〈2.行方不明〉
その香水瓶の最初の持ち主は、アリシアという当時十七歳の子爵令嬢だった。
大人しくて目立つ存在では無かったが、花が好きな優しく聡明な少女だった。
家族仲は良く、友人関係にも恵まれ特に幼馴染の侯爵令嬢ディルフィーナとは一番の親友同士である。
そんな彼女にはずっと頭を悩ませている問題があった。
婚約者の伯爵令息カミロのことだ。
二人の婚約は事業の関係で家同士に多少繋がりがあり、且つ両家とも同じ歳の子どもがいたからという、単純な理由で結ばれたものだった。
アリシアは初めて会った時から、ハンサムで地味な自分にも紳士的に接してくれる婚約者に心底惚れこんでいた。
カミロもまた、始めのうちはアリシアを婚約者として大切に扱っていたらしい。
しかし、揃って学園に入学した頃から二人の関係にヒビが入り始めた。
護身術を身に着ける過程で鍛えた逞しい身体に美麗な容姿を持つカミロは、学内で非常にモテた。
華やかで洗練された令嬢達から持て囃されるされるうちに、彼は爵位が低い上に地味な容姿のアリシアを自分には相応しくないと思うようになっていった。
また、アリシアの方が成績が良かったこともカミロが彼女を疎む原因となった。元々アリシアは頭が良いとは思っていたが、成績という目に見えるかたちでその差を見せつけられたことで、次第に彼女に対してコンプレックスを感じるようになっていったのだとか。
入学から一年も経つ頃には、カミロはアリシアを蔑ろにして多くの令嬢と遊び歩いくようになっていた。
アリシアはそんな彼に何度もやめて欲しいと訴えたが、カミロは全く聞く耳を持たない。
「彼女たちはただの友人だ。嫉妬しておかしなことを言うのは止めてくれ。
そもそも地味で真面目過ぎる君にも原因がある。貴族であればお洒落や社交にもっと気を使うべきだ。文句を言う前にもっと彼女たちを見習ったらどうだい?」
などと逆にアリシアを批判する始末だ。また、伯爵家に相談しても、
「若気の至りだから、大目に見てやって欲しい」
と言ってまともに取り合ってくれない。伯爵家は学生時代の女遊びの一つや二つ、そこまで騒ぎたてることではないと思っていたようだ。
カミロがアリシアを冷遇することは、彼女の学園生活にも影響を及ぼした。カミロに侍っている令嬢達が、彼に同調してアリシアを見下すようになったのだ。
まともな令嬢達はアリシアに味方してくれたが、いちいちカミロの遊び相手に絡まれてはマウントを取られるのは、非常に苦痛だっただろう。
さて問題の香水瓶だが、これはアリシアが一目惚れして購入した物だった。
ガラス製で表面に百合の意匠が施された少々大人向けデザインのその香水瓶を、アリシアはとても気に入り愛用していたのだが、ある時カミロに見つかってしまった。
「なかなか良いデザインの香水瓶だが、アリシアには少し大人向け過ぎるな。
似合わない物を無理に使っていたんじゃ、返って皆の笑いものになってしまう。そうなる前に親切な俺が処分しておいてやろう」
そう言って勝手に香水瓶を奪っていってしまった。
流石のアリシアもこれには抗議したが、カミロは相変わらずどこ吹く風だ。
アリシアの香水瓶は、当時カミロのお気に入りの一人であった男爵令嬢ブレンダの手に渡された。
彼女は小柄で思わず守ってあげたくなるような可愛らしい容姿に加えて、出るところはしっかり出た見事なスタイルの持ち主であり、カミロのみならず多くの男子学生を虜にしていた。
尚、ブレンダ自身は己の容姿が良いことを自覚して度々他の女子生徒を見下すような発言をしたり、恋人や婚約者がいる男性にちょっかいを掛けては顰蹙をかう残念な女だった。
「これ、先日カミロ様と演劇を観に行った時に頂いた物なんだけど素敵でしょう? こんなに良い代物ですもの。地味な……あら失礼、似合わない人が持っていたんじゃ香水瓶だって可哀そうよね」
そう言って、周囲に香水瓶を見せびらかしながら勝ち誇った顔でこちらを見てくるブレンダに、アリシアから話を聞いたディルフィーナは激怒した。
「いくら何でも酷すぎるわ。あれでは泥棒と同じじゃないの! 私も口添えしますから伯爵家に抗議しましょうアリシア!」
「落ち着いてディルフィーナ。カミロ様がおっしゃる通り、あの香水瓶は私には似合わなかったのよ……伯爵家にご相談しても新しい香水瓶をご用意されるだけでしょうし、あまりことを大きくするわけにはいかないわ」
こんな扱いをされてもカミロのことを嫌いになりきれない様子のアリシアに、ディルフィーナは深い溜息をついた。
アリシアは聡明なはずなのに恋愛のこととなると途端に眼が曇るのだ。
侯爵令嬢と言えど、他家の婚約に簡単に口を放む訳にはいかない。せめて、アリシア本人が婚約解消か破棄を望んでくれれば、いくらでもあの男を懲らしめる方法はあるのに……と内心歯がゆい思いをしていた。
「……わかったわ。今回は何も言わないけれど、本当に困ったら一人で抱え込まずに私に相談してね?」
「ありがとう、ディルフィーナ……ごめんなさい」
親友の心強い言葉に申し訳なさそうな顔を見せていたアリシアが行方不明になったのは、それからすぐのことだった




