第6話:『魔王城の経理監査』、まさかの抜き打ち査察にやってくる
定時退社を完璧にキメた翌朝。
王宮地下四階の『第十三倉庫』の扉を開けた瞬間、私は思わずその場で固まった。
「……なんだ、これ」
いつものカビと古文書の匂いに混じって、なぜか高級なコーヒー豆のような上品な香りが漂っている。
それだけではない。いつもならガラクタが散らばっているはずの作業スペースが、誰の手によって綺麗に掃除されたのか、ピカピカに磨き上げられていたのだ。
そして、私の席の前に鎮座していたのは――。
「……おや、噂の『伝説の最高管理者』殿か。思っていたよりも、実に若々しい青年ではないか」
銀髪を綺麗にオールバックにし、完璧な仕立てのフロックコートをまとった、いかにも「デキる男」風の美しい魔族の男が、優雅に紅茶を啜りながらそう微笑んだ。
その背後には、冷や汗を流しながら直立不動で控えるセレスティアの姿がある。
「あ、アルト様……っ! その、あのですね……っ!」
「おいセレスティア、誰だこの不法侵入者は。魔王城の人間か?」
私が怪訝な顔をすると、優雅な魔族の男はフッと上品に笑い、自分の胸に手を当ててお辞儀をした。
「失礼した。私は魔王城・総務部長兼、最高財務責任者の『ガスト』という。昨日は我が軍の年間予算案を完璧な赤ペン添削で修正していただき、誠にありがとうございました」
「……ガスト?」
私は眉をひそめた。昨日の今日で、魔王軍の幹部が直接ここに乗り込んできたというわけか。
「で、なんだ? 却下された予算案の文句でも言いに来たのか? 残念だが、鉛筆の過剰発注と計算ミスがある書類は、何度持ってきたって受理しないぞ」
私の言葉を聞き、財務部長ガストは怒るどころか、むしろ感動したように両目を輝かせた。
「とんでもない! むしろ逆です!」
「逆?」
「我が軍はこれまで、力と恐怖だけで組織を運営してきました。しかし、ガバナンスは崩壊し、備品は消え、経理はズタボロ……。そこへあなた様が下してくださったあの『的確すぎる是正勧告』! 我々は目からウロコが落ちる思いでした!」
ガストは懐から、昨日私が赤ペンで真っ赤に染め上げた「魔王城の予算台帳」を取り出し、まるで宝物のように両手で掲げた。
「見てください! あなた様が指摘してくださった『トイレットペーパーの芯の経費外計上』、そして『鉛筆の適正化』! これらを導入しただけで、なんと今月の魔王城の無駄な経費が三割も削減されたのです! さらに計算ミスを修正したことで、長年行方不明になっていたブラックボックスの予算まで発覚しました!」
「……はあ」
私は思わず遠い目をした。魔王軍の組織改革を代行するつもりなんて毛頭なかったのだが。
「つきましては!」
ガストはガバッと立ち上がり、私のデスクの前に深々と頭を下げた。
「我が魔王城の『最高財務顧問』として、ぜひあなた様をお迎えしたい! 給与は現在の十倍、専用の社用車(※特級魔導カー)と、毎日最高級のコーヒーを支給します! どうか我が軍の経理を立て直してくだ……っ!」
「お断りだ」
即答だった。
「なっ……!? 即答ですか!? 条件に不満が……?」
「そういう問題じゃない。魔王軍の顧問になんてなった日には、残業の嵐で定時退社ができなくなるだろ。第一、私はこの王宮の窓際で、のんびり書類を整理して定時で帰りたいだけなんだ。邪魔をするなら、お前のそのフロックコートにも『書類不備・即時退去』のハンコを押すぞ」
私の冷徹な視線と、手に握られた『却下』のハンコを見た瞬間、財務部長ガストはピクリと体を震わせた。
「……ふっ。流石はすべての理不尽を事務手続きで圧倒する『最高管理者』殿。一筋縄ではいきませんか」
ガストは苦笑しながら身なりを整え、スッと私に一礼した。
「ですが、我が魔王城はあなた様の指導に深く感謝しております。今後は『抜き打ち査察官』として、定期的に我が軍の会計をチェックしに来ていただけないでしょうか? もちろん、お忙しいでしょうから、面倒な手続きはこちらで全て代行します」
「……定期的に書類を送ってくれるなら、勝手にしろ。ただし、締め切りは厳守な」
「はっ! ありがたき幸せ!」
ガストが満足げに一礼し、優雅に倉庫を去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、私は大きく息をついた。
「まったく……変な奴らに気に入られたもんだ」
「あ、アルト様……魔王軍の幹部をあんな風にあしらえるの、世界であなただけですよ……」と、セレスティアがすっかり呆れた顔で呟く。
だが、これで魔王軍の無駄な予算申請も減るだろう。
時計を見ると、ちょうど午前十時。今日も今日とて、私の平和な(?)デスクワークは順調に滑り出していくのだった。
――さて、午後の書類を片付けたら、今日もさっさと定時で帰るとしよう。




