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幽霊が呉れた赤ん坊  作者: ウチダ勝晃


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2/6

二、麻雀荘と赤ん坊

 事の起こりはちょうど二日前、いつものように店番をしていたころにさかのぼる。

 北大路にある、下宿から近い麻雀荘「平和(ピンフ)」でアルバイトをしていた僕は、人入りのピークも過ぎ、閑散とした店内をレジそばの椅子に座ってのんびり眺めていた。時刻は夜の十一時少し前。そろそろ日付も変わろうという、晩秋にしてはややぬるい金曜の夜のことである。

「――ヘーちゃん、すまんけどコーヒー、人数分いれてんか。だいぶエエとこなんよぉ」

「はーい、只今……」

 くわえ煙草で呼びかけてきたのは、いつも和服で通している大学生、通称「若旦那」。大阪のいわゆる「ええとこ」のぼん(・・)である彼とは、時折お客としてここへやってくるのを相手しているうちに心安くなり、他にお客のいないときは連れだってやってくる友達と一緒に、こんな風にしてやりとりをしていた。通っている大学も違うのにここまで付き合いがあるというのも、ちょっと珍しいかもしれない。

「おまちどうさま。――おや、(えい)さん、こんなに捨てていいの? 危ないんじゃない?」

「コラコラ、そういうことを言わない……」

 若旦那の向かいで牌を使う、彼とは対照的な三つ揃えの背広姿の巨漢「英さん」をからかいながら、僕はめいめいの手元へカップを置いた。若旦那たちの卓はいわゆる三麻で、ぽっかりと南の椅子が空いているから二人の牌が丸わかり、というわけである。

「――相変わらず、ここのコーヒーは旨いなぁ。ほんま、雀荘の店番にしとくのが惜しいで」

 手に持ったガラスポットを横目に見ながら、若旦那はカップの中のコーヒーを称賛する。自分で言えば世話はないが、淹れ方にはちょっとばかり自信があるのだ。

「全くですヨ。しかしまあ、店長も店長ですネ。こんな優秀な店番をほっぽらかして、自分は呑気にスナックへ飲みに行くなんて……」

 一口飲んだカップを置くと、英さんはオールバックの額をなで、ロイド眼鏡の奥で目をしょぼつかせる。自分たちの来た時に店長のいる方が珍しいことを、常連の彼らはよく心得ていたのだ。

「――平岡(ひらおか)くんはよくやってるほうだよ。俺ならとっくに辞めて、喫茶店のコーヒー番にでも志願してるとこだね。小耳にはさんだけど、親爺さん、奥さん死んでからずっとこの調子なんだって?」

「そうらしいんです。どうも、仕事に身が入らないみたいで……。まあ、それだって辞めた先輩の又聞きなんですけどね」

 僕の返事に、黒のハイネックを着込んだ細面の「(なみ)さん」は困った表情を浮かべる。理由が理由では、むやみに責めにくいと思ったのだろう。

「若旦那、どうする。このままじゃ流局になりそうだし、いっそ平岡くんにも入ってもらったら……」

「それもええなあ。どうせもうじきノレンやし、今更客もこぉへんやろ。ヘーちゃん、どやさ?」

 若旦那の言葉に、僕はいったん掛け時計を見た。さすがにこんな時間に新規のお客が来るとも思えない。

「それじゃ、混ぜてもらおうかな。あ、でも一応カンバンにだけはしとかなきゃ……」

「ほいじゃ、支度だけしとこかぁ」

 いったん手牌を見ると、若旦那たちは牌を崩し、全自動麻雀卓の真ん中にある中央パネルの下へどんどん押し込んでいった。

「――今年は、暖冬になるのかなぁ」

 自動卓のジャラジャラという音を背に外へ出ると、時期に反して暖かな空気が辺り一帯に満ちていた。秋も終わりになれば、そこかしこに冷たい空気の立ち込める京都でこんな陽気というのもちょっと珍しい。ともかく、電気看板を所定の位置へしまい、「本日閉店」の札をガラス戸の前へ下げて、僕の第一の仕事が片付いた。あとはみんなと出るときに戸締りをすればいいからと、僕は普段なら下ろしておくべき錠へ手を付けず、そのまま二階の若旦那たちの元へと急いだ。

 今にして思えば、これがすべての間違いの始まりだったわけである。

 外壁の看板を照らすランプを消すと、さっそく、若旦那たちとの一局が幕を開けた。珍しくツキがあって、うまい具合に牌が揃う。いつしかほとんどの点棒が僕の手元へとやってきていた。

「――やれやれ、今夜はどうもヘーちゃんの一人勝ちらしい。鉄火場やったら、今頃スッテンテンよぉ」

 点棒を僕へ渡すと、若旦那はキャスター付きのワゴンの上へ満杯になった灰皿を置き、新しいものへ灰を落とした。いちいち離れる手間がないようにと、僕がレジのそばから動かしてきたのである。

「さあて、あんまり長居すると親爺さんが戻ってきよるな。そろそろ店じまいして、どっか近くでうどんでも食ってこうや。片づけ手伝うで」

 手のひらの銀時計を一瞥すると、若旦那は羽織を脱ぎ、巾着袋から出した(たすき)で袖をはしょった。ほかの二人も続いてくれたおかげで、ものの十分もしないうちに部屋の掃除は済んでしまった。もっとも、大した広さがないというのもあったけれど――。

「この時間なら、まだ王将はやってるやろ。夜泣きそばとシャレて、暖まってから寝るとしようや」

 部屋の明かりも落ち、残すは一階へ続く階段の消灯のみとなった。二重廻しを着込んだ若旦那に続き、四人で階段を下ろうとした時だった。踊り場が死角になって見えない、通り沿いの入り口のあたりから甲高い、そしてコンクリートの壁いっぱいに響く泣き声が聞こえてきた。薄汚れた雑居ビルに似合わない、赤ん坊のむずがるような声である。

