第百話『レンの帰還』
オレはデジタルマスクで令和に戻るとき、てっきり『タイムリープ』すると思っていた。しかしワームホールが開いて、足を踏み入れた瞬間、あることを思う──。
(あれ? これって当初の目的のタイムリープじゃなくて、タイムスリップじゃん!?!?!?!)
オレは一年前に、令和で社畜として死に、このアトランティスに転生してきた。その時思ったのだ。そう言えば、クリスタに龍のOSで身体を修復してもらった時と、死後に異世界転生してきた時に同じ感覚だったことを思い出す。
まさか死んで転生したんじゃなくて、死ぬ前に身体の欠損ログを修復されてタイムスリップしたのではないか? と。
瀕死の状態から、異空間に飛ばされ、その異空間で身体が修復されて、五体満足でアトランティスに召喚された。まあ今となってはそんな考察をしたところで、意味はないかもしれないが。
──それでも中二病で都市伝説オタクのオレからすれば、今こうやって異空間に飛ばされている間あれこれ考えるのは楽しかった。
オレは自分の両手を見下ろした。
西暦二〇二X年の令和へ向かう光の奔流、そのワームホールの極彩色のトンネルの中で、オレの肉体は文字通り『崩壊』を始めていた。
指先から皮膚が、血管が、骨が、サラサラと光の粒子──いや、緑色に発光する幾何学模様のデータログに変換されて、空間に溶け出していく。痛覚は一切ない。ただ、三次元の物理法則から解放されていく圧倒的な浮遊感と、神にでもなったかのような全能感があった。
そうか。時間という絶対的な次元の壁を越えるためには、質量を持った肉体のままじゃダメなんだ。一度純粋な『情報』と『エネルギー』に還元されなきゃならない。
オレの脳髄までもが光のネットワークに溶け込み、世界と、宇宙と、時空そのものと同期していく感覚。
そこでオレは、科学者として一つの真理に到達した。
「……そうか。これが、『フリーエネルギー』の正体か……ッ!」
オレの思考が、次元の狭間で雷のように閃く。
アトランティスを支えていた無限の動力。オレが未来で追い求めていた夢の技術。エネルギー問題の最大の壁は、いつだって『熱力学の法則』だった。エネルギーを変換する際、現実世界では必ず摩擦や電気抵抗によってロス(熱)が生じる。100の力を100のまま伝えることは、物理空間では不可能とされていた。
だが、この時空の断層──高次元空間ではどうだ?
ここには物質の移動を阻む物理的な摩擦が存在しない。空間を伝播する際の電気抵抗が、完全に『ゼロ』なのだ。
エネルギーの還元効率が究極的にスマートになればなるほど、摩擦や電気抵抗は消滅する。ロスがないからこそ、エネルギーは無限に循環し、増幅し続ける。
アトランティスの王宮にあったオリハルコンのピラミッドは、この高次元のゼロポイント・フィールドから、摩擦抵抗ゼロの純粋なエネルギーを三次元の物理空間に引っ張り出していただけの、巨大な変換器に過ぎなかったんだ。
「天才科学者のオレにはお見通しってわけだ……ハッ、笑えねえな」
自嘲気味に笑おうとしたが、すでにオレの口も声帯もデータ化して消え去っていた。
それでも、思考だけは極限までクリアだった。摩擦も抵抗もないこの空間で、オレという情報が令和の絶対座標に向かって一直線に引っ張られている。
この絶対的な引力。時空の波の中で迷子にならず、ピンポイントで帰還するためのベクトルを決めているのは……。
オレの胸の奥に残る、温かい感触だった。
鉄塔の上で見た星空。リンコの涙。震える唇の柔らかさ。
最後に交わしたキスと、アイツらから流れ込んできた『生きたい』という強烈な波動。
結局のところ。
摩擦ゼロの無限のエネルギーを、正しい方向へ、正しい形に組み上げる究極のファクターは──『愛』や『想い』のような、人間の根源的な観測の力でしかない。恐怖で民衆を支配しようとした十人王には、永遠に扱いきれない力だ。だからアトランティスは崩壊する運命だったんだ。
『──座標到達まで、残り3、2、1』
脳内に、デジタルマスクが設定したシステム音声が響く。
崩壊し、純粋なエネルギーの情報となっていたオレの身体が、再び『西暦二〇二X年の令和』の規格に合わせて超高速で再構築されていく。
強烈な重力が、大気の摩擦が、電気抵抗が、再びオレの身体にまとわりついてくる。息苦しい。圧倒的な三次元の『枷』だ。
だが、オレは帰ってきた。リンコたちが勝ち取った自由を、歴史の証明を、この手で成し遂げるために。
視界を覆っていた青白い閃光が、ふっと反転して漆黒に染まる。
──ドグシャァァァァァァァンッ!!!!
