第二十話『案内人ウィリアム』
この国ではオリハルコンアレルギーの患者が、約0.2%を占めている。アトランティスの人口が約1200万人いるので、およそ、24000人いるという計算だ。
わたしが特殊部隊へ入隊する前──、薬の開発はいつされるのか? という情報を根掘り葉掘り嗅ぎまわっていた。特殊部隊へ入隊するために、一次試験や二次試験を難なく通過できたとしても、オリハルコンアレルギーでは面接の段階で不利になるから。そしてそれは、わたしが父親に捨てられた原因の一つでもあったからだ。
──王族ともあろう人間がオリハルコンアレルギーを持って生まれるとはな。親としてお前のような欠陥品を生んだことが恥ずかしい
あの時の言葉に翻弄されるわたしでは、もうない──。
16歳の秋、試験合格の前に、ようやく特効薬が開発されたことを知った。M‐28という錠剤だ。これを朝と寝る前に、飲んでいたら、オリハルコンアレルギーは24時間万全体制で、発症しないようになる。わたしは孤児院から支給されるお小遣いで、決して安くはないM‐28を購入し、アレルギーを強制的に抑えていた。人によっては副作用が出るらしいが、幸いわたしにはなく、今は特殊部隊から毎月出るデジタルポイントで購入している。
──ようやくここまで来た。
王宮セクターの正門前。かつて孤児院の窓から見上げていた、アトランティスの頂点。
下層街の薄暗い世界とは完全に断絶したその場所には、脳を焼くような眩い黄金のドーム群が、幾重にも重なり合ってそびえ立っていた。クリスタルとオリハルコンで覆われたそのドームは、まるで呼吸をするように妖しく明滅し、王宮自体が生きている怪物のようだ。
門の両脇には、特殊部隊の装備とは比べ物にならないほど重厚な、オリハルコンの鎧をまとった王宮衛兵たちが、音もなく立ち並んでいる。感情の消えた彼らの瞳に見下ろされるだけで、こちらの心臓が握り潰されそうになる。
一歩踏み出すたび、鼻を突くのは異常なまでに清浄で、薬品のように冷たい空気。
これがお父様のいる、世界の真実を隠蔽するかもしれない王宮の匂い。かつて10年前に住んでいた王宮とはけた違いに煌びやかで大きくなっている。10年も経てば、外装や内装も新しくなっているのだろう。
その冷たさに触れた瞬間、わたしの肌は粟立ち心のどこかで眠っていた父親への承認欲求が、恐怖と共に激しく脈打ち始めた──。
「お待ちしておりました。リンコ様」
すると、王宮の扉まで続く舗装された道から、黒服の男がわたしの前にやってくる。執事のような、仕様人のような服とたたずまいだ。
「案内人のウィリアムと申します。リンコ様の父、メストル様のお部屋へご案内します。もう10年も経ちますから、王宮内は大きく様変わりしました」
わたしが捨てられたことは、もちろん把握済みなのであろう。一体どんな気持ちで案内するのだろうか。──そもそも王族の人間はこっちの気も知らない無感情な人たちが多い。何も思わないのだろう。
そのウィリアムに連れられて、門から続く道を歩く。すれ違う貴族たちが乗っている馬車。王宮の実験で作られたペガサスに乗る今衛兵。そして中央地帯まで来ると、両サイドに、ザァザァと派手な音をたてる噴水が設置されていた。王宮の扉は三つもある。二つ目の門は15メートル以上もの高さがある。しかし遠くから見たので分かるのだが、王宮自体の入り口はさらにその奥の階段を上がったところだ。
「ここ、二つ目の門には厳重なセキュリティロックがかかっております。王族の血筋を持つリンコ様なら指紋認証で開くと思われますので、そこのタッチパネルに指をかざしてください」
言われた通り、門のそばにあるタッチパネルに人差し指を押し付ける。認証されました──という合成音がした。だが、扉は開くどころか一向に何も起きない。
「何も……起きないんだけど……?」
「いえ、入れますよ。わたしが手本を見せるので同じようにしてください」
そう言うと、ウィリアムはわたしと同じように指紋認証をして、扉に向かって歩き始める。すると、ウィリアムの片腕が、門をすり抜け、向こう側へと貫通していた。そのまま、それを呆気に取られて見ていると、ウィリアムは完全にわたしの前から姿を消す。
だいたい理屈は分かったので、言われた通り、同じようにする。わたしが一歩ずつ門へと向かって行くと、普通なら門に触れたときの感触がするのだが、それは空気に触れたように何も感じなかった。そのまま進むと、わたしはいつの間にか門の向こう側に立っている。目の前には大きな階段だ。
「量子トンネル効果で作られたセキュリティです。一般市民にはまだ公開されていない科学技術が、ここにあります。まだ試験段階なので、王族のみの間で運用しているフリーエネルギーの一種です」
フリーエネルギー? 恐らくエーテルの俗称かもしれない。
「クリスタルはエネルギーを吸収したり、出力したりします。オリハルコンはエネルギーを伝導するということはリンコ様ももう既に学校で習っているかもしれません」
