↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深淵 ――視線の先で、世界は静かに狂う  作者: 天冥麟


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
49/56

境界


 青年はなおも鍵盤へ手を置いたまま、動けずにいた。


 会場には困惑した空気だけが広がっている。


 麗もまた、その様子を静かに見つめていた。


 「会話出来て良かったです」


 隣から穏やかな声が聞こえた。


 男は青年へ目を向けたまま、小さく微笑む。


「行かないとならなくなりました」


 そう言って歩き出そうとした。


「あの……」


 男は足を止めた。


「これ以降は、赤の他人でお願いしますね」


 そう告げると、そのまま歩き出した。


 真っ直ぐ、ピアノへ向かって。


 男は警備の前で足を止める。


 会場へ向き直り、深く一礼した。


「皆様。先程は不肖の弟子が粗末な演奏を披露してしまい、誠に申し訳ございませんでした」


 再び頭を下げる。


「皆様がお許しくださるのであれば、弟子に代わり一曲披露させて頂いてもよろしいでしょうか」


 男は深く頭を下げた。


 拍手が会場に響く。


 警備へ目を向けた。


 誰一人として、その行く手を阻もうとはしない。


 男は青年のもとへ歩み寄る。


「これに懲りたら、最後くらいちゃんと挨拶して下がれ」


 青年は小さく頷く。


 立ち上がると客席へ向かって深く一礼し、静かに舞台を降りていった。


 男はその背を見送る。


 ゆっくりと椅子へ腰を下ろした。


 深く息を吸う。


 静かに吐き出し、鍵盤へ手を掛けた。


 男の指先が静かに鍵盤へ落ちる。


 澄んだ旋律が会場を包み込む。


 指先は乱れた音を追い、僅かなズレを一つずつ補正していく。


 音を整えても、また次の乱れが現れる。


 それでも男は止まらない。


 一音。


 また一音。


 旋律を繋ぎ続ける。


 曲は終盤へ入る。


 盛り上がりを迎えた。


 男の指は、その鍵盤を力強く叩く。


 ────終わった。


 だが。


 男は演奏を止めない。


 その一音を境に、音を気にすることをやめた。


 ただ。


 最後の一音まで、この曲を届けるためだけに。


 男の指は鍵盤を叩き続ける。


 旋律は勢いを増し、そのまま終幕へ駆け抜けた。


 最後の一音が静かに消えていく。


 男はその余韻を崩さぬまま、鍵盤から手を離した。


 静寂が訪れる。


 誰も声を発しない。


 ただ、その演奏の終わりだけを見届けていた。


 やがて男は静かに立ち上がる。


 客席へ向き直った。


 深く一礼する。


 頭が上がるよりも早く。


 割れんばかりの拍手が鳴り響く。


 誰一人として手を止めようとはしない。


 ただもう一度、小さく一礼した。


 その喝采を背に、静かに舞台を降りていった。


────


 千沙都は船の外廊下で、もらった名刺を見ていた。


「私って、意外と捨てたものではないわね」


 一枚ずつ眺めながら口元を緩める。


「麗は、上手くやってるかな……」


 名刺へ目を向けたまま、小さく呟いた。


「さっき船尾デッキに入っていった人がいたって聞いたのに」


「行っても入れなかったね」


 二人組の女性の会話が耳に入る。


 千沙都は名刺をしまうと、船尾デッキへ通じる通路へ向かった。


 警備が立っている。


 周囲に招待客の姿はない。


 千沙都はそのまま警備へ近付いた。


 警備と目が合う。


「お通り下さい」


「どうも。失礼します」


 千沙都はそのまま先へ進んだ。


────


 凛はビュッフェ台の前で料理を選んでいた。


「お嬢さん。そんなに沢山取って、お召し物が似合わなくなりませんか」


 聞き覚えのある声に振り向く。


「お姉ちゃん」


「はい。私は貴女のお姉ちゃんですよ」


 二人は他愛もない話をしながら、凛が料理を選び終えるのを待った。


「はい」


 凛が差し出した料理を、摩夜は口へ運ぶ。


「……凛」


「あなた……鳳菫さんを探してるって聞いたけど」


「ん?」


 摩夜は何も答えず、携帯電話を取り出した。


 一枚の画像を開き、指先で拡大すると凛へ見せる。


 そこにはテンの横で笑みを浮かべる鳳菫が映っていた。


 凛は目を見開く。


「お姉ちゃん。この人どこにいるの」


「……私から話すことじゃないわ」


「え?」


「その答えは、テンに聞いて」


「どこに行けば会えるの」


「場所は教えられる。でも……後悔するかもしれないわよ」


「……教えて」


 摩夜は自身の招待券を凛へ差し出した。


「これを持って船の後方へ。警備に見せればテンに会えるわ」


「分かった」


「必ず返してね」


 凛は受け取った招待券を握り締め、頷く。


 皿を摩夜へ預けると、そのまま船尾デッキへ向かっていった。


 入れ替わるように唯がやって来た。


「摩夜! 凛が慌てていたけど、何かあったの?」


「菫さんを探していたみたいで」


「それで船尾デッキへ?」


「ええ」


「良かったの?」


「もう後悔しているかもしれません」


 少し間を置く。


「でも……テンと関わる以上、向き合わなければならないことですから」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。