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深淵 ――視線の先で、世界は静かに狂う  作者: 天冥麟


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歩み


 しばらくして。


 麗とジンはダイニングテーブルに腰を下ろしていた。


 執事とメイド達も静かに待機している。


 一拍。


 壁際へ移されたマネキンには、紺色のドレスが残されていた。


 その隣には、何も着ていないマネキンが並んでいる。


 不意に扉が開く音が響いた。


 麗は顔を上げる。


 数名のメイドが姿を見せた。


 その後ろから千沙都が姿を現す。


 誰も口を開かない。


 「見てないで、なにか感想はないわけ?」


 「馬子にも衣装」ね。


 「同感だ」


 「そこは普通に褒めなさいよ」


 一拍。


 千沙都は袖へ目を落とした。


 「それにしても……」


 「なに?」


 「このドレス、少し余裕はあるけど……ほぼ私にぴったりなのよね」


 一拍。


 「そうなんだ……」


 麗は小さく頷く。


 「麗」


 「なに?」


 「お前は試着しないのか」


 「……」


 「それでも構わないが……当日困るのはお前だぞ」


 「麗。本当に試着しないわけ」


 「……」


 ジンは一度、麗へ目を向けた。


 「お前は問題ないならドレスを脱げ」


 補助をしていたメイド達が前へ出る。


 その内の一人が千沙都へ手を差し出した。


 千沙都は軽くその手を取る。


 そのままメイド達と共に部屋を後にした。


 「俺に見せるのが、そんなに嫌なのか」


 麗は顔を上げた。


 「違うの。そうじゃないわ……」


 「そうか」


 ジンは小さく頷く。


 「なら、一晩ドレスを置いて行く」


 「試着の件……よく考えるんだな」


 「翌朝、こちらに回収へ向かわせる」


 「……わかったわ」


 「ありがとう」


 麗はテーブルへ視線を落とした。


 ジンもまた何も言わない。


 執事とメイド達は静かに待機していた。


 不意に扉が開く音が響く。


 千沙都が姿を現した。


 後ろに続くメイド達は顔を見合わせ、小さく苦笑していた。


 「ねぇ……千沙都」


 「なに?」


 「何かあったの?」


 「何もないけど……どうして」


 「いや。何もなければいいの」


 その時だった。


 「ジン様、屋敷へ戻る準備が出来ました」


 執事が一礼する。


 離れのメイドへ視線を向ける。


 「大変だと思うが頼んだ」


 「承知しました」


 メイドは小さく頭を下げた。


 ジンは踵を返した。


 執事とメイド達が後に続く。


 麗は立ち上がる。


 玄関へ向かおうとしたその時だった。


 「鍵でしたら、こちらで閉めておきます」


 麗は足を止める。


 「そう」


 執事は壁際のドレスへ視線を向けた。


 「そのドレス……似合うと思いますよ」


 「少なくとも、あなたにお似合いにならないものではないかと」


 麗は壁際のドレスへ目を向ける。


 「そうね」


 「翌朝までには試着しておくわ」


 執事は小さく一礼した。


 玄関の扉が閉まる音が響く。


 千沙都は壁際のドレスへ目を向けた。


 「楽しみだわ」


 「なにが?」


 「麗のドレス姿」


 「見せるなんて言ってないわよ」


 千沙都は肩を竦めた。


 他愛のない会話を交わしながら、夜は静かに更けていく。


 「麗」


 「なに?」


 「それ、いつ着るの?」


 「気が向いたら」


 麗はそれ以上、答えなかった。


 しばらくして。


 入浴を終え、各々が寝る支度を整える。


 時計の針も遅い時間を指していた。


 「では、お先に失礼します」


 メイドは一礼すると、階段を上がっていった。


 麗も席を立つ。


 「私も寝るわ」


 「そう」


 二人は階段を上がる。


 二階へ辿り着くと、それぞれの部屋の前で足を止めた。


 「おやすみ」


 麗が先に口を開く。


 「……おやすみ」


 そのまま自室へ入る。


 扉が閉まる音が響いた。


 しばらくして。


 一つの扉が静かに開く。


 麗は一階へ下りた。


 壁際のドレスの前で足を止める。


 麗は紺色のドレスへ手を伸ばした。


 「このドレス……ほぼぴったりなんでしょうね」


 一拍。


 不意に声が響く。


 「よろしければ、お手伝い致しましょうか」


 麗は振り返った。


 そこには離れのメイドが立っていた。


 メイドは人差し指を口元へ添える。


 「……気付いていたのね」


 「はい。申し訳ございません」


 「よろしければ、お手伝い致します」


 「……お願いするわ」


 やがて。


 麗は紺色のドレスに身を包んでいた。


 袖へ目を落とす。


 もっと堅苦しいものだと思っていた。


 だが、違う。


 見た目ほど動きを妨げる事もない。


 腕を軽く動かす。


 窮屈な感覚はなかった。


 「少々、お待ちください」


 そう言うと隣の部屋へ向かった。


 程なくして姿見を運び、麗の前へ静かに置く。


 麗は姿見へ目を向ける。


 姿見には、紺色のドレスを纏った自分が映っていた。


 二階。


 手摺越しにその様子を見つめていた千沙都が、小さく呟く。


 「似合ってるじゃない……麗」


 そう呟くと、静かに踵を返した。


 部屋の扉が小さく閉まる。


 その微かな音に、麗は顔を上げた。


 二階へ視線を向けた。


 「やはり、お似合いですね」


 メイドの声に、麗は姿見へ目を戻す。


 「……ありがとう」


 姿見は運び出される。


 麗はドレスを脱ぎ、マネキンへ戻した。


 「後は、やっておきますね」


 「よろしくね」


 麗は部屋を後にした。


────


 翌朝。


執事達はドレスを回収すると、

パーティー当日の段取りだけを伝え、

屋敷へ戻っていった。


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