第三十三話『地下街の夜』
アジトの重い鉄扉を開けてしばらく歩く。リンコはさっきから目を丸くしながらカルチャーショックを受けている。しかし、オレにすぐさま何かを言うわけでもなく、一人で感激し、喜びをかみしめているようにも見えた。きょろきょろとあたりを見渡しては『ウソみたい……』と呟く。
一週間前にオレがシステムを書き換えて作り出した夜。
──ただそれだけではない。ある区画に足を踏み入れると、そこには令和の日本を再現した夜が広がっていた。地上では絶対見られない街並みだ。
「……なに、これ」
リンコが息を呑み、歩みを止めて空を見上げる。
冷たいコンクリートとジャンクビルに囲まれた地下街の路地。その狭い空の隙間にそびえ立つのは、幾千ものデジタル広告が不夜城のように明滅する。
だが、その手前の路地を彩っているのは、オレが前世の記憶を頼りにジャンク光ファイバーで再現した、どこか懐かしく、ひどく歪な光の洪水だった。
壁に雑に取り付けられた『カラオケ』という怪しいピンクのネオンサイン。
意味も分からず地下街の奴らが灯している『居酒屋』の赤提灯。
『24時間営業』と書かれたネオンの矢印が、薄暗いアスファルトを青白く照らし出している。
かつて令和の東京で見た、あの眠らない街の喧騒。
星なんて最初から見えなかった、スモッグと光害に塗れた、だけど確かに人が生きていたあの夜の空気感が、この冷酷なアトランティスの地下世界に、バグのように出力されている。
昼間の人工太陽の熱気が冷めやらぬ生温かい夜風が、オレたちの頬をなでる。
先を歩くリンコの華奢な背中が、色とりどりのサイバーネオンの光に代わる代わる照らされ、そのたびに彼女の長い髪が怪しく、美しくきらめいた。
「星はないけれど……不思議な街ね。ここだけ、別の世界みたい」
ポツリと呟いたリンコの声は、ネオンのハミング音に溶けて消えそうなくらい優しかった。
自分の信じていた過去をすべて失った少女と、前世の記憶というゴーストを抱えたオレ。
星のない偽物の夜空の下、オレたちは静かに歩き出す──。
「一週間前にこの夜空を作ったんだけど。そういえば夜には地下街へ来たことはないんだっけ?」
「基本、地下街へのがさ入れは夕方になったら王宮へ帰るよう、お父様……いや、メストルに言われてたわ」
「そっか。夜を見るのは初めてと?」
「絵本の中だけ」
この世界での絵本はクリスタルで接続して見るものだから、再現性は高いだろう。そんなに驚くほどのものではないのかな……。
「けど……絵本よりも、なんて言えばいいんだろ……リアルっていうか、人間の作った生々しさがあってすごく良い。なんで作ろうと思ったの?」
「オレは令和って時代の日本って国からきた転生者──いや、タイムスリーパー? でさ。その時住んでた街を再現した」
「はぁ!? れーわ? にほん? なにいってんの?」
「まあ、その反応だろうな」
「けど、あんたがそのすごいのは分かった。ちょっと……見直した……」
「ん? なんか言った?」
「な、なんでもない」
「なに?」
「なんでもないってば!」
「……っ」
「……っ」
なんか気まずい。なにこれ? ギルにそそのかされて、リンコについてこいと言われて来たんだけど、何を話せばいいのか分からない。色々あったリンコにかけてやる言葉が見当たらない。記憶が偽物で、親父が偽物で、セネカの無事もまだ確定したわけじゃないのに、夜道の散歩とかしていていいのだろうか。見ると泣き疲れたのか目を真っ赤にさせているリンコが夜の光に反射していた。疲れてるだろうし、このまま帰った方が……。
……あ!! そうか……王宮には帰れないのか! もうオレってめちゃめちゃバカだ! 取り乱すな。どうするかマジで考えて……。
そんなことを思って歩いていると、また一段と雰囲気の違う区画に入り込む。
さっきまでの表通りとは一変して、さらに密度を増した『ディープな令和の裏路』が、オレたちの視界をジャックした。すれ違うのがやっとというほど狭い路地の両脇。左側には、木造の格子戸に掛けられた赤いのれん。むき出しの電球が放つオレンジ色の温かな光が、どこか煤けたような、泥臭い人間の生活臭を漂わせている。
だが、そのすぐ右側や路地の奥を見上げれば、アトランティス地下街の冷徹な現実が牙を剥いていた。 ジャンクな自動販売機や看板が、毒々しいまでの青やシアンのネオン光を放ち、ジジジ……と不快なハミング音を立てている。温かいオレンジと、冷たいブルー。
