第十二話『お風呂』
大浴場は、基本的に孤児院のみんなで入浴するスタイルだけど、わたしたち二人はいつも時間帯をズラして入浴していた。それに、あんまりセネカをまわりと接触させるのもどうかと思ったのでいつも通り時間帯をズラすことにする。
脱衣所に着くと、わたしたちは徐に服を脱ぐ。ライラの頭布から零れる美しい銀髪が、地下浴場の鈍い光を浴びてきらめく。厳かな黒いベールがするりと肩に滑り落ち、腰まで伸びる銀髪が脱衣所の無機質な昼光の下で一気に解放された。
厳格に身体を隠していた修道服のジッパーが下ろされ、厚手の黒い生地が床にまとわりつくように脱ぎ捨てられる。
──その瞬間、わたしは思わず息を呑み、己の未熟な身体と見比べて、胸の奥がちくりと疼くのを覚えた。現れたのは、禁欲的な聖職者のイメージを完全に裏切る、滑らかな曲線美を帯びた豊潤な大人の肉体だ。重力に逆らうようにふくよかな果実を湛えた胸元、そこから極端にくびれたしなやかな腰つき、そして大理石の床に美しく映える、成熟した女性特有の眩いほどの肌の質感。
「……ずるい」
その完成された『大人のシグナル』の圧倒的な暴力性を前にして、わたしは無意識に自分の薄い胸を隠すように腕を組み、(早く大人になりたい。こんな風に、誰もが目を奪われるような身体になれたなら、この歪んだ世界でも、もっと強く、自由になれるのに──)と、熱い羨望の混ざった溜め息を小さく漏らす。
その厳かな佇まいの隣で、自身の【アトランティス下層・指定学校の制服】のボタンに手をかける。
王宮の決まり事で作られた制服は、一目で『一等市民ではない』と識別できるように、装飾を極限まで削ぎ落とされた無機質なネイビーのブレザーと、膝丈のプリーツスカートだ。
学校でハブられ、教科書をドロドロに汚された惨めな自分を象徴するかのように、その制服の袖口はわずかに擦り切れ、わたしの心を締め付ける枷のようにその身体を覆っている。
カサリ、とブレザーを脱ぎ捨て、白いブラウスのボタンを上から順に外していく。
その華奢な鎖骨の奥に、わたしの大切な懐中時計がぶら下がっている。
ブラウスを脱ぎ去り、大理石の籠に、服と懐中時計を収めたその瞬間、わたしの肌は不自然な人工昼光を反射して、儚いほど白く浮き上がった。
一方、その横でライラに促されているセネカの衣装は、衣装と呼ぶのもおぞましい【奴隷市場の粗末なボロ布】だった。
『0円の粗大ゴミ』として檻に放り込まれていた彼女には、まともな衣服など与えられているはずもない。首と腕を通す穴を開けただけの、ゴワゴワとした灰色の麻のボロ布。それが、細い紐一本だけでその小さな身体に結びつけられているだけだった。
さっき食料庫でガブガブと肉を貪り食った際の、家畜肉の脂や血のシミが煤けた麻の表面をさらに汚し、奴隷市場の冷たい鉄格子の臭いをプンプンと放っている。
わたしが『ほら、じっとして』と、セネカの腰紐を指先で解いてやる。
バサリ、と汚れた麻袋が床の幾何学タイルの上に落ちた瞬間──その中から現れたのは──
(?!)
