に、ゾクリと冷たいものが走る。
アジトの防音ドアは、建て付けがバカになっているせいで、たまに最後までキチッと閉まらずに数センチだけ隙間が開いていることがある。
そして今、そのわずかな隙間の向こうから、地下街の生ぬるい風と一緒に、『完全に言葉を失った人間の、ヒュッという息を呑む気配』がダイレクトに室内に流れ込んできていた。
(……え?)
恐る恐る、ロボットのような動きで首だけをドアの方へと向ける。
そこには、いつの間にかショッピングから帰ってきていたらしく、買い物袋を抱えたまま、一歩も動けずに立ち尽くしている二人の少女の姿があった。
いや、立っているというより、【見てはいけないシステムバグを目撃して脳の処理が完全にフリーズしている】と言った方が正しかった。
昼間っからお盛んにやらかした挙げ句、密室で男二人が裸で『舐めるように撮影』『精神的負荷』などと喚き合っている現場。
前世のネットスラングで言うところの、いわゆる『ガチホモの現場(※大いなる誤解)』の構図が、そこには完璧に完成していた。
「あんたらってそういう……」
抱えていた袋からりんごが一個、ポロッと床に落ちて転がっていく。
そこには茹でダコのように頬を真っ赤に染め上げ、怯えたような目でオレたちを見るリンコと、
「にゃ……」
完全に顔面が紙のように青ざめ、魂が口から半分抜けかけたセネカが立っていた……。
「ち、違う! ──」
「ギル、服着ろ早く!!! えっとこれはあれだよ! 撮影会!」
テンパりすぎて、余計に誤解を招くようなことを言うオレだった……。