二つの相反する光が、薄暗く濡れた路地のアスファルトの上で、まるでどろりと混ざり合うエラーログのように反射していた。地上の王宮のような洗練された綺麗さは、ここには1ミリもない。薄汚れていて、狭苦しくて、だけど無性に人間の熱気を感じさせる、圧倒的な喧騒の残骸。そこは、エーテルがエネルギー源なのに、令和が完璧に再現されている。
「……なに、ここ。さっきの場所よりも、ずっと……息苦しくて、なのにあったかい」
リンコは路地裏の赤提灯と青いネオンの境界線に立ち、呆然とその場に立ち尽くしていた。
王宮の無機質なシステムの中で『完璧な猟犬』として生きてきた彼女にとって、この人間の生々しさが爆発している呑み屋街の光景は、脳の処理速度を完全にオーバーさせるほどの衝撃だったんだろう。
オレはリンコの隣に並び、赤提灯の煤けた文字を見つめながら、ぽつりと言葉をこぼした。
「ここは、オレの世界で『新橋の裏路地』とか呼ばれていた場所のパクリだ。人間が仕事帰りに、愚痴を言い合ったり、くだらねえ話で笑い合ったりして、明日を生きる元気を補給するセクターだったんだよ」
「お酒ってそういうものよね」
「お酒飲める年齢なの?」
「この前、二十歳になったけど。まだ飲んだことない。あんたは飲めないでしょ?」
「24だから普通に飲めるよ」
すると、リンコはアジトから出て一番デカい声で──
「はぁ!? 24!? 普通に年下かと思ってた……」
と、オレの顔に指差し、超失礼なことを言ってきた。
『はぁ?』と、オレもけんか腰で構える。
「いや、だって学生に見えるし。顔とか。お酒よりもママのおっぱい飲んでそうだし……」
「それはおちょくりすぎだろ……」
「物の例え。けど、本当に自分よりも年下だと思った。びっくりした……」
「そっか。そこまでびっくりされるとは……」
しばらく無言になり、赤提灯の灯りに照らされながら夜風を浴びる。
「……っ」
すると、リンコはめちゃくちゃ興味深そうに居酒屋の、のれんを眺めていた。
「どうした?」
「……む……っ」
「え?」
「……の……っ」
「え?」
「飲むつってんの!」
「はぁ!?」
「なに? 文句ある?」
「文句って……」
ちょっとそれはまずくない? 年齢的には大丈夫でも、今はセネカの問題とか、偽の記憶のインプラント問題だってある。ガワの洗脳が解けたとは言っても、記憶の奥底にある本当の父親問題とか、コイツが図書室で見た光景がなんだったのか、問題は山積みだ。それに、偽の父親は、娘がまだ特殊部隊の任務から帰還していないことを怪しんでいる、その可能性だって十分あり得る。
「明日を生きる元気を補給するセクターだって、あんた言ってたでしょ?」
「それは言ったけど……」
それは今まで散々お酒を飲んできたおっさんの話で……。
「さすがに飲まなきゃやってられないでしょ! こんな状況になって」
「いや、飲んだことないのに!?」
「わたしだって、今まで十分特殊部隊の総司令官として頑張ってきたんだからこれくらいのこといいでしょ?」
言ってる本人はめちゃくちゃ罪悪感に押しつぶされている気がする。震える手で、居酒屋ののれんを指差し、行動と言動がまるで一致していない。
「自暴自棄になってもあんまり良いことないぞ。それにお前は飲んでる場合じゃないだろ……」
「いいよ。わたし一人でも入るから」
そう言って、オレの言葉は聞かず、のれんに腕押しだった。ことわざが、現実と一致する時ってあるんだな……。
必死に止めようとしても意味がないことを瞬時に理解すると、オレがついていた方が絶対に安全だということを推測し、リンコの後に続いてその居酒屋ののれんをくぐった。
のれんをくぐった先は、外の静けさが嘘のような、光と色彩の暴動だった。
「……な、にこれ……居酒屋、なの?」
リンコが足元のおぼつかない足取りのまま、呆然と店内を見回す。天井を埋め尽くす白い提灯の群れ。レトロな赤い障子格子のパーティション。そこまではオレの知る日本の大衆酒場だが、壁一面にハッキング出力されたサイバーアートが、この空間がアトランティスの地下街であることを主張していた。
ビカビカと青く明滅するネオンの煙を燻らせる、巨大な花魁のデジタル浮世絵。ピンクとシアンの怪しい光が、卓上の割り箸立てや醤油サシを毒々しく、けれどどこかお祭り騒ぎのように照らし出している。オレはリンコをパイプ椅子に座らせて何が飲みたいかを尋ねる。
リンコは初めてのお酒なのでよく分からないのか『なんでもいい』と答えた。
