聖女フミカは振り返らない
悪夢の一夜が明けた。
いつの間にかベッドに寝かされていたようだ。
政志の血に染まった制服も、髪や身体に着いた血痕すらも綺麗に拭き取られていた。
「お目覚めになられましたか?」
「あなたは?」
身体をベッドから起こすと、部屋の隅に立っていた一人の女性が私に話掛ける。
メイドではない。
一目で分かる鍛えられた身体、鋭い眼光、彼女は私の身の回りを世話する護衛の兵士だ。
「そうです、貴方の護衛騎士を務めるカリーナと申します」
「カリーナさんね」
私がスキルを使って彼女の心の中を見る。
怯えや敵意は無い、特に警戒する必要はなさそう。
「気が済みましたか?」
「ええ」
私に心を読まれていた事も分かっているのか、それなら話は早い。
「みんなは?」
「勇者様は別室に。
酷く怯えており、誰も部屋に来るなと」
「あっそ」
きっと政志を殺してしまった事と美愛の死に心を病んでいるのだろう。
頭は直ぐ冷静になって、また後悔に苛まれるの繰り返し。
馬場なんかどうでもいい。
アイツの事を考えるのも煩わしい。
殺したい程憎んでいたのに、今はそんな感情すら湧いて来ない。
「心配されないのですね」
「心配?」
「勇者様の事を」
「変かしら?」
「…少し」
カリーナは不思議そうな顔をしている。
「聖女様は勇者様と契りを結ばれていたと聞いておりましたので」
「…契りか」
確かに私は政志を裏切り馬場と肉体関係を結んでしまった。
しかし望んでそうなった訳ではない。
心の弱さにつけこまれ、1度だけのつもりだった。
しかし私の痴態を馬場はカメラで隠し撮りし、それからは何度も奴の性の捌け口にされた。
「望んで契った訳じゃないって事かな」
「それは…申し訳ありません」
「いいのよ」
察してくれたみたい。
でも分かってくれる人が居るのは嬉しい、誰にも相談出来なかったから。
「今は静養なさって下さい聖女様」
「分かりました。
でも鍛錬は早く始めるに越したことはないでしょう?」
カリーナの心の中は私が魔法の鍛錬を始めるにあたり、関係者からいつ頃が良いかを確かめるよう命じられていた。
馬場から性奴隷にされた悪夢の記憶なのに、それすら絶望せず頭を切り替えてしまう自分に驚く。
「話が早くて助かります」
「事態は急を要するのよね」
「そこまで…把握されているのですか」
少し驚いた表情のカリーナ。
別に大した事じゃない、昨日広間に居た人間の心を見ただけの事。
「今からでも良いわ」
「ですが…」
「早くしないと世界が手遅れになっちゃうわ」
「畏まりました、直ぐに魔法使いの手配を」
一礼し、カリーナは部屋の扉に手をかけた。
「政志と美愛の身体はちゃんと保管しといてね」
これだけは念を押さねばならない。
私が蘇生魔法を使えるようになれたら真っ先に政志と美愛を生き返らせてあげる。
それが私にできる唯一の償い。
もう私は政志の隣に居る資格はない、美愛と幸せになってくれれば。
「それが…」
カリーナは顔を曇らせる。
心を見るが上手く読めない、彼女は必死で何かを隠している。
「安心しなさい。
政志を生き返らせて、彼が帰還魔法を使えるようになっても、私は魔王を倒すまでは帰らないから」
勇者である馬場も元の世界に帰さない。
アイツは私と共に死地へ赴いて貰う、それが責任なのだ。
「浅利様の遺体が消えたんです」
「消えた?」
消えたってどういう事なの?
死んだらまたやり直すと昨日聞いた。
それは事実として確認したから間違いない。
「勇者と聖女以外の人間は死んだら元の世界に戻れるとか?」
「いえ、異世界の人間も魔王を倒すまで帰る事は出来ません。
勇者と聖女様以外の召喚者も同様の扱いです」
「それならなぜ?」
「もしかしたら帰還魔法を使い一足先に元の世界に…」
「政志が帰還魔法を使ったって言うの?
それは無いわ政志の息が止まるのを確認したのよ」
凄惨な光景だった。
馬場によって全身の骨を砕かれ、重傷を負った政志は虚ろな瞳で私を見つめていた。
「今際の際に浅利様のスキルが覚醒したのかもしれません」
「そんな筈ない!
政志は確実に死んじゃったのよ!」
政志は一足先に帰った?
でも政志の呼吸は止まっていた、間違いない事実。
「あの時、聖女様は浅利様の心を読まれましたか?」
「は?」
「浅利様の意識が消失されたと聖女様は確認されたのですか?
息が止まっても人の意識は直ぐに失われません」
沢山の戦場を経験してきたカリーナの言葉に返す事が出来ない。
あの時私は政志の心を見なかった。
正確には怖くて見ることが出来なかった。
「美愛にどうやって詫びたら…」
美愛を生き返らせても、政志は居ない。
馬場は必死で美愛を口説くだろうが、その想いは決して彼女に届かない。
美愛は馬場満男という男に好意を全く抱いてない。
高校まで美愛と同じ学校に来た馬場の行動はきっと恐怖だったに違いない。
「それが…川島様の身体も」
「美愛の遺体も政志と同じように消えたの?」
「はい…時を同じくして」
「……へえ」
それ以上何も言えない。
美愛は政志の死に絶望して死を選んだと思っていた、しかしそれは早とちりだった。
美愛は賭けたのだ。
どうしてかは分からないが、政志が最期の力を振り絞り帰還魔法を使おうとしている事を知って、一緒に帰ろうと自らの喉を切ったのか。
「くだらない…」
「聖女様?」
なんてくだらないんだ。
また頭が沸騰しそうだったが、急速に冷めて行く。
結局今回も私は政志に選ばれなかっただけの事。
私は結局美愛に敵わなかった。
3年前から政志と付き合い始めたが、1年前に現れた美愛の存在にいつか取られるかもしれないという恐怖に取り憑かれてしまった。
馬場とは美愛と政志の事で、お互い悩みを話す内に私はいつしか…バカだった。
「斎藤君と君島さんは?」
「お二人は現在治療中です」
「そっか…」
少し意外。
あの二人も政志達と一緒に帰ったと思ったんだけど。
「ただ二人共身体の損傷が激しく」
「直ぐに戦えないと」
「はい、特に骨折が酷く。
現在治療魔法を繰り返してますが」
「また魔法か」
あれだけの怪我をすれば、後遺症だって残るだろう。
この国の医療水準は知らないが、魔法の存在があるなら、元の世界より遅れているだろう。
しかし聖女の治癒魔法は神の奇跡とされる。
それなら間違いなく完治だ。
「先ずは二人から」
方針は決まった。
斎藤亮二と君島紗央莉の二人を助ける。
彼らには魔王討伐に協力して貰う。
特に恩義がある訳じゃない。
あの二人にも美愛の事で相談していたが、結局なにも解決しなかった。
今回は戦力になって欲しいだけの話。
無事に終われば帰れる。
元の世界に戻って、召喚された時間から仕切り直す。
ここで暴露された過ちの記憶もきっと消えているに違いない。
身体は治癒魔法で元通りにすれば痕跡は残らない。
私が処女と証明されればカメラの映像だって捏造だと言い張れる。
逆に馬場を脅迫で追い込む事も出来るわ。
「さあ行きましょう」
ベッドから起き上がり、部屋を出る。
楠野史佳から聖女フミカ、私の異世界生活はこうして始まった。
次閑話、政志と美愛サン達の会話




