襲撃計画
翌日の昼下がり。まだ一昨日の湿度が残るような、薄暗い路地裏に面したとある一室。
「──では、大公に危害を加えるつもりだと、そう仰るのですか?」
「ええ。彼は勘が鋭い方ですから、先に牽制しておいて損はないかと。合わせて帝国の不手際を作ることで、公国側の不信感を煽ることも可能です」
「なるほど。以前流した噂話といい、貴殿の先を読む能力は目を見張るものがある」
感心の響きを持ったイヴァの言葉に「光栄です」と、カルラは小さく微笑んだ。
蝋燭の暖色だけがぼんやりと照らす窓のない部屋。カルラと反乱軍が密かに言葉を交わす『密会の場所』であるここには、日中であるにも関わらず数十人の貴族の姿があった。
そして蝋燭の灯りにぼんやりと照らし出されるローブに仮面を被った人物こそ、この反乱の首謀者である『イヴァ』。その呼称は仮名を意味する名であり、正体を知るものはこの場においてもごく僅か。
そんな彼は自身の椅子の背もたれに寄りかかる男からグラスを受け取ると、琥珀色の中身をゆっくりと喉に流し込んだ。
「ハッ、不信感だけで済むと思っているのか?騎士団長殿は戦以外の頭脳は怪しいようだ」
不意に、嘲りを含んだ声色が場に落ちる。
その発言者は、中年の小太りに宝飾品を多分に身につけた男。それは何かとカルラを目の敵にする、反乱軍の一員フェルダ侯爵だった。その椅子の背後には、以前ソルとルアの部屋から手紙を盗り損ねた黒髪の侍女もとい間者も控えている。
蝋燭のぼんやりした灯りの中、まるで子供の戯言を鼻で笑うような態度に対し、室内の空気は気まずさと同調で二分した。
しかしカルラはそんな様子を一瞥したのち、わざとらしく眉を上げて見せる。そのまま目元を擦りながらゆっくりと薄暗い室内を見渡し、椅子に深く背を預けた男に再度視線を戻した。
「フェルダ卿。ご指摘はごもっともですが、その点はご心配なく」
「はぁ?なんだ、楽観しているのか?」
「追って説明しますよ」
あくまで軽く躱したカルラに対し「またそれか」と、男の舌打ち混じりの声が場に残る。
しかしそれを意に介すこともなく、グラスを置いたイヴァはどこか感心したように口を開いた。
「では、自信の根拠は後ほど伺うとして。ベギンズ殿、具体的に考えはあるのですか?」
「もちろん。軽い怪我を負わせるのですよ。ただし、発見者が一目見て状況を理解できるほどの流血は必要です」
つまり、一国の主に傷が残るほどの怪我を負わせようというのだ。そのあまりに逸脱した提案に、室内のほとんどの者が息を呑む。彼個人への『牽制』が目的であるならば、わざわざ事を大きくするような真似をする理由がない。
しかし彼の描くシナリオはまるで、公国の使者相手に見せつけたがっているような。
──首謀者のイヴァにとって、最終目的は皇帝の椅子。当然皇帝であるディランから皇位を簒奪するつもりだが、時は今でないことは室内の誰もが理解していた。
そんな中で必要のない大公襲撃まで画策するなど、おおよそ正気の沙汰ではない。
「本気、か……?」
そして室内の空気もまた、彼の発言によって湿ったような不快感を帯びる。
先ほど気まずさを覚えた者が感じたのが困惑なら、フェルダ侯爵に同調した者がカルラに対して抱いたのはほんの少しの、嘲り。若さ故の机上の空論を並べているのだと、どこか優越感に浸る者も見られた。
「はっ、若造は考えが足りないようだな。そんなことをしてみろ、すぐに公国が反旗を翻すぞ」
その空気を代弁するようにフェルダ侯爵がそう嘲笑すれば「おや、なかなか鋭い指摘だ」と、まるで風のように受け流すカルラの返事が空気に乗った。
明らかな挑発を含んだそれに対し「あぁ!?」と、余裕ぶった表情が一瞬にして怒りに染まる。
そんな中、僅かに驚きを含んだイヴァの声で周りが静まり返った。
「流血ですか。てっきり薬を盛るなど、目立たないようにするものだと思っていましたが」
「ご心配なく。大公に負わせるのはあくまで軽傷。それくらいなら、彼は動きませんよ」
まるで自身が脚本を描いているかのように、言い切るその言葉の温度には絶対的な自信が垣間見える。それに対し「自身家は損するぞ」と野次が飛ぶものの、カルラは気にすることなく目を軽く擦った。
「先ほどの根拠といい、ここまで仰るなら、何か確信があるのでしょう?」
「ええ、ありますよ。半分は勘ですが」
瞬間ぴたりと、室内に沈黙が落ちた。笑みを浮かべていた者は口角が上がったまま固まり、『怪我を負わせる』という突飛な発言に怪訝を浮かべていた者は目を見開く。
