第3話:『神々の降臨要請』、書類の不備を指摘して門前払い
定時退社を完璧にキメて寮へ戻り、スーパーの特売で手に入れた少し良いレトルトスープで一日の疲れを癒やした翌朝。
王宮の地下四階、『第十三倉庫』の空気は相変わらずカビと古文書のインクの匂いで満ちていた。
「ふあぁ……よく寝た」
俺――アルトはあくびを噛み殺しながら、自分の作業デスクに腰を下ろした。
相変わらずの閑職であり、誰も足を踏み入れないはずのこの倉庫だが、最近は専属の監視役(という名のパシリ)である聖女のセレスティアが朝早くから出勤してきて、お茶を淹れてくれるのが日課になっている。
「アルト様、おはようございます……。ええと、今朝もまた、すごく重々しい雰囲気をまとった書類が届いていまして……」
「ん、また変なもんが来たのか?」
セレスティアが両手で恐る恐る差し出してきたのは、純白の羊皮紙に黄金の箔押しが施された、いかにも高級感漂う分厚い巻物だった。
表紙にはこう書かれている。
『――【天界・直轄事項:神界と人間界の交流促進に関する「最高神降臨」特別入館許可申請書】』
「また大層な名前だな……。どれどれ」
俺はため息をつきながら、その巻物をパカリと開いた。
中身に目を通し始めると、わずか数行で俺の眉間にシワが寄る。
「おいおいおい……」
「ひっ! な、何か不備がございましたかっ……!?」
「不備どころじゃないだろ、これ。まず、入館証の有効期限が三百年前に切れている。更新手続きを怠ったまま神様が勝手に地上へ降りようなんて、完全に王宮の出入管理規則違反だ」
俺は指を折りながら、次々と問題点を挙げ連ねた。
「それに、『身分証明書のコピー』が添付されていない。これじゃあ、本当に最高神本人なのか、それとも変装した不審者なのかこっちで判断できないだろ。極めつけはこれだ……『降臨に伴う衝撃波および騒音規制』の同意書が白紙じゃないか」
「さ、さいこうしんを不審者扱いしないでください……っ! ていうか、神様の降臨に騒音規制なんてあるんですかっ!?」
「当たり前だろ! 街の真ん中で突然神様が降り立ってごらんみろ、凄まじい爆風と光で周辺住民の鼓膜が破れるし、窓ガラスが全枚数粉々になるわ! 周辺住民の健康被害やインフラへの損害に対する補償プランをどうするつもりだ」
前世のブラック企業でも、大規模なイベントをやる際は近隣への根回しと許可取りが鉄則だった。ましてや、神様だからといって書類の不備を見逃していい道理はない。
「これじゃあ、絶対に受理できないな」
俺は迷わず赤のボールペンを手に取り、申請書の真ん中に容赦なくバツ印を書き込んだ。
そして、デスクの引き出しから取り出した一番インクの濃い『入館不可』の特大ハンコを、これでもかと力強く押す。
さらに備考欄へ、サラサラとペンを走らせた。
『――【却下理由】入館証の期限切れ、身分証明書の添付漏れ、および騒音規制に関する同意書の未提出。以上の不備を速やかに改善し、近隣住民への補償プランを添えて再提出のこと。なお、再提出の期限は来月頭とする』
「はい、処理完了。これ、また神界の受付窓口の方へ送り返しておいて」
「い、いいいいいいいいい、いいのですか……っ!? 相手は全宇宙を統べる最高神ですよ……っ!? そんな赤ペン添削して送り返したら、天罰が下ってこの王国ごと消し飛ぶかもしれませんよ……っ!?」
セレスティアが青を通り越して真っ白な顔になり、ガタガタと全身を震わせながら悲鳴を上げた。
しかし、俺はどこ吹く風といった様子で、お茶を一口すする。
「大丈夫だろ。ちゃんとした手続きを踏みなさいって役所からの正しい指導なんだから、向こうの担当者も『あ、すいません記入漏れでした』って直して再提出してくるさ」
(そんな呑気なこと言えるの、世界でアルト様だけです……!)と心の中でツッコミを入れたセレスティアだったが、逆らうこともできず、引きつった笑みを浮かべながらその巻物を空へと掲げた。
瞬間――。
王都の空を覆い尽くそうとしていた、眩暈がするほど神々しい「最高神降臨の聖光」が、パァン! とまるでシャボン玉が割れるような音を立てて、綺麗に消滅した。
代わりに、全大陸の人々の脳内に直接響き渡るような、巨大な幻の文字が浮かび上がる。
『【システム通達:事務手続き上の不備(入館証の期限切れ・騒音同意書の未提出)が指摘されたため、最高神の降臨を一時延期します。至急、補償プランを作成し、再提出を行ってください】』
その瞬間、天界の方角から「ぬおっ!? 書類不備だと!? わしのサインに不備が……っ! 急いで書類を直せぇぇぇ!!」という最高神の慌てふためく情けない悲鳴が、わずかに聞こえた気がした。
王都の住民たちは「神様の降臨が、役所の書類不備で延期になったぞ……?」「さすが神聖なる管理者様、神さまで容赦なく門前払いとは……!」と、謎の納得と畏敬の念を抱きながらざわついている。
「ふう、静かになってよかった」
俺は満足げにうなずき、セレスティアが入れてくれたコーヒーで一息つく。
騒音に悩まされることもなく、平和な執務室(という名のゴミ溜め倉庫)の時間が戻ってきた。
「さて、午後の仕事は……魔王城からの『年間消耗品発注書』のチェックか。あそこの魔物ども、いつも鉛筆の本数とトイレットペーパーの数を書き間違えるから面倒なんだよな……」
俺が小さくため息をつくと、扉の向こうでは、神々の降臨すら赤ペン一つで追い返した「謎の最高管理者」の正体を突き止めようと、第一王子や高官たちが血相を変えて土下座の準備を始めていた。
だが、そんな外界の騒乱など知ったことではない。
今日も今日とて、俺は定時退社を死守するために、黙々と書類を捌くのだった。




