襲撃
それから2日後。広がる青空が廊下に差し込む皇城の別館にて、事件は起こった。
「──っ、殿下!!」
声を上げた公国の使者が思わず室内に飛び込む。そこに広がった光景は、まさに血の気が引くような惨事。「ジュゼッペ様!」と叫び声が虚しく響く中、客室中央に薄く滲んだ血痕の中に大公はいた。
正確には頭部周辺から血を流し、うつ伏せで倒れた状態で発見されたのだ。
そしてその傍に寄り添うように片膝をつく、白い長髪の男。
「騎士団長殿……っ、これは」
その声に男が反応するが早いか、使者は大公の元に駆け寄りその首元に手のひらを押し当てる。そこから伝わる鼓動は存外にも穏やかであり、彼の口からほんの小さな安堵の息が漏れた。
しかし、自国の君主が訪問先の国で倒れているというこの状況は変わらない。
そしてふと、扉から向かって左側、大公より少しばかり離れた位置に仰向けで倒れている黒髪の人間が目に入った。近くに転がるのは、血のついた置き物の彫像と短剣。
しかしその顔面は判別不能なほど潰され、体躯から女性だということがかろうじて読み取れるほど赤黒い血に塗れている。
「これは、一体」
諸々の混乱を抑え、彼はそう問いかけるので精一杯。対するカ白髪の男は「力不足で申し訳ない」と謝罪を述べるだけに留めた。しかしよく見れば彼は左腕を時折抑えており、その隙間から布に滲んだ赤が見える。
女の近くに転がる短剣から察するに、どうやら左腕を斬られたようだ。
「大公殿下が目を覚ますまで、公にすることは控えた方がよろしい。幸い深い怪我ではないので、すぐに目を醒まされますよ」
「っ、しかし、医者に見せなければっ」
「ご心配なく。私が呼んできますから、頭部に衝撃を加えないよう、寝台へ運んでください」
その言葉に「分かりました……!」と、使者はゆっくりと大公を横抱きにし寝台へ横たえる。その背を見つめ、男は小さく息を吐いた。
そうして男──カルラは黒髪の間者の亡骸を一瞥したのち、興味を失ったように別館の外へと出ていったのだった。
ーー
「お、様子どうだった?」
「別館が原因ぽいけど、全面立入禁止。入口の時点で近衛に止められたよ。すっごい怖い顔された」
皇室騎士団宿舎横の小屋。偵察に向かわせた太陽と月の隊員2名に問いかけたピエトロの向かいで、ルアは静かに目を閉じていた。
今朝皇城から侍従が宿舎に来たかと思えば、開口一番告げられたのは「指示があるまで待機」。そのため騎士団の面々は今に至るまで薄暗い食堂で顔を突き合わせているわけだが、もちろん黙って待機が出来るほど大人しい人間はここにいない。
「じゃあ中で何があったか分からないんだな」
「舐めんな。廊下の窓から入りましたー」
「おいおい。バレてねーだろーな?」
やれやれと椅子に背を預け呆れてはいるが、その言葉から滲むのは『よくやった』とでも言いたげな感情。そして偵察した2人によれば、どうやら騒がしさの中心はやはり2階か3階。もし2階なら、そこは大公殿下が宿泊している階である。
結局かろうじて確認できたのは、1階の階段前で侵入を防ぐように立った警備兵のみ。
「……大公殿下に、何かがあった」
目を瞑ったままそう呟けば、団員の視線がこちらに集まったのが気配で分かった。「にしては静かだよな」と隣で不思議そうに呟くソルを気にすることもなく、ルアは思考を巡らせる。
確かに、今朝の侍従の言葉以外はいたって普段と変わらない朝。しかし今日だけは、その静けさが妙に引っかかった。
喉にまとわりつくザラザラとした不快感が、閉じた暗闇の中でやけにはっきりと感じられる。
──この焦りにも似た落ち着かなさは、一体なんだろう。
ところで、皇城から来た侍従。あまり面識はないが、確かルーク様からの伝令を各々に届ける役割を持つ人物だと記憶している。通常であれば皇室騎士団への伝令は末端の侍従を使うところ、陛下側近の侍従という高位の人間を使った理由が思い浮かばない。
「体調不良で倒れたとか。にしちゃ、慌てた声が聞こえねえな」
「まあ皇城とも別館とも離れてるからな。無理もないだろ」
「でも、俺らが見にいった時も騒がしくはなかったよ。ただの予想だけど、具合悪いならもうちょっと侍女とかが走り回ってるんじゃないか?」
その言葉に「あー」と何人かが納得の声を漏らす。来賓、それも同盟国の元首なら陛下と同じような扱いになるはず。それが静けさと相まって、焦燥感を加速させていく。
……何かを、隠している?
