難題②
「晴れたとはいえ、やっぱり地面ぐちゃぐちゃだなー」
「……戦場が雨天だと思えば、良い訓練日和だろ」
そう返しつつ、細い三日月と星空をソルと共に眺める。「キレーな空だ」と感心したように呟いた男の隣で自身もまた、ぬかるんだ地面に立ちながら同じことを思った。
そうして以前蹴られた痛みを振り切るように右上腕をあえて振れば、青あざが黄色へと変色したそこに追い討ちの鈍痛が走る。
「おい、治りが遅くなるぞ。まあ利き腕が痛いと不便だよな、慣れたか?」
「……いや。お前みたいに左利きなら話は別だが」
「俺はお前みたいに右手使えるのすげーって思うぜ。まあ、それもすぐに治るだろーよ」
そんな、いつもの他愛ない応酬。しかし普段であれば息をするように交わすこのやりとりも、これからカルラ様を説得することを思えば意味のないそれが背中を押してくれるようにさえ思えた。
そうして天を仰ぎつつ宿舎から歩を進めていた時、不意に「あ」と漏れた声を耳が拾う。
「ベギンズ様だ、運いいな」
ふと、視線がソルと同じ方向に吸い込まれた。
そして次に目に入ったのは、数十歩先の皇城の外廊下を歩く白髪の男性の姿。ただの夜間警備であるというのに背筋を伸ばして気品を失わないその姿は、どうやらこちらに気がついていないらしい。
それに対し僅かばりの安堵を覚えたのも束の間、すぐに背中が重くなる錯覚に襲われた。
それもそのはず、今から会話をするのはおそらく自身らのことを快く思っていない人物。そんな相手に真正面から『依頼』をするなど、これ以上の無理難題はあまりないだろう。
そしてそれはどうやら、隣の金髪も同じ胸中であったらしい。
「陛下の頼みとはいえ、俺らが言っても断られそーだな」
「……良い返事をもらうまで、陛下に報告はできないと思った方がいい」
「だなー」
至って呑気な返答が夜空に消える。しかし次の瞬間そのままカルラ様に足を進めようとした姿を見て、頭よりも先に身体が動いた。
「っおい、ソル」
思わず彼の左手首を捕らえ、強引に近くの木の影へと引き込む。そうして勢いのまま両肩を掴めば、次に目に入ったのは不機嫌そうにこちらを見据える三日月の緑だった。「ルア、なんで止めんだよ」と口を尖らせる様からも、彼の無計画さが容易に見て取れる。
「……そのまま行ってどうするつもりだ。断られるに決まってるだろ」
「じゃあどーすんだよ、ここで待ってても同じだろ。俺は剣術大会に出てみたいんだよ」
その言葉でふと、肩を掴む手の力が無意識に緩んだ。
確かにここで待っていてもどうにもならないことは解りきっている。が、出来るだけカルラ様が縦に首を振ってくれるよう、最大限下手に出なければいけないのもまた解っている。でなければ、剣術大会への出場ははおろか陛下に満足な報告すら出来ないのだ。
そうして策を練ろうと思考を巡らせつつ、また動かれてはたまったものではないと半ば反射的にその金髪を右手で押さえつけた。
「行かねーから離せルア。ってか、いっそのこと『不敬だ』って殴られよーぜ。それで受け入れてくれるかもな」
どこか挑発的に笑いつつ身動ぎし、思ってもいないであろう軽口が夜空に吸い込まれていった、刹那。
ほんの僅かに、風が強くなった。
「僕が、そんな野蛮人に見えている訳ですね?」
「「っ!!」」
瞬間弾かれたように身体を捻る。次に頬を掠めたのは、間近に迫った白の長髪。
数秒遅れて右肩に手のひらの重さを感じるとともに、ソルの左肩にも同じく黒手袋が乗っているのが視認出来た。
さあっと、夜風の音だけが耳に届く。
「っベギンズ様にご挨拶……」
「結構、そういう場ではないので」
習慣的に口にしようとした挨拶だったが、軽く右手を上げた彼に制止されてしまい喉の奥へと沈んでいく。貴族への挨拶に『そういう場』も何もないだろうと思ったが、自身らのそれでさえ煩わしいのだと思い至り無意識に奥歯を噛んだ。
しかし、こうしていても始まらない。
そうしてルアは息を一つ大きく吸い込み、意を決してカルラに向き直る。耳が痛いほどの静寂が辺りを包む中、それを破ったのは躊躇いがちに口を開いたルアの硬い声だった。
