第4話:『英雄たちの褒賞申請書』、過労死リスクで容赦なく突き返す
定時退社を完璧に死守し、定時にパソコン……ではなく万年筆を置いて退室した翌日。
王宮の地下四階、『第十三倉庫』のドアを開けた瞬間、俺――アルトの目の前に、信じられないほど分厚い金の装飾が施されたファイルの山がドスンと積み上げられていた。
「おいおい……なんだこれ」
思わず声が漏れる。デスクの端には、いつものように青い顔をした聖女のセレスティアが、申し訳なさそうにペコペコと頭を下げて立っていた。
「あ、アルト様……お疲れ様です。ええと、それ……昨日の夕方、例の『魔王討伐を成し遂げた英雄パーティ』が直接持ってきた、褒賞の追加支給に関する申請書です……」
「英雄パーティが?」
俺はため息をつきながら、その豪華絢爛なファイルを開いた。
表紙には『英雄凱旋に伴う特別功労賞および全土領地割譲・報奨金増額に関する一括申請書』と大書されている。中身をパラパラとめくっていくと、その要求のえげつなさに思わず目が点になった。
「なんだこれ……。王都の一等地をまるごと自分たちの私有地にしろ? それに、報奨金の額も国家予算の半分に匹敵するぞ。いくら魔王を倒したからって、欲張りすぎだろ」
「そ、そうですよね……。一応、彼らは世間では『人類の救世主』と呼ばれていて、誰も文句が言えない立場なのですが……」
「立場がどうとか関係ない。問題はそこじゃないんだよ」
俺はさらにページの後半、各メンバーの「直近三ヶ月の勤務実績および健康診断書」の項目に目を走らせ、盛大に舌打ちした。
「おい、これを見ろ。剣士の男、直近三ヶ月の月間労働時間が『420時間』。魔法使いの女は『450時間』。これ、完全に労基法違反のブラック労働じゃないか!」
「ろ、労基法……? なんですかそれ?」
「過労死ラインを遥かにブチ抜いた違法労働のことだ! こんな状態で大金や領地を与えてみろ。数ヶ月以内に全員、過労とストレスでポックリ逝くか、あるいは精神を病んで王国にクーデターを起こすのがオチだろ!」
前世のブラック企業で「社員は使い捨ての駒」扱いされて体を壊しかけた俺にとって、この手の過労放置は最も許しがたい悪習だった。英雄だろうが何だろうが、人間に変わりはない。休むときはしっかり休ませるべきだ。
「これじゃあ、絶対に受理できないな」
俺は迷わず赤のボールペンを手に取り、申請書の冒頭にドカンと『全面却下』のハンコを押した。
さらに、備考欄に怒りを込めてガリガリとペンを走らせる。
『――【却下および是正勧告】過度な労働による過労死リスクが極めて高いため、本申請は受理しない。英雄パーティの全員に対し、直ちに最低「二週間の強制有給休暇」の取得を命じる。温泉でも行ってマッサージでも受けてこい。心身の健康管理が完了するまで、報奨金および領地の授与は一切凍結する』
「よし、完璧だ。これ、本人たちに突き返してこい」
「ひ、ひえぇぇぇ……っ!? 世界を救った英雄の皆様に『温泉でも行ってこい』なんて書いた書類を渡したら、私、一瞬で消し炭にされちゃいますぅ……っ!」
セレスティアが半泣きになりながらブルブルと震えたが、俺は冷徹に書類を彼女の手に押し付けた。
「いいから行ってこい。役所の正しい指導に従わない奴に、報酬を与える権利はない」
震えながら倉庫を飛び出したセレスティアが、王宮の広場で待ち構えていた英雄パーティ(筋肉隆々の剣士や、高慢ちきな魔導士など、いかにもな面々)にその書類を差し出した瞬間――。
広場全体が、凍りついたように静まり返った。
「な、なんだと……? 我々の申請が……却下されただと……?」
剣士の男が震える手でその書類を受け取り、赤ペンで書かれた『過労死リスク』『強制有給休暇』『温泉でも行ってこい』の文字を読み上げた。
周囲の観衆が「えっ、英雄様ってそんなに働かされてたの?」「ブラックすぎるでしょ……」「それをバッサリ切るなんて、管理官様はなんて慈悲深いんだ……!」とざわめき始める。
しかし、当の英雄たちは違った。
彼らは魔王との戦いで心身ともにボロボロでありながら、「もっと働け」「休むな」と周囲からプレッシャーをかけ続けられていたのだ。そんな中、あの「すべてを裏で操る伝説の管理者様」が、自分たちの健康を真剣に案じ、公式に「有給」と「温泉」を命令してくれたのである。
「ぐっ……! お、俺たちの体を……そこまで案じてくださっていたとは……っ!」
剣士の男がポロポロと大粒の涙を流し、その場で崩れ落ちた。
「そうだ、俺たちは疲れていたんだ……! 毎日魔王軍をボコボコにして、休みなしで働き続けて……。管理官様は、俺たちに休めと言ってくださっているんだ……っ!」
「なんてお優しいお方なんだ……! これが……真のトップの気遣いというやつか……!」
魔導士の女も感動のあまり膝をつき、全員がその場で「ありがとうございますぅぅぅ――っ!!」と号泣しながら平伏した。
その日の夕方。
英雄パーティは国中から絶賛されながら、大慌てで高級温泉街へと旅立っていき、王国から「ブラック労働の温床」という不名誉なレッテルが綺麗さっぱり消え去ったのだった。
その頃、地下倉庫のデスクにて。
ふう、と小さく息をつきながら、俺は時計の針を確認した。
時刻は17時00分。ぴったりの定時だ。
「よし、今日も完全に予定通り終わったな」
俺はジャケットを羽織り、ルンルン気分で倉庫の鍵を閉めた。
英雄たちがどうなろう知ったことではない。今夜はスーパーの特売日だ。美味しい鍋の具材を買って、寮でゆっくり温かいスープを飲むとしよう。
今日も今日とて、窓際事務員アルトの平和な日常は、完璧な定時退社とともに守られるのであった。




