知らない過去
蘭は穏やかに微笑みながら二人の前まで歩み寄った。
「ご一緒しても……?」
「もちろん。私達は構わないけど……大丈夫なの?」
母親は会場へ視線を向ける。
「少し落ち着いたところですから」
蘭はそう答えると、麗の隣へ腰を下ろし、小さく礼をした。
「お久しぶりですね、麗さん」
「えっと……」
麗は小さく首を傾げる。
「どこかで、お会いしましたっけ」
「覚えていらっしゃらないのですね」
「ごめんなさいね、蘭さん」
母親は苦笑した。
「この子、こんな調子で覚えていなくて」
「それも当然ですね」
「三人とも幼かったですから」
「今日は、ジンの同伴者としてきたんですか?」
「いえ。ジンの同伴者は私の友人で、私はテンの同伴者として来ました」
「そう……なのですね」
「あなたの同居人は良い人なのですね」
母親はふと表情を曇らせた。
「どうして、テンが同居人だと……」
「実は、ジンから聞いていたものですから」
「そうなんですね。何故、良い人なのですか」
蘭は少しだけ視線を落とした。
「約束でも、なさったのではないかと思いまして」
「蘭さん。テンのことを、よくご存じなんですね」
「そうですね。その……理由を知りたいですか」
「そう話す理由が、私にあるんですよね」
「解釈は任せますが……後悔するかも知れませんよ」
母親は静かに息を吐いた。
止めることも、肯定することもなく、ただ娘を見つめていた。
麗は小さく息を吸う。
「それが…因果なら受け入れます」
「わかりました。では、『鳳 菫』という名前に心当たりはありますか」
麗は静かに考え込む。
「ごめんなさい」
一拍置き、蘭を見る。
「ただ、その方は蘭さんと姉妹ですか」
「そうです。妹がいました」
蘭は静かに頷いた。
「そして、菫はテンの恋人でした」
「テンの……恋人」
思わず、麗はその言葉を繰り返した。
「その様子だと、誰からも聞かされてないんですね」
「あんなにいい加減に見える人でも、『約束』だけは守る人でしたから」
「そう……ですね」
麗は静かに俯いた。
「だから、あなたとの『約束』を守って連れてきたと思い、『良い人』だとお伝えしました」
蘭は穏やかに微笑んだ。
「それに、テンが菫以外の同伴者を連れて来たのは、今日が初めてなんですよ」
麗はゆっくりと顔を上げる。
「あの、蘭さん」
「はい」
「菫さんって……」
「事件に巻き込まれて菫を失いました」
麗は言葉を失った。
蘭が告げた『後悔するかも知れませんよ』という言葉が脳裏を過る。
否定したかった。
けれど、今の麗にはその言葉を返すことができなかった。
「……あまりにも突飛な話でしたよね」
蘭は申し訳なさそうに微笑む。
「どう受け止めてくださっても構いません」
短い沈黙が流れる。
「そう言えば、蘭さん」
母親が穏やかに口を開く。
「ご両親のお姿を見かけないのだけれど、今回もいらしていないの?」
「ええ。父も母も来ていません」
「そう。公務で忙しいのね」
蘭は静かに頷く。
「公務……?」
麗の呟きに、蘭は穏やかに微笑んだ。
「父は、鳳 怜央です」
一拍置き、麗は静かに口を開く。
「……大統領の鳳 怜央ですか」
「麗」
母親が穏やかに声を掛けた。
「そろそろ、一階に戻って友人と合流した方がいいんじゃないの?」
麗は母親を見る。
「……そうかも知れない」
小さく頷き、蘭へ向き直る。
「蘭さん。お話出来て良かったです」
「こちらこそ」
麗は二人へ一礼すると、エレベーターに向かう。
「優しいですね、おば様」
蘭は穏やかに微笑んだ。
「ごめんなさい。あの子……限界みたいだったから」
「気にしないで下さい、おば様」
蘭は小さく首を振る。
「ちなみに、言い過ぎましたか、私……」
「いいえ」
母親は穏やかに微笑んだ。
「いつかは向き合わなければならないことですから」