そして、適当に頼んだアルコール度数の低いサワーと、自分の分のビールを注文した。
──そして、それからわずか数十分後。
オレは、自分の判断を死ぬほど後悔することになった。
「ちょっとぉ……レン……聞いてるのぉ!?」
ドン、と安っぽいテーブルが激しく揺れる。
はじめて名前を呼んでくれたことよりも、その豹変ぶりに驚く。
グラスの中の液体を半分以上一気に煽ったリンコは、さっきまでの青ざめた顔が嘘のように、耳の根元まで真っ赤に染め上げてオレを睨みつけていた。
完全に目が据わっている。
「聞いてる、聞いてる。お前グラス置け。それ以上飲むな」
「飲まなきゃ……やってられないって、言ったでしょおがぁ!!」
リンコはオレの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで身を乗り出してきた。ネオンの青い光に照らされた瞳が、潤んで、ゆらゆらと揺れている。
普段のツンとした鋭さはどこへやら、今のコイツはただの『クソめんどくさい絡み酒のイキモノ』だった。
「なによその目……! 『うわ、コイツ二十歳そこそこでおっさんみたいな絡み方してんな』とか思ったでしょ! 思ったに決まってるわ! あんた、さっきからオレのほうが4歳も年上だとかいうドヤ顔のレイヤー醸し出してんのよ! ママのおっぱい言われたの根に持ってるの!?」
「も、持ってねえよ……!」
「だいたい、あんたがこんな……っ、こんな生々しくて、あったかい夜なんか作るから……っ」
急に声を荒げたかと思えば、リンコはのれんの隙間から見える星のない地下街の街並みをジト目で睨み、それから、きゅっと唇を噛み締めてオレを見た。
「……帰る場所がなくなったって、実感しちゃうじゃない……バカ……」
グラスを握りしめる彼女の指先が、今度は怒りではなく、寂しさで微かに震えていた。赤提灯のオレンジの光が、リンコの瞳に溜まった涙の膜を、意地悪なほど綺麗に反射させている──。
そこに居酒屋でガヤガヤ騒ぐオッサンたちが、オレたちの会話に入ってきた。
「レンさん! 彼女?」
「いや、別にそういうんじゃ……」
オレが秒で否定する。
すると、リンコは『はぁ!?』というジト目で、『そういうんじゃってなに!? そういうんじゃって!?』と絡んできた。
そんなオレたちの会話も我関せずオッサンたちは矢継ぎ早に
『よく見ると王宮の服着てるよね? その金の刺繍! 間違いねえ! ベリアル聖教の紋章だろ。そりゃ!』
『レンさんまじパねえ! アトランティスの地下街に夜をもたらすだけじゃなく、地上の……しかも王宮の女をナンパして、地下街の居酒屋へ連れ込むなんて』
『規格外! 地下街のキセキ! 王の器!』
と、何やらオレを褒めたたえている。
てか、連れ込むって人聞き悪いな。まるでオレが拉致して攫ってきたみたいになるだろうが!
リンコはというと、そんなオッサンどもに秒で興味をなくしたのか、卓上にある枝豆をジト目でしゃぶっていた。
「とりあえず水飲め」
「えー。もっと飲みたいー」
「いいから。水はさめ」
「はぁ~い」
オッサンどもはなんか羨ましそうに、こちらを見ている。あのね、彼女ではないんです。この子めちゃくちゃ酔ってるだけなんですって。
「いやぁ、邪魔しちゃわりぃ……」
「そうだな。レンさんの居酒屋デートに水差したら天罰がくだりゃあ」
「ベリアル聖教じゃなくて、オレたち『レン聖教』の信徒だからな」
そう言って、オッサンたちは自分の席へそそくさと退散する。
レンさんって、あんたらの方が年上だろ。なんでオレこんなに崇め奉られてんだ……。
「レンってやっぱすごい~」
「なになに。急にどうしちゃったの?」
絶対、次の朝覚えてないやつだけど、言われて悪い気はしない。
「えぇ……だってぇ……。地下街に夜作っただけじゃなくてぇ……おじさんたちにも大人気だからぁ」
普段とあまりにもキャラが違う。あの冷徹な感じはどこへやら。
そしてオレがオーダーした水をリンコがごくごくと飲み干し、また卓上にあるタブレットで次のドリンクをオーダーしていた。
青りんごサワー。
どうやらオレが適当に頼んだやつを気に入ったらしい……。
それからリンコはオレが思ったよりも飲み続け、オレも情けないことにブレーキとして機能するどころか不覚にも楽しくなってしまう。王宮のこととか、今後のこととかどうでもよくなるくらい飲んだ(泣)
情けねえ……。