「それはもうとっくに習っているわよ。小等部から中等部に上がるときくらいの授業ね。ヴィマナの動力源がクリスタルで、ヴィマナの外装がオリハルコン。クリスタルのエネルギーを一番効率よく伝導させる物質がオリハルコンよね」
「そうです。そうすることによってヴィマナに《反重力》が発生して、機体が浮かぶという仕組みです。ただ、別にエーテルを使ってできることは反重力に限らず、高出力のレーザーを生み出したり、五大元素、地、水、火、風、空にエネルギーを変換することも出来ます。さっきのすり抜けは五大元素の『空』 いわば、空間を操るエネルギーの一種です。これが発展していけば、時空間をワープすることも理論上可能です」
そんな技術を黙っているなんて、やっぱり陰謀が……。
「リンコ様の考えてらっしゃること、すべては分かりませんが、私たち王族は市民の安全と平和のため、より良い公共インフラを発展させたいと思っております。万が一、王宮が開発したインフラで事故でも起これば、大問題になりますからね。だから王族のみで運用している技術がココにはたくさんあります。隠してなどいないですよ。ホームページにも乗っておりますし」
「納得したわ」
でもまあ、そのホームページが迷宮のようなUIだったりするのだけど。政府の公式ホームページってどのリンクを開けば、自分の知りたい情報なのか恐ろしく分かりにくいのよね。
「ですがまあ、分かりにくいですよね……オリハルコンの鉱山で眠る暇も惜しんで働いている方たちには、知識と教養を養う時間もありませんから」
ブラックなジョークを挟み、ウィリアムはシニカルに笑った。世の中を斜め上から鋭く切り込んでいるのに不思議と嫌な感じはしない。共感性に特化させた物言いだ。案外悪いやつではないかもしれない。
まあ、わたしがだいぶ捻くれているから、そこで波長が合っただけなのかもしれないけれど。
そんな世間話をしているうちに、わたしたちは階段を上り終える。王宮の入り口に到着すると、さらに厳重なセキュリティロックがあるみたいだった。わたしがこの王宮で暮らしていた頃を正直あまり覚えていないが、ここまで厳重なセキュリティはなかったように思う。
「ここはクリスタル自体が監視カメラになっていまして。いわば顔認証です。人間は顔の造形や骨格が変わったり、年老いたりはしますが人相は変わりません。出生時に、撮影した顔を元に本人確認が行われます」
「えらく厳重なセキュリティね。今までこの王宮に不法侵入できた人間とかいるの」
「ああ、いますね──」
いるんだ……。こんなとんでもないセキュリティを通過できる犯罪者。やっぱり王宮が恐れる科学力を持っている地下街……の人なんだろうか。
「リンコ様がご想像している通り、地下街の人間です。元王宮の人間が寝返って地下街の人間になる例もあります。王宮の科学技術が外部に漏洩することは普通にありますね」
「王族の血を引いてるのに反体制になったってこと?」
「ええ。この国の内政は思ったよりも複雑なのです」
──顔認証が完了しました。どうぞお入りくださいという合成音声と共に、王宮の重厚な扉が音もなく開く。
その瞬間、わたしの脳髄は、下層街では決して存在し得ない『黄金の暴圧』によって焼き切られた。
「……あ」
呼吸が、止まる。
そこに広がっていたのは、孤児院の窓から見上げていた黄金のドーム群の内部──王宮の心臓部へと続く、あまりにも巨大で、あまりにも残酷な『迷宮』の入り口だった。
視界の全てを支配するのは、トグロを巻く巨大な龍のように上層へ向かってそびえ立つ、黄金の大階段。
格子状に精密に彫り込まれた金細工が、無数のエーテル光を反射して、まるで階段自体が眩い熱を帯びているように見える。床を埋め尽くす鮮血のような赤絨毯は、これからわたしが踏み出す一歩一歩が、父親《メストルの真実》へ直接繋がっていることを予感させた。
天井を見上げれば、気の遠くなるほど精密な黄金のエンタブラチュアと、そこから降り注ぐ何万というクリスタルのシャンデリア。その光に照らされ、壁を埋め尽くす歴代の王宮最高幹部たちの肖像画は、感情の消えた瞳で、下層から迷い込んだわたしを嘲笑っているかのようだ。
その黄金の階段を、ウィリアムと登っていく。放心状態のわたしはもうウィリアムの会話など上の空で聞いていた。わたしが7歳までに過ごしたかつての内装と、あまりにも違っている。その幼い頃の記憶はあやふやだけれど、圧倒的に違うということは肌で分かった。
「メストル様の部屋へご案内します」
ウィリアムはさっきより事務的なことしか言わない。王宮に入ってから人が変わったみたいだ。もうこんな場所ではブラックなジョークを挟めないのだろう。すれ違う人々は豪華絢爛なドレスや、高級なスーツを着た貴族の方たちで、わたしとは住む世界が違い過ぎた。終わりの見えない長い長い廊下をわたしたちは次第に何も言わず歩いていく。




