〈3.香水瓶と悪夢の連鎖〉
その日、アリシアは新しい花の種を見に行くと言って外出したらしい。
しかし、学園の寮の門限を過ぎてもアリシアが帰ってこず、知らせを受けた子爵家や心配した侯爵家、果ては警察まで出動して捜索を行ったものの、彼女は見つからなかった。
なぜ令嬢が一人で出歩いていたのかって? 当時は街の治安が向上したこともあって、良家の令嬢でも一人で外出する機会が増えていたそうだ。
また、領地が学園に近いカミロや街にタウンハウスを持つディルフィーナは学園に通学していたが、アリシアは学園内の寮で生活していた。
寮生は規則上連れていける使用人の数が少ないこともあり、少しくらいの外出であれば一人で出掛けることは珍しくなかった。
アリシアが行方不明になったことで、婚約者であるカミロも話を聞かれたが『居なくなった日はアリシアには会っておらず、自分は何も知らない』の一点張りで捜索には非協力だった。
特に脅迫等の連絡もなく、誘拐された可能性は低い。また、本人もその実家も恨みを買うようなことはしていない。
そうなると事件の可能性は低く、婚約者との仲が上手くいっていなかった令嬢が流行りの演劇や小説に触発されて、家出もしくは別の誰かと駆け落ちでもしたのではないか、という話が人々の間で囁かれ出した。
警察も侯爵家からせっつかれたことで、事件の可能性ありとして捜査はしていたが(どうせ、よくある家出か駆け落ちだろう)という億劫そうな雰囲気が隠しきれていなかった。
目立つ存在でもない下級貴族の令嬢の失踪事件など、すぐに関係者以外の記憶からは消える……と思われていた。
——最初に異変が起きたのはカミロの浮気相手の男爵令嬢ブレンダだった——
彼女もまた寮で暮らしていたのだが、アリシアが行方不明になって三ヶ月程経った頃から、急に体調を崩したといって部屋から出なくなったのだ。
元々何度も絡んでいたアリシアが行方不明になったことで、肩身の狭い思いをしていたらしいブレンダは部屋に引きこもりがちになっていたが、授業にすら出なくなるのは異常だった。
心配した友人……は特にいなかったので、教師から様子を見にいくよう頼まれた生徒が彼女の部屋を訪れてみれば、そこには目元に深い隈を作り、髪も服もぼさぼさのまるで幽鬼のような姿のブレンダが居た。
「ひっ!」
悲鳴をもらして後退る生徒には目もくれず、ブレンダはアリシアの香水瓶を見つめ、頭を掻きむしりながらブツブツと独り言を繰り返していた。
「される……ろされた……薔薇の中、森の中……何度も、何度も! もう嫌! 許してっ!」
あまりに異様な様子に見舞いの生徒は、たまらずその場を逃げ出した。
ブレンダの噂はすぐに学園中に広まった。心配したカミロが何度も見舞いに行ったそうだが、改善する様子は無かった。
「ブレンダ様、相変わらず閉じこもっているんですって。学園付きのお医者様が様子を見に行っても、暴れて追い返されるんだとか」
「私が聞いた話では、ブレンダ様がああなったのは呪いが原因だって……」
「呪いってまさか、アリ……」
「貴方たち、何を話しておりますの!」
こそこそと談話室で噂話に勤しんでいた生徒達に声を掛けたのはディルフィーナだった。傍にはアリシアの妹エミリアもいた。
「ディルフィーナ様!? エミリア様も……!」
「その、ブレンダ様のご様子が最近芳しくないようでして、心配しておりましたの……」
話し込んでいた生徒達は気まずそうな表情を浮かべる。
彼女達が話そうとしていた『呪い』というのは、行方不明になったアリシアのことだ。部屋に様子見に行った生徒が、ブレンダが香水瓶を見つめて錯乱していたことを覚えていた為、今回の件は消えたアリシアの呪いではないかという噂が出回っていたのだ。
「困ったものだわ。あのような不謹慎な噂を流す者が、あんなにもいるだなんて」
「呪いなんてある訳がございません。どうかお気になさらないで」
親しい友人達はそんな周囲の様子を見て、ディルフィーナとエミリアを気遣ってくれる。
「仕方ありません。貴族の噂好きは今に始まったことではないですもの……それにして、お姉様は本当にどこにいらっしゃるのかしら……」
「いくつか目撃情報はあったそうなのですがそれ以上は……侯爵家でも総力を挙げて探しているというのにどうして……!」
いまだ行方不明のアリシアを思い、二人が悲しそうに顔を伏せた……その時だった。
突然、周囲の生徒が小さく悲鳴をあげた。
反射的にそちらを見てみれば、そこにはたった今話題になっていたブレンダが、ぼさぼさの髪を振り乱しながら虚ろな瞳で立っていた。
彼女は怖がって距離を取る他の生徒達には目もくれず、ぶつぶつとつぶやきながらディルフィーナ達に近づいてくる。 友人の一人が庇うように前に出ようとしたが、ディルフィーナはそれを手を制して警戒しながら対応した。
