第二十五話『ツキシマレン』
不思議なことがある。お父様に王宮へ帰ってこいと告げられ十数日が経ち、わたしは王宮の図書室でなにをしたのかを覚えていなかった。
そこで何の本を読んだのかも、どうやって過ごしたのかも。
気づくとわたしは図書室に重症で倒れていた。
地下街の暴徒によってとのことだが、どうにも違和感がこころの中を支配する。
あの時の出来事がどうにもこころの中に居座って離れない。
わたしは王宮の緊急治療室にそのまま運ばれ、最高濃度のエーテル医療波を全身に浴びせられた。
治療室のベッドの上で、わたしの肉体は恐ろしい速度で『修復』されていったらしい。
地下街の暴徒に襲われ、内臓が破裂するほどの衝撃を受け、鼻の骨を砕かれ、顔面が血塗れになるほどの重傷を負っていたはずなのに、目を覚ましたとき、わたしの身体にはキズ一つ残っていなかった。割れていたはずの唇も、引き裂かれていたはずの皮膚も、まるで時間を巻き戻したかのように、元の『綺麗な人形』へと完全にリカバリされていたのだ。
医師たちは口々に、王宮の超医療技術の奇跡を称え、お父様は『無事でよかった』といつになく慈悲深い笑みを浮かべていた。
──だけど、どうしても脳の奥が拒絶する。
わたしの記憶のタイムラインには、瀕死の重傷を負ったはずの『激痛のディテール』が、どこをどう探しても丸ごと抜け落ちている。
代わりに脳細胞の隅々にまでべっとりと張り付いているのは、ただひたすらに、地下街の人間どもに対するドス黒い、異常なまでの憎悪の感情だけだ。
痛みの記憶がないのに、憎しみだけが100%の出力で心臓を焦がしている。
この歪な感情のパズルが、どうしても噛み合わない。
キズ一つないピカピカの自分の顔を鏡で見るたびに、皮膚の裏側がゾワゾワと粟立つような、得体の知れない恐怖が這い上がってくる。
まるで、中身のデータを別の何かにそっくり書き換えられて、ガワだけを綺麗に直された壊れかけの機械にでもなってしまったかのように──。
その時の記憶に強烈な違和感を抱き、わたしは20歳を迎え、地下街の人間を一人残らず独房へぶち込むことを目標に掲げていた。
目の前にはクーデターの首謀者、ツキシマレン──。ネイビーブルーの髪色でショートマッシュ。中肉中背の男の子だ。わたしより、少し年下のようにも見える。
「ちっ。この場所もバレたかっ」
「おとなしく武器を捨てて投降しなさい」
──そこは、わたしの常識が、ガリガリと音を立てて崩れ去る場所だった。わたしの網膜に飛び込んできたのは、これまで突入した地下街の『薄暗いゴミ溜め』などでは断じてなかった。三年前の地下街とはあまりにも違う。
視界の全方位を埋め尽くすのは、地上を凌駕するほどに高度に発達した、目も眩むような超科学都市。
頭上を覆う重厚な岩盤には、地上から奪い取ったエーテルエネルギーを束ねた巨大な『人工太陽』が異様な輝きを放ち、地下世界に強制的な『昼』をもたらしていた。
地上よりもはるかに高層の、複雑に絡み合ったビル群は、赤や青、緑のネオンサインや巨大なホログラム広告で彩られ、まるで意志を持った電子の濁流のように脈動している。岩盤から吊り下げられた多層構造の街路には、高度な反重力車両がひっきりなしに飛び交い、そこかしこで高エネルギーの送電導管が妖しい光を湛えて這い回っていた。
ここには、本当の空はない。本当の星もない。
だが、ここには確かに、人間の執念が生み出した、歪で、そしてあまりにも美しい、別の『昼』が存在していた。
そして、ああだこうだと話しているうちに、ツキシマレンの仲間たちが立ち並ぶ中、あいつはわたしにこう言った。
「そうだ。賭けをしよう」
「「「「「「賭けぇえ?!?!」」」」」」
本当にコイツなんのよ……バカなの?




