第十五話『ライラの帰りを待つ』
朝ごはんを食べた後、役所に行き、申請書を出し、学校も普段通りだった。夕方家に帰ってくるまでは──
いつもなら温かいスープの匂いが迎えてくれるはずの孤児院の玄関は、まるでお墓のように冷え切っていた。
薄暗い土間に立ち塞がるように佇んでいたのは、シスターの同僚でも下層の人間でもない──仕立ての良い【漆黒の高級法衣】に身を包んだ、見慣れない男たちだった。
衣服の胸元には、ベリアル聖教の冷酷な紋章が金の刺繍で刻まれている。
まるで感情を削ぎ落としたかのような無表情のまま、男はわたしが帰ってきたのを認めると、帽子を目深に被り直して、酷く事務的な、乾いた声を響かせた。
「ライラ様が殉職されました」
男の口から出た言葉の意味が、脳に届く前にどこかで霧散する。
ただ、キィィィンと耳の奥で、鼓膜を突き刺すような高い金属音だけが鳴り響いた。
これは夢だ。きっと何か悪い夢を見ているに違いない。そう思おうとすればするほど、さっきの言葉が心臓を抉るように、痛みとなって増幅していく。
耳の奥で、自分の激しい鼓動だけがうるさいほどに鳴り響いている。視界が急速に色を失い、足元からじわじわと冷たい闇に沈んでいくような感覚──
わたしはただ呼吸を忘れて立ち尽くす。
「ライラ様は地下街の人間に殺されました」
「ライラが殺された? 何言ってんのよ、あんた!!」
わたしは黒服の胸ぐらを掴んで叫ぶ。必死に揺さぶるが、黒服の男はわたしの手首を掴み、冷静に払いのける。
別の関係者が、わたしたちの間に入ってきた。
「財産管理官です。今、大聖堂の方ではシスターライラの遺体の処理が終わったとこです。この孤児院に彼女が管理していた全データの凍結作業も後ほど進めていく予定です」
「ああ、よろしく頼む」
すると、その財産管理官は、孤児院の入り口、ペンキの剥げかけた、今にも壊れそうな赤い扉に手をかける。わたしは嫌な予感がして、そいつのところに駆け寄った。
「なにをする気なの!?」
「前管理者の死亡により、昨日の奴隷市場からの引き受け申請のサインは『承認手続き未完了』のまま無効となった。したがって、個体ナンバー『170845』の所有権は孤児院にはない。王宮の法律に基づき、不法検体として直ちに再接収する」
セネカのことだ。
恐らくセネカを危険視した政府の役人たちは、ライラが死んだというウソを使って、今朝わたしが出した申請書の契約を破棄しようとしてるに違いない。
「その個体、誰の許可で連れて行こうとしているの?」
「ハァ? 法律ですが?」
わたしはかつて父親から渡された『最高等身分の身分証』を突きつける。父親にいずれバレてしまうが、背に腹は代えられない。
「わたしは『王宮諮問機関』の幹部、メストルの娘よ。この孤児院にいるサーベルタイガーはね、父親がキメラ研究のサンプルとして、昨日シスターを使って秘密裏に回収させた『父の私有財産』よ。書類が無効? だから何? あんた、わたしの父親の実験の邪魔をする気? その首、明日も胴体の上に載せておきたいなら、今すぐその子をわたしの名義で再登録しなさい」
「孤児院の娘が、王宮直属のメストル様の娘のわけがないだろう」
「所有権は王宮にある! 偽造品だ!」
「偽造品……? だったら、そこのあんたが持ってる【王宮直轄の公認管理端末】で直接確かめてみたらいいじゃない?」
わたしは冷徹な眼差しで、役人が片手に握っていた無機質な金属製のスキャン端末をガシッと掴んだ。
「お、おい! 何をする、下層の小娘が──」
役人が慌てて引き剥がそうとするよりも早く、わたしはその端末の生体センサーへ、自身の親指を力強く押し付ける。
──ピッ。
【生体ID照合中(DNA&脳波形)……王宮諮問機関最高幹部・直系コードを検出】
【警告:一等特権階級のアクセスです。直ちに最上位の礼を尽くしてください】
役人の持っている公式端末の液晶が、真っ赤な警告色から一転して、王宮幹部しか表示されない【最上位のゴールド】へと書き換わり、けたたましいアラートを鳴らし出す。
その画面に偽造の余地など1ミリもない。役人自身が毎日使っている、王宮のメインシステム直結の『本物の機械』が、目の前の孤児を『最高幹部メストルの娘』だと100%保証してしまった。
「ひっ……!? お、王宮直系の、固有周波数……!? 嘘だろ、公式のログが完全に一致して……ッ!?」
役人は自分の端末を表示したまま、まるで爆弾でも握らされたかのようにガタガタと手を震わせ、顔面を蒼白に染めてわたしを見上げるのだった。
『失礼しました。ご無礼をお許しください』と、わたしに膝をつき、一礼する。
もう一人の役人がわたしに聞こえないようにボソボソと『まさかメストル様に隠し子がおられたとは』と言っているが、地獄耳のわたしには丸わかりだった。
そして黒服たちは、わたしがメストルの娘ということに納得したので、そそくさと帰っていく。
やっぱり、ライラが死んだなんてウソだった……。
ほっと安堵すると同時に、わたしの心を動揺させたウソに憤りを感じる。人の生死にまつわるウソは本当に良くない。わたしはミサから帰ってくるライラの帰りを待つことにした。
だけど、待てども、待てども、ライラが孤児院の赤い扉を開けることはなかった。