「久しぶりねブレンダ様。随分体調がよろしくなさそうだけど、出歩いて大丈夫なのかしら」
しかし、ブレンダはディルフィーナの言葉に反応せず突然何かを投げつけてきた。
「きゃあっ!」
「ちょっと貴方、なんてことを!」
「……あの女のせいよっ!!!」
キッと睨みつけながら錯乱したように叫ぶブレンダ。その迫力に咄嗟に文句を言おうとしたディルフィーナ達も言葉を失う。
「もう嫌っ、こんな物があるからあんな夢を見るんだわ! そこの貴方、あの女の妹なんでしょ! こんな物、さっさと返してあげるからどうにかしなさいよっ!」
その言葉に投げつけられた物を見て、今度はディルフィーナが驚きの声を上げた。
「これ、カミロがアリシアから奪った香水瓶じゃない! 投げつけるなんて!」
「うるさい! あんた達に返したんだからいいでしょっ! 私はもう関係無いわ!」
そう言い放つと、怒るディルフィーナや慌てて香水瓶を拾うエミリアには目もくれず、ブレンダは怯えたように走り去ってしまった。
「いったいなんなのよ! エミリア、大丈夫?」
「大丈夫です。ディルフィーナ様もお怪我はされてませんか?」
「ええ、平気よ。香水瓶も割れていないようね。絨毯の敷かれた談話室で良かったわ」
ディルフィーナはアリシアの香水瓶に傷が無いことを確認してほっとした表情を浮かべた。
「はい。ブレンダ様のおっしゃることはよくわかりませんけれど、お姉様の大切にしていた物が一つでも戻ってきてよかったです。きっと、両親も喜びます……」
エミリアはそう言いながら大切そうに香水瓶を握りしめた。
——次に異変が起きたのは姉の香水瓶を持ちかえったエミリアだった——
それは香水瓶を持ちかえった日の夜のことだった。
寮の部屋で改めて香水瓶を確認すれば、中には僅かに香水が残っていた。
そういえばブレンダは以前、姉が元々入れていた香水をダサい安物だと乏し、別の物に入れ替えたと話していいたことを思い出す。
再度怒りが込み上げてきたエミリアは、思わずブレンダが入れたであろう香水を捨てようと蓋を開けたのだが……
「えっ……?」
香水瓶から漂ってきたのは姉が一番好きな百合の香りだった。
中の香水はアリシアが使っていた時のままだっただろうか。それとも、まさかブレンダもわざわざ同じ香水を?
予想外のことに拍子抜けしてしまい、結局その日は香水を入れ替えずに就寝した。
その日の晩、エミリアは夢を見た。
『夢の中でエミリアは薔薇園に居た。
恐ろしいほど鮮やかに咲き誇る薔薇達を夢の中のエミリアは、否、“私”はゆっくり見ることができなかった。
何故なら、“私”は今まさに何者かに首を絞められているからだ。
息ができず、目の前が霞み始め、誰に首を絞められているのかもわからない。
首にかかる手を外そうと必死に藻掻くが、力の差が大きい。
せいぜい、暴れた拍子に近くの薔薇の花びらが舞い散るだけだ。
きっと、“私”を殺そうとしているのは男性なのだろう。
霞む視界に映るシルエットも、よく見れば体格の良い男のものだ。
やがて心臓の鼓動は遠のき、降り注ぐ花びらにまとわりつかれながら……“私”は絶命した。
呼吸が止まっても夢は終わらない。
どこかで女性のすすり泣く声が聞こえる。
“私”を殺した男は慌ててガラの悪そうな仲間を呼んだ。
彼らは“私”を大きな布で包み袋に入れると、何処かへ運ぶ。
森だ。木々が不気味にざわめく音がする。
深い深い、森の奥深くで、彼らはせっせと穴を掘る。
木々のざわめきに急かし立てられながら掘った穴に“私”は埋められた。
土を被せられ、もう陽の光も届かない。
永遠に暗闇の中に閉じ込められて……』
その晩、エミリアの隣室の生徒は真夜中の悲鳴で起こされた。
心配して様子を見に行ってみれば、青い顔をしたエミリアが現れ酷い夢を見たのだと謝罪した。
隣室の生徒は親切な子だが、それ以上に噂好きで珍しい話題に喰いつきやすい少女だった。当然、こんな不謹慎だが興味をそそられる状況をスルーするはずもなく、翌日になると心配半分、好奇心半分でエミリアから昨晩のことを聞き出した。
「誰かに殺される夢だったの……」
そう言って詳しい夢の内容を話せば、みんな態度には出さずとも興味津々に聞き入る。
「だけど、少し不思議なの。私は殺されている人の視点だったけど、何故だか自分のことだと思わなかった……あれはまるで……」
『殺された誰かの記憶を追体験しているようだった』そうエミリアが話したことで、みんなの脳裏に一人の女子生徒の姿が浮かぶ。
加えて、姉の香水瓶を持ちかえったその日に夢を見たのだと聞けば、あっという間に奇妙な夢の主はいまだ行方不明のアリシアなのでは? という噂が学園中にひっそりと、しかし、確実に広まっていった。




