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条件

「っ、はぁ、は」

 自身の荒い呼吸と鼓動が耳を支配する。泥に沈む背の感触を遠くに感じるまま星空を睨んでいれば、不意に伸ばされたソルの手を左目が捉えた。どうやらいつの間にか立ち上がっていたらしく、呼吸を整えながらも真っ直ぐな緑がこちらを見据える。

 

 そんな光景を横目に、カルラは僅かに肩を上下させながらも涼しい顔で口を開いた。


「君の死角である右側を狙ったこと、僕は悪いと思っていませんよ。見えないことなど、戦場では関係ありませんので」

「っ……」


 思わず言葉に詰まる。見上げた先のオレンジ色からは他意など感じられず、ただ迷いなく突きつけられた現実がじわりと左胸に刺さった。

 確かに、右目が見えないというのは騎士として最大の不利。本来除隊させられていてもおかしくない状態で騎士団に身を置き続けられるのは、ひとえに陛下の型破りな采配のおかげだろう。


 だから恥じぬよう、他の部分で覆っていたつもりだったのに。

 

「……」

 そうして言葉が出ないまま、再び視線を夜空に逃がすこと数秒。


「立たねーのか?泥遊びしたいなら止めねーけど」

「……うるさい」


 未だ差し伸べられていたソルの手をようやく掴む。若干重心を引きつつ立ち上がれば、それを見計らったように白髪の男が再度口を開いた。


「まあせっかくの機会ですし、今回負けた理由をそれぞれ教えて差し上げましょう。まずソルから」


 そうして始まった、帝国騎士団の顔による忖度のない批評会。

 彼曰く、ソルは詰めが甘く、勝利に近づいたと確信した瞬間に手を抜く部分があるとのこと。それは、日頃手合わせをする自身もどこかで感じていたものだった。

 しかしカルラ様にまで見透かされるとは、単に分かりやすいだけか、それとも彼の団長としての観察眼が並外れているのか。

 

「俺ってそんな感じか?あーでも、言われてみれば確かに」


 どこか納得したように呟きつつ、ソルは一本ずつ指を折る。

 ただ浮かんだままに「あれと、あれもか?」と、普段より幾分か幼い声が夜空に溶けていく。その様に、ルアは無意識のうちに感心を覚えた。

 自身の弱点を真っ向から受け入れることなど、そう容易いことではないから。


「さて、次は君です、ルア」

 未だ空を見上げるソルを尻目にふと、声が先ほどよりも鮮明になった。


「君は熱中しすぎて、周りが見えなくなることがあります。先ほど然り、たかが訓練で貴族の首を折りでもすれば、その後に何が待ち受けているか分からないわけではないでしょう?」


 だから、後先考えるだけの理性を残しなさい。


「っ、後先、ですか」

「ええ。もっとも、君は目が見えないにしてはよく動けている方です。片目を失って7年にしては、まるで元々見えていない者のような精度なのですから、あとは短気にならないことですね」


 まるで飴と鞭のような、決して軽くはない言葉の羅列。彼に肯定されること自体に慣れない気味悪さを覚えながらも、そのオレンジ色からは嘲るような空気は感じられなかった。

 そんな様子に、僅かばかり肩から力が抜けかけたのも束の間。

 

「まあ僕に指摘される時点で、2人ともまだまだ甘いということですよ」

「……」


 静寂に溶けた言葉にやはり、と思った。だが同時に、普段と変わらない言葉にどこか安堵を覚えたのも事実で。


「……肝に銘じます」

  そんな言葉を素直に吐けるほどには、ルアはほんの僅かに力を抜いていた。



 ──しかし、次の瞬間にはそんな温かさもすぐに掻き消えていく。自身らが『カルラ様の膝をつかせたら勝ち』という勝負に負けた事実は変わらない。

 それは同時に、彼を剣術大会へ出場させる糸口を失ったことを意味している。たとえ端からカルラ様に有利な条件だった茶番だとしても、このままでは陛下に顔向けができないのだ。

 


 最初から、この賭けの結果は決まっていた。

 ならば、残された道はただ一つ。



「っ、おいっ!」


 次の瞬間、ルアの膝が溶けた地面に沈んでいた。『目的達成』に突き動かされ、もはやなりふりかまっていられない。

 そうして服越しの不快感とソルの驚声を意識の隅で感じながらも、続けて掌を沈めて頭を下げようとした刹那。


「ルア」


 びくりと肩が強張った。続けて「立ちなさい」と、夜風のような凪いだ声に息が詰まる。だが力が中途半端に入った身体は命令に反して動こうとせず、居心地の悪い静けさが一瞬を包んだ。

 しかし、次の瞬間。


「全く手のかかる」

「っ!」


 グイッと腕を持ち上げられ視界が揺れる。地面から勢いよく引き剥がされ視線を正面に戻せば、すぐ近くで見下ろすオレンジ色と目が合った。それも数秒、次の瞬間にはパッと手が解かれる。


