第5話:『魔王城の年間消耗品発注書』、鉛筆の本数まで赤ペンで突っ込む
定時退社を完全に死守した翌朝。
王宮地下四階の『第十三倉庫』は、相変わらずカビ臭い空気と静寂に包まれていた。
「さて、今日は何が届いてるかな」
俺――アルトはマグカップに入れた温かい紅茶をすすりながら、机の上に山積みとなった書類の束に目を向けた。
天界や英雄パーティといった面倒な連中の処理を終え、ようやく日常の「地味な事務仕事」に戻れる。そう思っていた矢先、私の目に飛び込んできたのは、ひときわ分厚く、なぜか周囲に黒いもやをまとった不気味な黒表紙の台帳だった。
「……おや?」
表紙をめくると、そこには血のような赤いインクでこう書かれていた。
『――【魔王城総務部:来年度における年間消耗品調達および予算配分計画書】』
「……魔王城の、総務部?」
思わず声が漏れた。
魔王軍といえば、世界を恐怖のどん底に陥れるはずの最高悪の軍勢ではないのか。それがなぜ、王宮の端っこにあるこの窓際倉庫に「消耗品の発注書」を送ってくるのか。理解に苦しむ。
「どれどれ……」
俺は首をかしげながら、その分厚いページをパラパラとめくり始めた。
中身を読み進めるにつれて、私の顔はみるみる険しくなっていった。
「なっ……なんだこれ……!」
「ひっ! また何かすごい不備が……!?」
隣で怯えていたセレスティアがビクッと肩を震わせる。
私は怒りに任せて、トントンと机を指で叩いた。
「これを見ろ、セレスティア! 魔王城の奴ら、鉛筆の年間発注本数が『五億本』になっているぞ! 魔王城の兵士の数から考えて、一人あたり年間で何本消費する計算だ! 毎日一本丸ごと削りカスにして遊んでるのか?」
「し、知りませんよそんなの……っ! ていうか、魔王軍の予算計画書になんでアルト様がキレてるんですか……っ!」
「怒るに決まってるだろ! 物品の管理がガバガバすぎるんだよ! しかもこれ、トイレットペーパーの芯の処理費用まで予算に計上されてるぞ。経費で落とすな、そんなもん自腹で切れ!」
前世のブラック企業でも、無駄な文房具の発注や不透明な経費の計上は徹底的にチェックされたものだ。魔王軍だからといって、このずさんな経理処理を見逃すわけにはいかない。
さらにページをめくると、トドメとばかりにとんでもないミスが見つかった。
「おい、これ……『復活の儀式用・生贄の羊の餌代』の項目、計算が二千ゴールド合ってないぞ。足し算すらまともにできないのか、あの魔王軍の経理担当者は!」
「ま、魔王軍の経理なんて、きっと血も涙もない鬼の会計士とかがやってるんですよ……っ!」
「鬼の会計士だろうが何だろうが、社会人としての基礎がなってないのは一緒だ!」
私はすっかり火がついてしまい、真っ赤なボールペンを手に取ると、恐ろしいスピードで書類にバツ印と修正指示を書き殴っていった。
「よし、全面却下だ」
ドカン、といつもの『却下』の特大ハンコを押す。
さらに、備考欄に容赦のない赤ペン添削を書き添えた。
『――【却下および経理是正勧告】鉛筆の発注数は過去の消費実績の10倍になっており、明らかに過剰在庫のリスクがある。適正数(五万本)に下方修正のこと。また、トイレットペーパーの芯の処理費は経費外。そして何より、加算の計算ミスが多すぎる。来週までにエクセル……ではなく魔導台帳の再計算を行い、健全な予算案として再提出しなさい。さもなくば、魔王城の全文房具の調達を凍結する』
「よし、完璧だ。これ、魔王城の総務部に送り返しておいて」
「い、いいいいいいいいい、いいのですか……っ!? 相手は魔王様ですよ……っ!? 魔王軍の予算案を赤ペンでガッツリ添削して突き返すなんて、世界征服の計画より恐ろしいことを平気でするんですね……っ!」
セレスティアが泣きそうな顔でその黒い台帳を受け取り、恐る恐る魔王城の方向へ掲げた。
瞬間――。
魔界の空を不気味に覆っていた黒雲が、まるで冷や汗をかいたかのようにサーッと引き、代わりに空の彼方から、魔王の情けない絶叫が全大陸に響き渡った。
『な、なんだと……!? 我が軍の予算案が、あの伝説の管理者様に「計算ミス」と「鉛筆の過剰発注」で真っ向から却下されただと……っ!? すぐだ! すぐにエクセル……いや、正確な魔導台帳を作り直せぇぇぇ!!』
その声を聞きながら、私は冷めたお茶を飲み干した。
「ふう。やっとこれで、魔界の無駄遣いも減るだろう」
その頃、街の商人たちは「魔王軍の予算計画まで管理官様が正してくださったぞ……! これで経済の無駄がさらに消える……!」と、謎の感動に包まれて歓喜の声を上げていた。
外がどれだけ騒がしくとも、私のるつぼのような(あるいはゴミ溜めの)地下倉庫は平和そのものだ。
時計の針を見ると、ちょうど17時を指していた。
「よし、今日も完全に定時だ」
私は立ち上がり、コートを羽織る。
魔王の予算を赤ペンで叩き直そうが、神々を門前払いにしようが、私にとって一番大切なのは「定時で帰って温かいスープを飲むこと」に他ならない。
「じゃあな、セレスティア。また明日」
「あ、アルト様、お疲れ様です……!」
今日も今日とて、最強の事務処理能力(と社畜魂)を持つ窓際事務員アルトの平和な日常は、寸分の狂いもなく守られるのだった。




