第8話:『魔王軍の福利厚生改革』、悪の組織のホワイト化が止まらない
天界の最高神を脱税で一喝し、見事に追徴課税を叩きつけた翌日。
王宮地下四階の『第十三倉庫』には、相変わらず平和な静寂が戻っていた。
「……ふう。これでしばらくは変な来客もないだろ」
私は淹れたてのコーヒーを片手に、デスクの椅子に深く腰掛けた。
定時退社を阻むトラブルさえ起きなければ、この薄暗い倉庫は最高の隠れ家である。……そう思っていた、まさにその時だった。
ガタッ、と倉庫の重い鉄扉が控えめに開いた。
現れたのは、先日の魔王軍・財務部長ガスト。そして彼の後ろには、なぜかボロボロにやつれた一般の魔族兵士が何人か引き連れられていた。
「おや、ガストか。また何か面倒な持参金でも持ってきたのか?」
「いえ、アルト様。本日はご相談があって参りました」
ガストは神妙な面持ちで深々と頭を下げ、背後の兵士たちを促した。
兵士の一人がおずおずと一歩前に出ると、震える声でこう言った。
「あ、あの……! 我々は魔王軍の前線部隊の者です……っ! 財務部長の進める『経費削減』のおかげで無駄な予算は減ったのですが……その、私たちへの『夜勤手当』や『危険手当』がすべてカットされてしまい、毎日のように終電ならぬ終魔導カーのない時間まで働かされているのです……っ!」
「なんだって?」
私はコーヒーカップをソーサーに置いた。
「経費削減をしたのはいいが、それが末端の兵士へのしわ寄せになっていたのか?」
「はっ……! ガスト殿は『数字の効率』ばかりを重視するあまり、我々現場の労働環境をすっかり忘れておられたのです……っ!」
それを聞いたガストは、冷や汗をダラダラと流しながら「ぐぬぬ……」と歯噛みした。
私はフッと小さく息をつき、ガストを鋭い目で睨みつけた。
「おい、ガスト。前世のブラック企業でもよくあるパターンだな。上層部だけが数字の数字の黒字化に浮かれて、現場を使い潰す典型的なダメ経営だぞ、それは」
「はっ……! おっしゃる通りでございます……! ですが、我が魔王軍には『適切な労働法』というものが存在せず、どう改善すべきか分からず……っ!」
「なら、私が教えてやる」
私は立ち上がり、新しい白紙の稟議用紙を引き寄せた。
万年筆を手に取り、猛烈な勢いでペンを走らせる。
「魔王軍、改め『新生ブラック魔王軍(※ホワイト化を義務付ける)』の福利厚生改革案だ。よく聞いておけ」
完全週休二日制の導入(土日の魔王城攻防戦は禁止。勇者パーティとの戦闘は事前にスケジュールを調整すること)
夜勤手当および危険手当の全額支給(前日までの未払い分も含め、今すぐ現金で給与に上乗せしろ)
有給休暇の完全義務化(年間最低20日の消化を怠った場合、魔王のボーナスを全額カットする)
「――以上だ。これを『魔王軍・労務改善基本法』として今すぐ制定し、全軍に布告しろ」
書き終えた用紙に、ドカンと『完全承認および強制執行』のハンコを押してガストに突きつけた。
「な、なんと……っ! これを導入すれば、我が軍は『世界で最もホワイトな悪の組織』になってしまいますが……っ!」
「文句があるか? 人間も魔族も、労働基準法を守らなければ組織はいずれ崩壊する。お前の会社(魔王軍)を潰したくないなら、今すぐこれに従え」
私の圧倒的な正論の圧力の前に、ガストはゴクリと喉を鳴らし、両手でその書類を受け取った。
「……承知いたしました。我が魔王軍、これより『ホワイトな悪の組織』へと生まれ変わります!」
ガストがその改革案を魔界に向けて掲げた瞬間――。
魔界の空に、「今日から土日は完全休業だぁぁぁ! 有給消化ヒャッハー!」と歓喜の声を上げる魔王軍兵士たちの姿が映し出された。
かつての恐怖の魔王軍は、今や「福利厚生が完璧すぎる超ホワイトベンチャー企業」へと変貌を遂げたのである。
「ふう、これで現場の不満も解消されたな」
私は席に戻り、冷めかけたコーヒーを飲み干した。
その頃、街の住民たちは「魔王軍まで管理官様の労務改革でホワイト化してしまった……! これで世界に労働問題は一切存在しない……!」と、謎の感動に涙を流していた。
時計を見ると、ちょうど17時。
「よし、今日も完全に定時だ」
私は書類の山を綺麗に整理し、軽やかな足取りで倉庫の扉を閉めた。
神様も魔王も、結局のところ「適切な労務管理と事務処理」さえあればどうにかなる。
今日も今日とて、定時退社を果たす私の足取りは、どこまでも軽やかだった。