凄まじい衝撃と、肺の空気をすべて吐き出させるような痛みが、オレの全身を容赦なく叩きのめした。
「ガハッ……! ゲホッ、ゴホッ……!」
口の中に広がった鉄錆の味に、激しく咽せ返る。
頬に触れるのは、ざらついた、凍るように冷たいコンクリートの感触。重力。大気。間違いない、三次元の物理空間に戻ってきた。
しかし、身体を起こそうとしたオレの動きは、その場に凍りついた。
流れ込んでくる空気が、異常だった。
肺を焼くような、きつい金属の匂いと化学物質の腐った臭気。空を見上げれば、かつてオレが知っていた令和の夜空など、そこには微塵も残っていなかった。
視界を埋め尽くしていたのは、幾重にも交差し、街を文字通り『絞め殺す』ように張り巡らされた巨大な漆黒の配管群だった。ビルの壁面はすべて鈍色のモノリスのような装飾に覆い替えられ、窓の一つすら存在しない。
ネオンの光も、車のクラクションも、人の気配すらもない。ただ、鼓膜を低く揺らし続ける、巨大な換気ファンとドローンの駆動音だけが、不気味に街を支配していた。
生き物の存在を根本から拒絶するような、圧倒的な冷徹さと静寂。
「なんだよ……これ……」
指先がガタガタと震え出す。
何かの間違いであってほしい。ここが東京なはずがない。ありえない。来る時代と座標を間違えたのか? いや、あのアトラスさんがそんなヘマをするわけがない。時代と座標は間違えてないはずだ。何度もヴィマナの中で、座標と時代をチェックした。だったら──
元の時代よりひどくなっているだと……!?
ここにあるのは発展した未来などではない。完全に均一化され、管理され、叩き潰された──生ける屍たちのためのディストピア。
嘘だろ。
オレは、何のためにあそこにいたんだ。オレがメストルを倒したせいで、こんなことになったとでも??
オレが……世界を変えちまった……。
脳裏に、あのヴィマナの機内が鮮烈に蘇る。
ボロボロになりながらも、自分の足で立って、未来を掴み取ろうと前を向いたギル、セネカ、クリスタ。
そして、最後の最後までオレの服を掴んで、泣きじゃくっていたリンコ。あの唇の温もり。
『オレが令和の時代で……絶対に証明してやるから』
大口を叩いて、アイツらを置いて、引き裂かれるような思いでこの時代に戻ってきた。それなのに、辿り着いた先が、この息もできないような絶望の檻なのか?
「アトラスさん……」
オレは、かすれた声で、あの優しかったリンコのお父さんの名前を呟いた。
胸の奥から、どす黒い感情がせり上がってくる。
守れなかった。証明するどころか、オレが戻ってきた世界は、手遅れみたいに狂ってしまった。リンコたちと別れて、一人きりでこんな暗黒の塊みたいな世界に放り出された事実が、鋭い刃物のようにオレの心をズタズタに切り裂いていく。
膝をつき、アスファルトに拳を叩きつけた。痛みの感覚だけが、無慈悲にここが現実であることを主張していた。あまりの絶望感に、視界が歪む。
どれほどの時間、そうして絶望に身を震わせていただろうか。
ふと、ビルの黒い隙間から、冷徹な白い光がオレの首筋を照らした。
街灯か何かだと思い、オレは力なく顔を上げた。
──違った。
モノリスのようなビルの合間、どんよりと濁った雲の向こうから、それは傲然とオレを見下ろしていた。
丸く、不気味なほど白く輝く、天体。
「……え?」
オレはそれを見た瞬間、呼吸を止めた。
脳の芯を、冷たい電流が貫く。全身の血液が一瞬で沸騰し、そのあと急激に凍りつくような、名状しがたい狂気と違和感がオレを襲った。
月だ。
夜空に浮かんでいるのは、紛れもなく『月』だった。
だが──何かがおかしい。頭の奥のギアが、激しく空回りして悲鳴を上げている。
(待てよ……月? オレは、何を……)
記憶の濁流が、猛烈な勢いで脳内を駆け巡る。
アトランティスで過ごした、あの一年間。
オレは毎日、あの世界の技術や、十人王の支配や、生きるための戦いに明け暮れていた。あの大陸の空には人工太陽が浮かび、民衆は『宇宙には太陽と地球しかない』という狂った天動説を信じ込まされていた。
だが、オレは令和の知識を持った現代人だ。そんな嘘、ハナから信じていなかったはずだ。
なのに。
人工太陽が消え去り、ドームが完全に崩壊して、数万年ぶりの本物の星空が世界を包み込んだあの最期の日。
あの圧倒的な夜空を見上げた時でさえ──そこには、月なんて影も形もなかった。新月だったとしても──だ。洗脳周波数が解除されたと同時に、月の存在を思い出してもおかしくない。
それなのに。
「なんでオレは……今の今まで、その異常さに気付かなかった……?」
ガチガチと、奥歯が恐怖で鳴り出す。
アトランティスにいた一年間、オレはただの一度も『月がない』という事実に疑問を持たなかった。忘れていたのではない。まるで、最初からオレの脳内から『月』という概念そのものが、綺麗さっぱり消去されていたかのように。
見上げれば、月はただ静かに、冷酷に、このディストピアの街を白く染め上げている。
その光を浴びながら、オレは自分自身の『認知』が、根底から何者かに弄ばれていた恐怖に、ただただ圧倒されていた。
すると──。
まるでオレの感情の隙間に入り込むかのように、ポーンという通知音が聞こえる。
……あり得ない。今は令和だ。
アトランティスのように、脳内のデータを送受信させる機能はないはずだ。オレはこの1年の手癖で、空中を指でスライドさせて、ホログラムを開く……。
「嘘……だろ……」
ホログラムが空中に展開されたことにも驚いたが、問題はそこに表示された内容だった。
その一件の送り手はリンコ。
時代は1万2000年前、さっきいた時代だ。
オレは、藁にも縋るような気持ちで中身を確認する。
目に飛び込んできたのは、想像もしたくないことだった。
『アトランティスは沈んでいない』
オレは恐怖と不安から、手でうなじを触ると、アトランティスと同様のプラグホールが取り付けられていることに肝を冷やした。