「今、何をしようとしたか、分かっていますね?」


 温度の感じられない双眸に見下ろされ「……はい」と、渋々返事を溢すことしか出来ない。しかし、自身はあくまで下からの態度で頼もうとしたに過ぎない。

 そのため何が彼を不快にさせたのか見当もつかずにいれは、不意にため息が少し上から降ってきた。


「なら、なおさら反省してください。君たちはあくまで陛下の命で動いているに過ぎないのですから、彼の名前をもっと使うべきです。騎士が、軽々しく頭を下げることのないように」


 その言葉が落ちた瞬間ぴたりと、ルアの周囲から一瞬だけ音が消えた。

 彼は今、散々『騎士の真似事』と嘲られてきた自身のことを『騎士』だと言ったのか?


「……え」

 そしてどうやら面食らったのはソルも同じらしく、視界の端を緑の双眸を大きく見開く姿が掠めた。


 そうして、まるで彫像のように動きを失うこと、実に数十秒。


「さて、このまま引き下がってもらうのも良いですが、少し面白みに欠けるので」


 軽い声色でそう紡ぎ、おもむろに目元を擦って一拍。

 

「僕の提示す条件を飲んでくれるのであれば、今回に限って出場して差し上げましょう」

「っ……!!」


 まさかの発言により時間が止まった。風の音さえ鮮明に耳に届く中、発言者であるカルラは涼しい顔のまま言葉を続ける。


「今後3回、僕の言うことを『なんでも』聞くと約束するなら出場しても構いませんよ。先にそちらが言い出した文言です、異論はありませんね?」

「えっ、3回もですか?」

「おやソル、不満が?」


 笑みさえ浮かべながらそう問われ、次に我に返ったソルは「……ナイデス」と小さく答える。そうして自身らが続く言葉を口にしないのを肯定と受け取ったのか、口端だけを上げた笑みをそのままにカルラ様は口を開いた。


「では、早速一つ目。君たちに、僕の呼称を改めていただきましょう」

「呼称……?」


 ソルが言葉を噛み砕く音が夜空に溶ける。

 言わずもがな彼に対する呼び名は『ベギンズ様』だが、家名を呼ぶ以外に改めようが思い浮かばない。それとも『様』ではなく、『閣下』と改めればいいのか。


 しかしそれならば安いものだと、ルアが受け入れるように目を伏せた時。


「カルラで結構、名前で呼んでください。これが一つ目」

「!?お待ちくださいっ、それはいくらなんでも」


 思わず飛び出した驚声が夜空に響く。面と向かって家名ではなく名前を呼べなどとと、本来ならば絶対に有り得ない話。

 それが位の高い貴族であればあるほど、体面のためになおさら馴れ合う呼び方は好まないものなのに。


「ちなみに、式典などの公的な場以外全てにおいてですよ。他の者から『不敬だ』と咎められるでしょうが、構わず続けなさい」

「っ……」


 この男は、一体何を考えているのだろう。

 そんな疑問と怪訝が、おそらく顔に出ていたに違いない。


「おや、できないと顔に書いてありますね?では、この話はなかったことに」

 それだけ言い残し、こちらに背を向けた足音がやけに大きく響く。そうして数歩、その背中が遠ざかった時。

 

「待っ、てください!ベギンズ様」


 半ば叫んだ瞬間、ぴたりとその足が止まった。


「……何か、言いましたか?」

 ゆっくりと振り返ったオレンジ色の双眸がこちらを捉える。しかし何を言うでもなく、まるで何かを見定めるような、催促するような視線だけをこちらに寄越している。

 

 それは催促。彼の提示した条件を飲めという、無言の圧だった。

 そうして、引き伸ばされた猶予も一瞬。


「……どうか、よろしくお願いします。カルラ様」


 自身に倣って頭を下げたソルを横目に、喉奥から絞り出すようにその名を口にした。言い切った後の違和感と僅かな安堵感が、静かな空間に融けていく。同時にさあっと、草を僅かに揺らすほどの風の音が耳に届いた。


「はは、頭を上げなさい。少し、意地悪をし過ぎましたね」


 次に届いた、毒気のない愉しげな声色。言われるがまま同時に顔を上げれば、心底満足そうに細められたオレンジ色と目が合った。どうやら陛下もこの方も、強さの中に突拍子もない子供のような面を持っているらしい。


 そんなことを頭の片隅でぼんやりと感じつつ、再度頭を下げる。そうして報告が出来るという安心感と満足感を抱えたまま、ソルと共に宿舎へと戻ったのだった。



 ──二つの遠ざかる背を見つめ、軽く目元を擦った男は独り言ちる。


「そろそろ、僕はベギンズではなくなりますから」


 呟かれたその言葉が2人の背中に届くことはなく、夜風に攫われ消えていったのだった。



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