「……もし、体調不良ではなかったら」
「ん、どしたルア」
「……いいや」
ふと、頭を過ぎった別の可能性。しかし仮にそれが事実だとするなら、この静けさはおかしい。
……いや、あるいは。
「なんか気味がわりーな。そう思うだろ?」
「ああ」
大公殿下に何があったのか。その答えは、食堂内の憶測に留まるばかりだった。
結局陛下からの呼び出しが下ったのは、それからしばらくの後。太陽が真上より西へ傾いた空の下、ルアとソルは陛下の執務室を目指して皇城へと足を踏み入れた。
そうして階段を登っていた時、ちょうど降りてきた公国の使者数名とすれ違った。皆一様に硬い表情を浮かべているが、取り乱すことのないよう静かに前へと足を進めている。
その明らかに普段と異なる様子にも会釈をしつつ、執務室まで曲がり角一つへと差し掛かった時。
「おや、二人とも。陛下に呼ばれて?」
反射的に足が止まったのと、聞き覚えのある声が届いたのはほぼ同時。曲がり角から姿を表したカルラ様を認識し頭を下げれば「昼だからと、考え事をしながら歩くのは勧めませんよ」と、いつかの夜にソルへ向けた言葉が降ってくる。
「ベギ……カルラ様にご挨拶──」
「結構。それよりも、早速名前で呼んでくださって嬉しいですよ」
彼はどうやら挨拶を遮るのが好きらしい。合理的と言ってしまえばそれまでだろうが、自身らの挨拶に割く時間さえ無駄なのかと余計な疑念が這い上がってくる。
それにしても、夜間警備を終えて帰宅しているはずの彼が、なぜここに。
「昼間から幽霊を見たような顔をしていますね。所用を終えたので今から帰ると、言いたいところですが、どうせなので警備の部屋に戻って仮眠を取ろうと思いまして」
どうやら胸中を見透かされていたらしく肩が強張る。だがいつもと違い、今日の彼はこれ以上追及する気がないらしく、「では、また」と言い残して横を通り過ぎていった。
その背中を不思議そうに見つめるソルを横目で一瞥し、再度執務室へと足を進める。
しかし、もし見間違いでないのであれば。
すれ違いざまの一瞬、ほんの一瞬だけ、カルラ様の左袖口から包帯のようなものが見えた気がした。
**
「大公殿下が襲撃……!?」
「ああ。公にするか否かは大公の意見を尊重するつもりだから、騎士団には口止めを忘れないようにな」
窓から差し込む陽光が薄暗い室内を照らす、陛下の執務室。今日はルークの姿は見えず、この部屋にいるのはディラン、ルア、ソルの3名のみ。
そんな中で告げられたあまりの衝撃に、二人は一瞬面食らったように固まった。
「っ、大公殿下の容体は……」
「まあ落ち着け。幸いなことに、ついさっき目を覚ましてね。俺もまだ顔を見に行けていないんだが、ルイ達に話を聞かせているところだ」
やはり、食堂で過ぎった可能性は間違いではなかった。それがストンと腑に落ちるとともに、目の前の現実がじわりとのしかかるような錯覚を覚える。
目を覚ました、つまり最悪の結果こそ回避できたものの、決して喜べる事態ではないことくらい自身にも分かってしまうのだから。
こうして、春の終わりが近づくこの時期。アステル公国大公の襲撃事件は、皇室騎士団の知るところとなったのだった。