「……では、単刀直入に言います」
そうは口にしたものの時折言葉に詰まりながら、陛下の発言を交えつつ剣術大会出場の旨を説明した。すると一拍置いて耳を掠めたのは、彼にしては珍しいため息。「またその話ですか」と続けたところを見るに、どうやら遠慮などではなく本気で嫌がっているらしい。
だが、こちらも引き下がるわけにはいかない。
「……なんでも受け入れます。どうか、出場していただけませんか」
きゅっと喉奥から声を絞り出す。
ここまで来ればもはや理不尽な暴力も覚悟の上。むしろそれで済むなら安い方だと、どこか他人事のように思いつつ彼の返答を待っていた時。
「……なんでも」
不意に、噛み締めるような声色が耳に届いた。まるで子供が初めて聞く言葉を咀嚼するような違和感にひゅっと、思わず息を呑む。
そうして、一拍。
「まあ、そんなに殴られたいと言うなら、そうですね」
ぞわりと首から背中にかけて、冬の水を浴びたような悪寒が走る。どこまでも平坦な声色に対し永遠にも感じられる一瞬を味わう中、次に聞こえたのはおよそ予想外のこんな言葉だった。
「では、僕と手合わせしましょう。一度でも僕の膝を地に着かせることができたなら、出場しても構いませんよ」
「……え?」
無意識で聞き返したのちに思わず身構えた。しかしその隻眼の奥に宿るのは、紛れもない好奇心。
事実として、帝国騎士団のような精鋭部隊と手合わせする機会など皇室騎士団には滅多に与えられない。それが騎士団長ともなればなおさらであり、加えて目の前のカルラはその腕をディランからも信頼されている。
そんなチャンスが、いきなり目の前に転がってきたのだ。当然、浮き足立つのも仕方のないことで。
「……光栄です」
ほぼ無意識に溢れ落ちた言葉。彼が何を思ってこの条件を提示したのかは解らないが、そんな疑問は既にルアの頭の片隅へと追いやられていたのだった。
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「っ、はッ!」
叫びにも近い声と共に訓練用の木剣を振り下ろす。それを難なく避けたカルラに苛立ちを覚えつつ、ルアは素早く次の斬撃を繰り出した。しかし横に薙いだそれでさえ、彼の髪先を掠めるに留まる。
地面に背を沈ませながら荒い呼吸を繰り返すソルは、そんな2人を横目で見やっていた。カルラの剣をあと少しで弾くはずが、気付けば逆に手から剣を奪い飛ばされていたことにより敗北を喫していたのだ。
そんな男に目もくれず、ルアは目の前の白髪だけを射殺さんばかりに見据えている。
「ルア、闇雲に剣を振り回さない。ソルとの試合を見て学ばなかったのですか?僕相手には通用しません」
ひらりと白の長髪が宵闇に舞った。その光景でさえ今のルアを刺激するには十分なものであり、無意識にぎりりと歯が軋む。
加えて先に対戦したソルがいくら彼のような『騎士』ではないといえ、男一人と対戦し終わった後なのは事実。その相手をいなしてこれほどの余裕を見せるカルラに対し、ルアの中には知らず知らずのうちに焦りが募るばかり。
そんな苛立ちをぶつけるように我も忘れ、次の瞬間ありったけの力を込めて彼の首元を狙った。
「はあッ!!」
短い呼吸音と共に剣が風を切る。しかし右から迫る物体を左目で視認した瞬間、思わず目を見開いた。
「そこまで」
ぴたりと首に触れた木剣の鋒。勝敗が決したのだと理解するよりも先に、自身の浅い呼吸が耳に届いた。そうして下方向から聞こえた声に導かれるようにして視線を下ろせば、そこにはしゃがんだままこちらを見上げるカルラ様の姿。
その両膝は地面に接しないよう僅かに浮いているらしく、ぬかるんだ地面に変化が見られない。『一度でも膝を着かせる』ことが勝利の条件であるこの取引において、この光景が指す事実は一つ。
つまり、自身の完全敗北というわけだ。
「っ」
ふらりと身体から力が抜け、ソルと同様に泥に背を沈める。立ち上がったオレンジ色に見下されるのは心底気に障ったが、そんなことを気にする余裕も持ち合わせてはいなかった。




