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深淵 ――視線の先で、世界は静かに狂う  作者: 天冥麟


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交錯


 三人が会場へ足を踏み入れると、賑やかな談笑と穏やかな旋律が迎えた。


 入口付近では、ビュッフェに並ぶ料理や飲み物を手に取る招待客達が思い思いに歓談し、会場中央では、テーブルを囲んだ幾つもの輪が広がっている。


 その先では、一台のグランドピアノが静かに旋律を奏で、周囲には数人の警備員が配置されていた。


  三人は、人の流れを妨げないよう会場の端へ歩みを進めた。


 周囲では談笑が絶えず、グラスが軽く触れ合う音と穏やかな旋律が溶け合っている。


 ジンは会場を一瞥すると、二人へ向き直った。


「まずは、この会場について説明しておこう」


 ジンは会場を見渡した。


「ここには、この船へ招待された各界の著名人や企業の代表が集まっている。目的は様々だが、多くは交流を深めるために参加している」


 二人は、談笑する招待客達へ目を向ける。


 笑顔で言葉を交わす者。


 名刺を差し出し、新たな縁を結ぶ者。


 グラスを片手に旧交を温める者。


「俺も何人か挨拶をしておきたい相手がいる。二人も同行するなら紹介はするが……どうする?」


 麗と千沙都は顔を見合わせ、小さく首を横へ振る。


「いえ、遠慮しておくわ」


「私も。足手まといになりそうだし」


「そうか」


 ジンは軽く頷く。


「なら、自分の招待券に記された番号だけは覚えておけ。それ以降は会場を出るまで、しまったままでいい」


 二人は頷き、それぞれの招待券へ目を落とした。


 麗は『一―二』。


 千沙都は『二―二』。


 互いに番号を確認すると、招待券をバッグへしまう。


「その番号は、非常時を除いて他人へ見せるな。もちろん口外もするな。中には番号を聞いて態度を変えるような輩もいる。余計な面倒は避けた方がいい」


「分かったわ」


「了解です」


「じゃあ、後でまた合流しよう」


 そう言い残し、ジンは人混みの中へ歩いていった。


 二人は、その背中を見送る。


「……どうする?」


 麗が尋ねると、千沙都は口元へ笑みを浮かべた。


「こんな機会、滅多にないもの」


 そう言って周囲へ視線を巡らせる。


「いい人を見つけてくるわ。後で合流しましょう」


「……ほどほどにね」


「善処しまーす」


 軽く手を振ると、千沙都も人混みへ姿を消した。


 一人になった麗は、近くのバーサーバーからシャンパンを受け取った。


 グラスを片手に会場を歩いていると、一人の男性が歩み寄る。


「失礼。もしよろしければ、ご一緒しませんか?」


 麗は小さく会釈した。


「私で良ければ……」


 二人は並んで歩き始める。


 男性は自身の仕事や、この船へ招待された経緯を穏やかに語る。


 麗は相槌を打ちながら話を聞く。


 穏やかな人なのだろう。それでも麗は息苦しさを感じていた。


 ふと視線を向けると、少し離れた場所で千沙都が男性と楽しそうに談笑していた。


「申し訳ありません。少し席を外します」


 男性は穏やかに微笑む。


「いいえ。こちらこそ、お引き止めしてしまい申し訳ありませんでした」


 麗はわずかに目を伏せた。


「いえ、お気になさらず。私もお話しできて良かったです」


 麗は軽く頭を下げ、その場を後にした。


 会場の空気から距離を置くように、入口へ歩みを進めた。


「――麗?」


 聞き覚えのある女性の声がした。


 麗はゆっくりと振り返る。


「お母──」


 母親は穏やかに微笑み、そっと首を横に振った。


「場所を変えましょう」


 そう言って歩き出す。


 麗は言葉を飲み込み、小さく頷いてその後を追った。


 二人は会場の奥にあるエレベーターへ向かう。


 扉が開くと中へ乗り込み、静かに閉まる。


 ゆるやかな振動とともにエレベーターが上昇する。


 母親は何も話さない。


 麗も黙って母親の側に立っていた。


 やがて二階へ到着する。


 エレベーターを降りた母親は、周囲を見渡した。


 二階にも談笑する声は絶えないが、席の埋まり方には偏りがあり、空席もいくつかあった。


 母親はその一つへ歩み寄る。


 二人は向かい合って腰を下ろした。


「来るなら言いなさい。私が一人で来ることもなかったのに」


「私もここに来ると思ってなかった」


「なら、『彼』と一緒じゃないの?」


「お母さん。私に彼氏なんていないけど」


「私が言っているのは同居人の方よ」


「……どうしてそう思うの?」


「季節の挨拶で、あの方は毎年品を送ってくれるでしょう?」


「毎年?」


「ええ。あなたは知らなかったのね」


 母親は手にしていた鞄を開き、ボイスレコーダーを取り出した。


「最近送られてきた品と一緒に、これが入っていたの」


 母親はボイスレコーダーを麗へ差し出す。


 麗はそれを受け取り、再生した。


(あの時の会話が録音されていた。テンに母親へ伝言はないかと聞かれ、散々文句を並べた時のものだった)


「お父さんは知らないから安心しなさい」


 麗は再生を止めると、録音データを削除した。


「なら、これでもっと安心ね」


 麗はボイスレコーダーを母親へ返し、笑みを浮かべた。


「消しても、私は内容を知ってますからね」


 母親は穏やかに微笑んだ。


「これに懲りたなら、態度を改めなさい」


「はいはい。善処します」


 不意に声が掛かり、麗は振り向いた。


「おば様」



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