市場で出会ったときはあんなに細かった腕や足が、さっき食べた肉でもう健康的になっている。キメラ特有の身体機能かな……。
「ねえ? ライラ?」
「んー? どうしたの? リンコちゃん」
「食料庫でお肉食べる前は、セネカ、かなり痩せてたでしょう? 見てこれ」
「あー。やっぱりキメラだね。戦闘兵器として飢餓にならないようDNAにプログラムされてるって感じかな? そうなると傷の治りとかも早いのかなー」
「呑気ね……」
わたしは呑気に分析するライラにさっき聞きたかったことを質問する。
「さっき思ったんだけど、戦闘兵器ってこの国は何と戦ってんのよ? だって外国から来るのは拉致された奴隷の人たちばかり。とても何かと戦ってるようには見えないわ」
「わたしもそのあたりは分からないんだけど、地下街のクーデターを起こした人だと思う。なにしろ、王宮の人間が警戒するほどの科学力があるみたい」
わたしたちがそんな話をしている傍ら、セネカはボロ布という最低の外殻を脱ぎ捨て、裸になった。尾てい骨のあたりをむずがゆそうに揺らしながら、脱衣所の向こう側にあるお湯の温もりに向かって小さく身震いする。
「つづきはお風呂で話しましょうか」
ライラがそういうと、わたしたち二人はそれに倣って、大浴場へと足を運ぶ。
大浴場の入り口のドアを開くと、硫黄の独特な匂いが鼻腔をつく。ゆで卵みたいな匂いだ。アトランティスは地下資源が豊富で、火山帯である。いつ火山が噴火するの? とか、大地震が起きる? のとか、住民たちは怖がっているけれど、こうやって自然の恩恵も受けることができるから、一概に悪いとも言えない。
わたしとライラが身体にお湯をかけると、セネカは不思議そうにその光景を見てる。あ、そう言えば──。
ライラがセネカにお湯をかける。
「シャーッ!!! シャァァァァアアアアッッ!!!」
まるで見えない全身の毛を逆立てるように、セネカがお湯に拒絶反応を示す。そうだ。サーベルタイガーがネコ科なの忘れてた。ネコは犬のように、水浴びが好きではない。孤児院の共同浴場に、セネカの悲痛な威嚇音が響き渡る。
お湯をかけられるだけならともかく、お湯が張られた浴槽は、セネカにとって『自分を溺死させるための処刑装置』に見えるだろう。そんな、セネカを抱きかかえるライラ。
「シャーッ!!! シャァァァァアアアアッッ!!!」
「こらこら。暴れないの。たぶん、怖いのは最初だけ。入っちゃえば気持ちいいよー?」
まるで幼い子をあやすような言い方で、セネカを説得している。
わたしの胸に抱きついた時の愛くるしさはどこへやら、剥き出しの八重歯で今にも噛みつかんばかりに暴れるセネカを、ライラは至って冷静に、(爪で引っかかれることも恐れず)背後からガッチリとホールドしていた。わたしもそれに補助するような形で、抱きかかえられたセネカを落ち着かせるために頭を撫でる。
「暴れないで。アトランティスの重力配管から引いた『エーテル循環温泉』よ。水分子に微弱なリラクゼーション周波数を乗せてあるから、入れば一瞬で疲れが吹き飛ぶわ。……あと、あんた自覚ないみたいだけど、今のままだと行政の清掃局じゃなくて、保健所に通報されるレベルで獣臭いの」
「にゃ、にゃあ! ぐるるる……(嫌だ! 溶ける! 私は絶対に溶けるぞ人間ーー!!)」
まるでセネカがそんなことを言ってるみたいに見えて、大げさだなと俯瞰していると、バシャっと温かいお湯の音が聞こえる。
そうしてセネカの足先が浸かった瞬間、セネカの全身の毛(および見えない尻尾)がピンと逆立った。だが──次の瞬間、脳波に直接届くエーテル温水の心地よさに、セネカの瞳の縦スリットが『きゅん』と丸く広がる。
「……にゃ? ふにゃあああ……(あったかい……なにこれ消滅しない……)」
そのままセネカを全身につからせることに成功し、ライラはほっと一息ついて安堵した。わたしたちも後に続いて、お湯に入る。バシャっという音と共に、三人仲良く肩を並べた。
「ふー。極楽。極楽」
「ライラ、おっさんみたいね……」
「あはは。修道女ってやっぱり疲れるんだよ。明日もミサがあるしねー。24時間、清く正しくやるのってやっぱ無理だよー。こういうオフの姿を見せるのはリンコちゃんの前だけ……」
「な──なによ。それ──っ」
普通に嬉しいけど、なんか照れる。
「あはは。照れた。照屋さんめ~。そういうところは昔から変わってないよねー。リンコちゃんは」
ライラがそう言うと、わたしも胸中思っていたことがあるのを口走る。
「ライラも変わらないわね。歳とらないの? って感じ。はじめて出会った5年前と」
ライラの腰まである長い銀髪は今、水面にハラリと、大輪の蓮華のように美しく広がっている。ハリと艶のあるきめ細やかな肌、紫に透き通る目。そして湯船に揺らめく無数の銀の糸。そのどこか神聖な佇まいに、わたしはまたしても見惚れてしまう。
