第十六話『大聖堂』
「──シスター・ライラは高潔な聖職者でした。そんな彼女の命を無残に奪ったのは、地下街にはびこる暴徒どもです!」
大聖堂の演壇から響く、クロムウェル教皇の良く通る、けれど心のこもっていない哀悼の演説。その声を、わたしは数日後の合同葬儀の最後尾で、泥をのまされるような心地で聞いていた。
あの日、役人を追い返して孤児院の椅子でライラの帰りを待ち続けたわたしに突きつけられたのは、あまりにも物理的で、言い逃れのきかない『本物の死』だった。
パイプオルガンの重苦しい旋律が響く中、わたしはライラと最後の顔合わせをすることになった。参列した遺族たちが、一人一人、花やライラが生前好きだったものを持っていた。その列に並んでいたら、徐々に棺との距離が近くなっていく。
「ライラ様の御遺体は、暴徒の手によって痛ましくも……とてもお見せできる状態ではありません。そのまま聖火で荼毘に付します」
近くにいた聖職者が参列者にそう告げると、わたしはその言葉の意味を理解することになる。
さっきまで長蛇の列でよく見えなかったが、祭壇の奥に安置されたライラの棺は固く閉ざされていた。ベリアル聖教の紋章が刻まれた金属のボルトで厳重にロックされ、中の様子は1ミリもうかがい知ることはできない。『地下街の暴徒に無惨に殺された』ということがある以上、その遺体がどんな惨状になっているか、下層の孤児たちに見せるわけにはいかないという王宮側の配慮だった。
順番がまわってきて、わたしは無機質な黒い箱の前に進み出る。
周りの子たちみたいに、声を上げて涙を流せたらどれほど楽だろう。なのにわたしの心は驚くほど平坦で、ただ事務的に、その固く閉ざされた蓋の上に一本の花を手向けた。
花を置く指先が、かすかに棺の金属プレートに触れる。
……冷たい。
顔すら見せてもらえないその黒い箱の中に、本当にあの優しかったライラがいるのか、今のわたしにはまるで現実感が湧かなかった。ただの映画のスクリーンを眺めているような奇妙な冷め方をしたまま、わたしは機械のように一礼して、席へ戻るしかなかった──。
まわりの孤児院で一緒に過ごした子たちの話し声が聞こえてくる。
「リンコちゃん。心配だね」
「ライラとは一番仲良かったもんな」
「どうする?」
「俺たちが話しかけても、何も言えないだろうぜ」
「そっとしてあげよう」
今日の合同葬式は、ただ、ライラの死を受け止めきれず泣く子たちと、あまり仲良くはないけれど心配してくれている子たちの話し声できっぱりと分かれていた。
※※※
「リンコ様……」
わたしが孤児院に帰ると、いつもの部屋でセネカが心配そうに帰りを待っていた。だけど、どうにも今は誰にも会いたくない。
「ごめん……一人にして……。わたしの部屋使っていいから……」
バタンと扉を開き、自分の部屋の外に出る。
『──リンコ様の部屋なのでわたしが出ていきますって!』という声が扉の向こうからうっすら聞こえたけど、今やその声さえも振り払いたかった。今は誰にも会いたくない……。わたしは現実から逃げるように孤児院の寂れた廊下を走る。息が上がり、心臓の鼓動がドクドクと脈打つ。普段ならもうとっくに息を切らして、へたばってるのに、なぜかわたしの足は止まらず走り続ける。孤児院のみんなはたぶん合同葬式のあと、どこか別の場所に集まっている。いつもより人気のない静かな孤児院はまるで時間が止まったようだ。だから誰ともすれ違う心配はない。だって今の自分の顔は誰にも合わせることができないほど酷いから。頭が真っ白で現実を受け止めきれず、胸の苦しさだけが増幅していく。もう何もかも忘れたかった。
孤児院の渡り廊下を駆け抜け、わたしはライラとかつて話した中庭までやってくる。
信じられないくらい息が上がってる。おまけに心臓が痛い。わたしは誰にも見られていないことに安堵し、そのまま膝から崩れ落ちた。
ポタポタと膝の上に大粒の涙が落ちる。
──本当は大声でわんわん泣きたいのに、嗚咽を漏らすことしかできない。
心の中で聞こえてくるのはあの日、この中庭で話していたライラの声。
【リンコちゃんはわたしの話、きちんと目を見て聞いてくれる。】
【ね! 面白いでしょ? 人はやっぱり好奇心とか知りたいって欲望には勝てないと思うの。それを押さえつける権利なんて誰にもないわ】
【地下街の人たちは、星があるって言ってるみたい。信じてるというより、知っているって感じだね】
ライラは地下街の人たちを悪くは思っていなかった。今ならそう思える。断言できる。
あの時、わたしが話した声もこころの中で聞こえてくる。
【地下街の人間は悪いやつらよ! 妄言に決まってるじゃない!】
【良い悪いとかじゃなくて、もし本当だったら面白いなってこと! こういうの好きなんだ】
そう言って、ライラがあの時手渡してくれた『都市伝説』の文字が彫られたクリスタルをポケットの中でぎゅっと握りしめる。
【素直じゃないんだから。わたしはリンコちゃんのことが大好きだよ】
【素直に言った方がラクになるんだけどなあ。わたしは絶対にリンコちゃんのことを嫌ったりしないよ?】
そのあとに言われた言葉が何度も何度も心の中でリフレインして離れない。どうして素直に泣けないんだろう。今のわたしはこころの奥にブレーキがかかってるみたいに、嗚咽を漏らすことしかできない。
わたしは一人ぽつんと石畳の上に座り込み、木漏れ日に照らされていた。
サラサラと響く水音があの日の光景を鮮烈に蘇らせる。だけどそれは今ここではない。目に映る光景は涙で視界がぼやけている。
すると突然──、わたしの涙でぐちゃぐちゃになった頬を風が撫でる。後ろからカツカツと音がして、その気配にびくっと身体を強張らせる。
「ここにいたんですか……」
振り返らなくても分かる。セネカの声だ。
「一人にしてって言ったでしょ。こっちくんな」
「まったく。リンコ様は素直じゃないですね」
「うっさい」
わたしが、急いで服の袖で、出ていた涙を拭き取るとセネカはすぅっと息を吸い、何かを言おうとしていた。
「──そうやっていつも一人で泣いているんですか?」
わたしが驚いて振り返るとセネカは優しい表情で、わたしの目をじっと見つめた。
「リンコ様をそっとしておくっていう方法もありました。だけど、このままリンコ様を放って置くとリンコ様ずっと一人になる気がして」
「……っ」
「素直に行動しました」
セネカはまっすぐわたしを見て、視線を逸らさない。わたしの胸の奥がどんどん熱いものであふれてくる。サラサラと響く水音と混ざるように、セネカの歩み寄る足音と声が、わたしの耳に届く。
気が付くとセネカは、石畳の上に座り込むわたしと同じ目線でしゃがみこんでいた。
「辛いときはいっぱい泣いてください」
「うっ……」
──わたしはこれまでの張りつめていた糸が切れたように、セネカの胸の中で子どもみたいに大きな声で泣きじゃくった。