「おや、勘ときましたか」
どこか感心したようにイヴァが復唱したが、それに連なるように「やはり考えなしか」と、奥の方で笑い声が上がった。
襲撃を計画した者が述べる言葉として、『勘』はあまりに無責任だと解釈されたのだ。
「まあまあ。騎士団長ほどの方が、考えなしとは思えないだろう?」
ふと、暗がりと蝋燭の灯りがちょうど交わる辺りの、イヴァが腰掛けた椅子から届いた声。
正確には、イヴァの椅子の背もたれに腰を預けた男が肩越しに振り返って発した言葉だった。先ほどグラスを手渡したのがまさにこの男。
「なんだ、リード。お前もベギンズの意見に賛成か?」
「ん、ああ。なにせ、誰かに似て慧眼の持ち主だ」
リードと呼ばれたその男、ルナール・トレイト・フォン・リード。27歳にして現リード侯爵であり、真ん中で分けた茶髪と冷たい海色の瞳が特徴の男である。
彼もまた、カルラと同じくイヴァの腹心を務める男。その忠誠心は、身内でさえも道具として容赦なく利用したという異常さからも窺えるだろう。
そんな男に微笑を向け、続けて部屋の奥を見ながらカルラはぽつりと言葉を落とした。
「あなた方はジュゼッペを、いえ、ディランという男を知らない。大公は、何があっても皇帝を糾弾しませんよ」
蝋燭が僅かに揺れる。対照的にどこまでも凪いだ言葉にしんと、場の空気が静まり返った。
先ほどと同じくその声は予測ではなく、起こる未来をそのまま言葉にしたような断定の色を帯びている。加えて皇帝を『ディラン』と名で呼称したことによる小骨程度の違和感で、何人かが僅かに首を傾げた。
そうして室内に漂う『まるで意味が解らない』という空気に対し「今に解りますよ」と、湧き上がる疑問を半ば封殺する声が落ちる。
「被害者である国の元首が不信感をあらわにせずとも、使者の疑心は募る。国に帰ってからも、それは火種となって燻ることでしょう。なにも今火をつける必要はない」
──いずれ、使節団の口から勝手に火は広がりますから。
以前、ディランに関する事実無根の噂を広めた時と同じ趣旨の台詞。カルラは一貫して、全ての事柄において足場から確実に崩す方法を選んでいるのだ。その周到さは、他に類を見ないほどに徹底している。
つまり大公がディランを咎めることがないと踏んだ上で、公国の使節団が勝手に公国の民の不信感を煽ってくれると、そういう筋書きが出来上がっているのだ。
大事にせず、じわじわとその負の感情は根を張っていく。
「さて、実行役を決めましょうか」
気付けば完全にカルラのペースに呑まれていた。机上の空論からいきなり輪郭を持ち始めたそれに対し、室内のほとんどはどこか現実味を欠いた気分で流れを見ている。まるで自身には関係ないとでもいうように、妙に浮ついた気分で。
そうして皆が視線を泳がせていた時ふと、カルラのオレンジ色が一点で止まった。
「ああ、挽回の機会を差し上げるとしましょうか」
笑みさえ浮かべながら、まるで救済を与えるように声を紡いだ視線の先。
そのオレンジ色が見据えるのはフェルダ侯爵、ではなく、彼の後ろで身を小さくしている間者の女。つまり、以前手紙を盗り損ねたことに対する名誉挽回の機会を与えようというのだ。
その唐突な施しの意図に、面子が一気に呆気に取られたような顔を浮かべる。そんな中、イヴァだけは笑みを湛えてカルラと間者を交互に見遣っていた。
首謀者が止める素振りを見せないだけに、カルラの自由な行動を誰も制止することが出来ない。
「いい案ですね。貴女であれば動きも俊敏ですから、うまくやれるはずです」
止めるどころか、期待を載せた声でイヴァは紡ぐ。しかしその明るい声とは裏腹に、そこにあるのは命令にも等しい温度だけ。
この首謀者に目をつけられた時点で、逃げる術など存在しないのだ。
「もちろん、こいつならイヴァ様のお役に立てますよ。っ、ほら、そうだろ!?」
フェルダ侯爵が慌てて間者の頭を掴み、ぐっと下げさせる。己のメンツに関わることを察してのそれは、間者を切り捨てるも同然の行為だった。万が一失敗すれば女の命はない。
こうして、大公の襲撃計画は骨組みを作り上げた。あとは、発案者であるカルラの細かい指導が入るだけ。
「警備は厳重ですが、大公が一人になる機会は必ずある。期待していますよ」
言い切り口元を覆ったカルラの薄い微笑みは、この場の誰の目にも留まることはなかったのだった。




