第16話:博士論文に染まる血痕
#サイコスリラー #都市伝説 #ネットストーキング #大学の闇 #復讐劇 #国際陰謀 #泣けるホラー #サスペンス
目がゆっくりと開くと、消毒液の鼻を突く匂いが広まった。天井では、白い蛍光灯がうっすらと輝いている。ベッドの脇では、心拍モニターが規則正しく音を立てていた。「ピッ… ピッ… ピッ…」。夜はすでに明けていた。全身はまだひどくこわばり、白い包帯が私の胸と、斧で引き裂かれた脚をきつく締め付けている。
しかし、豊島病院のこの無菌室は静かではなかった。
「エドさん、気が付きましたか?」重々しい声が私に掛けられた。
ゆっくりと首を巡らせる。そこには駐日インドネシア大使が立っており、その隣には警視庁のサイバー捜査官が控えていた。
「父さん…母さん…」私はかすれた声で呟いた。
大使はすぐに私の肩を押さえた。「落ち着いてください、エドさん。スレマンのご両親は無事です。ガジャ・マダ大学(UGM)の電気工学部の学生たちが、間一髪で家に踏み込んでくれました。セクトが送り込んだ刺客は、毒物を注射する前に取り押さえられましたよ」
その言葉を聞いた瞬間、私の張り詰めていた糸が切れた。安堵の涙が頬を伝う。二人は助かったのだ。
日本の捜査官が一歩前に出た。彼はジョグジャカルタの暗号化サーバーに接続された特製のノートパソコンを置いた。画面が起動し、ジョグジャからの生中継のビデオ通話が表示される。現地の友人たちが、実家の台所の床にロープで縛り付けられている男の姿を映し出した。その顔は、集まった学生たちに叩きのめされ、青あざだらけになっていた。
その顔を見た瞬間、私の心臓は激しく高鳴った。彼はH教授(プロフェッサーH)。私の妹、エミが通うUGM医学部の冷酷なシニア教授だった。
「H教授…」私はうめいた。
捜査官がキーボードを叩き、ジョグジャのパソコンから押収されたH教授の秘密の論文ドラフトを開いた。日本文学の博士課程(S3)に在籍する私の目は、そのデジタル文書を読んだ瞬間に鋭く細められた。私の分析的な天才脳が、突如として動き出したのだ。
「この言語構造を見てください」私は流暢な日本語で東京の警察に告げた。「これは普通の医学論文ではありません。彼は『持続的低体温症』という言葉を使っています。これは、永遠の命(人体冷凍保存・クライオニクス)のために、生きている人間を凍結させる実験の暗号です。この闇プロジェクトの資金は、東京の『キミ旅館』を拠点とするセクトが出資しています」
私はカーソルを動かし、さらに読み進めた。今度は怒りのあまり、再び涙が溢れ出た。
「H教授は大学での地位を利用して、学生のカルテにアクセスしていた。そして、条件に合う遺伝子を探していた。エミが選ばれたのは、単に東京で一人旅(実際は私と一緒だったが)だと思われたからだけではない。エミの身体構造と遺伝子が、この東京のセクトが求める医学実験の『完璧な被験体』だったからだ!この悪党は、エミをキミ旅館の罠に嵌めるために、わざわざ日本旅行の推薦状を与えたんだ!」
日本の警察は目を見張った。私はH教授がそのドラフトで使用していた、ある古い医学文献の引用箇所を指差した。
「彼は『731部隊』――第二次世界大戦時の秘密人類実験部隊の方法論を取り入れている。日本で最も忌まわしい闇の歴史を、私たちの大学の中で蘇らせようとしたんだ!」
病室の空気は極限まで緊張した。この国際捜査によって、インドネシアの巨頭教授の残虐な仮面が剥ぎ取られた。
しかしその時、ビデオ通話の画面の向こうで、縛り付けられていたH教授が突如として顔を上げた。彼は5000キロの距離を越えて、スマホのカメラを真っ直ぐに見つめ、それから狂ったように大爆笑し始めた。その声はしゃがれており、極めて正気であると同時に、完全に狂気に満ちていた。
彼は、私の全身の毛を逆立てるような、洗練されたジャワ語のへりくだった言葉で囁いた。
「エド…お前は私が全ての頂点にいるとでも思っているのか?私はただ、研究資金が必要だった一人の教授に過ぎん。東京のキミ旅館のセクトに私を紹介したのが誰か、お前は知っているのか?学部の口座に数十億の資金を振り込ませたのは誰だと思う?」
ズ、ズッ!
ノートパソコンの画面が黒く明滅した。遠隔からの外部電波の介入により、ジョグジャカルタからのビデオ通話システムが完全に遮断された。
次の瞬間、病院のノートパソコンの画面に、新しい一行の暗号テキストが表示された。そのメッセージは、私が所属するUGM大学院評議会――まさに私が博士論文を執筆している研究科の内部にある匿名アカウントから送信されたものだった。
その内容は、一枚の添付写真だった。それを見た瞬間、私の心臓は止まりそうになった。
それは、私のS3博士論文の承認書の写真だった。そして、私がこれまで最も信頼し、尊敬してきた主査――私の「博士課程指導教授」のサイン欄には、「三本の指」のロゴがあしらわれた、血塗られたスタンプが押されていた。
東京の旅館の直通エレベーターのCCTVで、あの仮面の殺人鬼が示していたものと全く同じシンボルマーク。
H教授を操り、エミの死のシナリオの全てを設計した最大の黒幕は、他でもない、私の指導教授の部屋に座っていたのだ。彼は私のすぐ近くで、私の論文の全章を読みながら、私の妹の命のカウントダウンを数えていたのだ。
読者の皆様、第16話を最後までお読みいただきありがとうございます!
ついにインドネシア側の裏切り者、H教授の正体が暴かれました。エミちゃんがターゲットにされた理由、そして水が血の匂いに染まった不可解な計算ミスまで、すべてのドットが繋がった……と思いきや、最後の最後でさらに巨大な絶望がエドを襲います。
まさか、自分が最も信頼していた「博士論文の指導教授」が国際セクトの黒幕だったとは。自分の手のひらの上でエドの動きをすべて把握していたという、サイコパス的な学術的恐怖を表現してみました。
物語はいよいよ、東京の病院のベッドの上から、インドネシア・ジョグジャカルタの大学キャンパス内に潜む真の黒幕との「電脳・頭脳戦」へと突入します。
もし「この展開にゾクゾクした!」「エド、負けるな!」と思ってくださった方は、ページ下部の【☆☆☆☆☆】からポイント評価やブックマークをいただけますと、執筆の大きな励みになります!
次回、第17話もお楽しみに!