「おいっ、あそこ……!」

 ダウンジャケットの袖をぴんと伸ばし、波さんが階下を指さす。つられて、僕や若旦那は、土間の上に転がっている竹籠の中に、小さなものが腕を上下しているのを見て目を見張った。

 そこには本当に、赤ん坊が入っていたのである。

「おいおい、こいつァいったい、どういうこっちゃいな」

 赤ん坊の元へ若旦那が駆け寄ると、英さんと波さんは扉を開け、通りの両端へ目をやった。もしかするとまだ、その辺に赤ん坊を置いた主がいるかもしれない、そう踏んだのである。

「――ああっ!」

 開け放したドア越しに英さんの声を聞きつけると、僕と若旦那は駆け付けた波さんともども、声と視線の方向へ目を向けた。屋根付きのバス停が死角になってよく見えなかったのだが、看板の奥にいたトレンチコート姿の女性が、流しのタクシーを呼び止め、そのまま飛び乗ったのである。こちらが追いかける暇もなく、タクシーは煙を吐いてそのまま北白川の方へと消えてしまった。

「――さっきのが、この子母親だったのかなぁ」

 店へ戻り、英さんの百面相にすっかり機嫌をよくした赤ん坊を横目に見ながら、僕たちは今後の方策について話し合った。店長へ相談をしようとも考えたが、電話の一向につながらないのを見るに、またどこかでハシゴ酒をしているらしい。

「わからんなあ。だが、単なる偶然にしてはちっとばかし条件がそろいすぎてる。もっとも、子供を捨てに行くのが必ずしも女親とは限らんが……」

 そう言って、いつものように若旦那はロングピースの箱を出しかけたが、赤ん坊のいるのを思い出して慌てて手をひっこめた。愛煙家には辛いシチュエーションである。

東野(とうの)くん、籠の中になんか入ってへんか? 映画やドラマやとだいたい、親の書いた手紙が入ってそうなもんやけど」

「ええっ、どうだろ……チョット待ってて」

 呼びかけに応じ、東野こと英さんは、赤ん坊の小さな掛布団や敷布団のあたりを探った。すると若旦那の言う通りに白い西洋封筒が敷布団の隅から出てきたので、僕たちは中身を空けて確かめることにした。だが、そこから出てきた便箋には、筆ペンらしい筆致で「命名 慎太郎」とあるばかりだった。

「――ほうかぁ、お前慎太郎っていうのかぁ。どっかの都知事になりそうな名前やなあ」

「あーあ、さすがにそこまでうまくは行かなかったなあ。経緯でも書いてありゃあ、なにか糸口がつかめそうだったのによぉ」」

 ここに名探偵もいるのにな、と呟く波さんに若旦那は満更でもない、しかしどこかむずがゆそうな表情を向ける。

 実際、若旦那はその筋では知られた名探偵で、今までに幾度ともなく、警察のさじを投げた事件を解決に導いてきた実績があった。しかし、

「いくらなんでも、こういうケースは初めてやからなあ。さすがにこりゃ、警察に任せるのが一番ええのとちがうかねえ」

「なんだツマらない、てっきり喜んで捜査に乗り出すかと思ったら……」

「よせやい。僕かてそうちょくちょく、事件ばかりに付き合うてられんわ。――にしても、この子どないしよかねえ」

 改めて対峙する羽目になった現実に、僕たちはそろってため息をついた。このまま店長の帰りを待っても、深酒の相手に赤ん坊の番をさせるわけにはいかない。かといって、今すぐ警察に行くというのも、赤ん坊をそのままお巡りさんに押し付けるような格好になるのは非人情だ――。

 迷った末に僕は手を上げ、一晩預かろう、と宣言した。

「その代わり、誰か一緒に面倒見てくれない? なんとなく心もとないし……」

 すると、それまで赤ん坊に指を握らせていた若旦那がほんなら僕が、と応じてくれた。

「僕がこの子抱っこしとくから、東野くんと波木(なみき)くんは、ミルクやおしめ、買うてきてくれるか? 早うせんと、薬局閉まるで……」

 気づけばもう、時計の針は一時をかなり過ぎている。慌てて戸締りを済ませると、僕は若旦那と下宿へ向かい、東野・波木のペアは頼まれた品を買いに店へと急いだ。

「よう眠っとるなあ。この調子なら、夜泣きの懸念もないかもわからん」

 まん丸な赤ん坊の顔を指でつつくと、若旦那は僕のすすめたキャンディーをなめ、にっこりと微笑む。最前までのドタバタぶりが嘘のように、静かな夜のひと時が訪れていた。

「それなら安心だね。――朝になったらおばさんに訳を言って、預かってもらおうかな」

「ガッコに行っとる間だけでもそうしてもらえればありがたいわな。まあ、ゆくゆくは警察の方で、なんとか対処してくれるとは思うけれど――。お、来たな」

 古ぼけた外階段を上がる音に若旦那が立ち上がると、ドアが開き、買い物袋を提げた二人が部屋へと上がってきた。

「言われたもん、買って来たぜ。赤ん坊っていろいろ物入りなんだなあ、知らなかったぜ」

 波さんから袋とお釣りを受け取ると、若旦那はレシートに並ぶ品の多さに、ほんまやなあ、とため息をついた。あとはまた動きがあれば連絡しあおう、という風に話がまとまると、二人はそのまま帰途につき、僕と若旦那はそれぞれ、こたつと敷布団に分かれて眠りにつくことにした。いつもなら大通りから伝ってくる酔っ払いの声も、今日に限ってはまるでない。ひたすらな静寂が、暗がりの中を支配していた。


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