「んー。あのときわたしは高等部を飛び級して、17歳ですぐシスターになったからねー。今は22だよ。5年でそんな歳取らないでしょ」
「中身はおっさんだけどね」
「こらっ」
頭を小突かれながらも笑う。隣にいるセネカも至福のひとときって顔だ。
「さっきの話の続きしよっか」
「えっと。なんの話してたっけ?」
「地下街の話!」
ニマっと笑うライラ。あいかわらず都市伝説が好きだなって思う。
「地下街ね。クーデターを起こした理由ライラはどう考えてるの?」
「わたしはベリアル聖教のシスターだから、あんまり大きな声では言えないけど。王宮のトップにいる《最高科学神官会議》の《十人の王》がベリアル聖教を使って民衆をコントロールしてるって話。それに洗脳されまいと、王宮の洗脳周波数が届かない地下街を占拠して、クーデターを起こしたみたい」
「むちゃくちゃな話ね。わたしも王宮のやり方に100%同意できるわけではないけど、さすがにそれは陰謀論。アトランティスってやり方は腐っていてもちゃんと実力主義、能力主義だから個人の価値は認められているし、生活も保障されてるわ。社会不適合だからって地下にこもって逃げてるだけよ。そんな奴ら」
『わたしもそう思う』と言って、ライラが笑う。都市伝説は好きだけど、ライラはあくまでエンタメとして話している。わたしもこういう話は教義に反するけど、最近はライラに感化されて好きになってきている。
「リンコちゃん。最近、地上の上層区にあるベリアル聖教のエリアで妙な噂があるの知ってる?」
「妙な噂?」
「そうそう。これも都市伝説の類なんだけどさー。王宮の偉い神官たちが、地下街よりもさらに地底にあるエリアを丸ごと使って、とんでもない秘密の実験──キメラ製造よりもヤバいことしてるんじゃないかって話。でね、それがもし世間にバレそうになったら、あいつらは全部『地下街の暴徒が暴走したせい』ってことにして証拠を消滅させるらしいんだよねー。いやー、陰謀論ってのはいつでも陰湿で面白いねぇ」
「もう、ライラったら。明日大事なミサがあるのに、またそんな不穏な都市伝説ばっかり調べてんの?」
わたしが呆れて笑うと、ライラは『ははは、そうだよねー』と軽い調子で首をすくめた。
「まあ、ただの噂だよ噂! 明日のミサが終わったら、みんなで美味い肉でも食べよう!!」
セネカもその言葉に反応して、お湯の中で『にゃあ!』と無邪気に喉を鳴らす。
「……ねぇ、ライラ。くだらないこと聞いていい?」
「んー。どうしたのー?」
「もしも、もしもの話! もしも、その陰謀論が本当で、王宮が自分たちの汚れ仕事を地下街に押し付けようとしたら……どうすればいいの?」
わたしが真剣な目で問いかけると、ライラはお湯から自分の白い手を上げ、わたしの頭を優しくポンポンと叩いた。
「そんなの簡単だよ、リンコちゃん。組織の汚れは、組織のトップになって内側から粛清するしかないよね。まあ、王宮の特殊部隊の総司令官にでも登り詰めない限り逆立ちしても無理な話だけどさ!」
「特殊部隊の、総司令官……」
わたしがそう呟くと、
「あ、もうこんな時間か。いけない! リンコちゃん、身体洗おっか」
ライラが話に熱中しすぎたことに気付いた。
わたしたちはお風呂から上がる。このまま話していたら間違いなくのぼせていた。ちょうどいい……かな……。
「セネカの背中はわたしが洗うわ!」
「セネカの背中……ぶふぉっ」
「はいはい。おっさんはそっちで身体でも洗ってなさい」
たまたま踏み抜いた『おやじギャグの地雷』にツボっているライラを無視し、わたしはセネカの背中を洗う。
「さ、大人しく座って。そのゴワゴワの髪と体を洗うから」
わたしは、シャンプーをたっぷり泡立てると、小さな頭を優しく包み込むようにガシガシと洗い始めた。
奴隷市場の檻の中で、ずっと冷たい床に転がされ、誰にも顧みられずに『0円の粗大ゴミ』として処理されるのを待っていた体。ゴシゴシと頭を撫でられるようなその絶妙な指の動きに、セネカは次第に目を細め、喉の奥から『ゴロゴロゴロ……』と、肉食獣特有の重低音の満足音を響かせ始める。
泡と一緒に、茶色く濁った奴隷市場の汚れが、床の排水溝へとサラサラ流れていく。
「……あんた、ずっと辛かったわね。人間のエゴでサーベルタイガーの遺伝子を植え付けられて、戦えないからってゴミみたいに捨てられて」
わたしは、シャワーの温水で丁寧に泡を流してあげる。
現れたのは、汚れ一つない、透き通るような白い肌と、驚くほど綺麗な金色の髪。そして、お湯で上気してリンゴのように赤くなった、八重歯がトレードマークの極上美少女の素顔だった。
「か、かわいい」
お湯に浸かって極楽そうな顔をしているセネカの頭に、わたしはバスタオルをバサッと被せ、その小さな頭をタオルの上から、今度は少し不器用にかき抱いた──。




