イサとピルグリムの〈Langue de chat〉ツアー
ルリユール〈Langue de chat〉は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ぐるりと一周〈扉〉の旅。
454イサとピルグリムの〈Langue de chat〉ツアー
イサは元日本人だ。色々あって今はコボルトだけど。
月の女神シルヴァーナ曰く、塔ノ守一族のルーツは本来こちらの世界にあるらしく、こちらの血が濃く出た者は引っ張られやすくなるようだ。
それでもイサの場合は少々異なる状況で、こちらの世界に喚ばれたらしい。
倭之國の者に喚ばれるか、自然に引っ張られるかでしかこちらの世界に戻らない筈が、この國の王族がやらかしたのだという。
不正確な召喚陣を描いてたら、他の世界に繋がってしまったという事故だ。
元々こちらの世界に縁のあったイサが通りがかったのも、繋がる要因だったのだろう。イサは近くにいた女子高生と共に、こちらの世界に落っこちたのだ。
恐らく喚ばれたのはイサだった気がするのだが、一緒に落っこちた女子高生が「我こそは聖女!」とやる気に満ちていたので、イサはどうぞとばかりに彼女を聖女として送り出した。
月の女神シルヴァーナ曰く、彼女の司る黒森之國では、聖女とは回復魔法や治癒魔法を使える修道女を指すらしい。
ちなみに治癒魔法の方が回復魔法よりも上位なのだそうだ。イサには治癒魔法、女子高生には回復魔法が生えていたそうなので、やはり巻き込まれたのはあちらだろう。
月の女神シルヴァーナの話を碌に聞かずに行ってしまった自称聖女がどうなるのかは知らないが、再開すると面倒臭そうだったので、イサは姿を変えてもらったのだ。
そうして黒森之國に下りたのだが、しょっぱなから森で迷って遭難しそうになって、ウィスパーのピルグリムに助けられた。
転移先が古代の森の中というのは、ハードルが高いと女神様に物申したい。村の近くに〈転移〉させてくれたのだと思うのだが、森に慣れていないイサには、村の方向が解らなかったのだ。
今でも見付けてくれたピルグリムには感謝している。
王位継承争いの内乱の中、家のある古代の森を区切って引き籠ったものの、未完成だった魔法陣ではやはり失敗した。時の流れが緩やか過ぎたのだ。
「皆生きているんだからいいんだよとピルグリムを始めとした家族に言われたものの、イサは数日落ち込んだ。
それがだ。
もうどの位外の時間が経ったのか解らなくなっていた、あの日。
あっさりと外からこの区切られた森に入って来たのが、エンデュミオン達だった。
イサと同じ〈柱〉でも格が違った。イサはエンデュミオンを知らなかったので、区切られた森に引き籠った後に、前任者から引き継いだ翡翠の大魔法使いだった。
おまけにエンデュミオンは、イサの血族の孝宏と契約していた。孝宏もこちらに落っこちてきたそうだ。どうやら通常ルートで。二人の仲が良さそうで何よりだった。
エンデュミオンはさくさくと王と領主に話を着けて、リグハーヴス公爵領に古代の森を移植してしまった。
おかしい。そんなにホイホイ空間の移植など出来ない。中にいた孝宏達に気付かせもせずに。
本当に格が違うのだ。きちんと引き継いでいないイサもピルグリムも、頑張っても上級魔法使い程度の魔法しか使えない。
碧羅の魔導書も手に入れたので、学ばねばならない。
エンデュミオンは昼寝をしていたルッツ達が寝癖を着けて起きて来るまで、竜騎士隊に提出する報告書を書いていた。
この区切られた森については『別紙』という形で報告書に添付すると、悪い顔で言っていた。公的には発表しない模様になりそうだ。
「古代の森にその時代の人が生きていると知られると面倒だぞ。主に学院の研究者が」
「ピルグリムとヴィンフリートがいるしね」
ウィスパーのピルグリムはまだいいかもしれないが、首が切り落された状態で生きているヴィンフリートは、恐ろしく珍しい存在だ。〈不落〉を付与した筒状の首巻は人前では外せないだろう。本人も頭の落下を気にせずに遊べるので気に入っているようだが。
ところでエンデュミオンは緑色のインクの万年筆で報告書を書いていたがいいのだろうか。孝宏もテオもプラネルトも何も言わなかったので、個々でインク色は自由なのかもしれないと思って聞いてみたら、通常公文書は黒か青だった。大魔法使いのエンデュミオンの使う緑色のインクは特別らしい。
エンデュミオンはルッツ達が起きてきたところで、「孝宏の魔刀の中身の風の妖精を従騎士と待たせているから」と帰って行った。
一度王都に戻ってから、報告書を提出してリグハーヴスに戻って来るそうだ。
「〈扉〉を又付けに来るから」と言っていたので、その内に来るのかと思ったら、エンデュミオンは翌日にやって来た。早い。
しかも、白黒のアナグマを二人連れて来ていた。エンデュミオンの身体の左右から、わくわくした気持ちを隠し切れていない顔を覗かせている。
「アナグマ?」
「うちの隣に住んでいる悪魔と家事妖精と一緒に暮らしている靴磨きの妖精だ。出掛けに見付かったから連れてきた」
「ンガガルだよ!」
「ンガガロだよ!」
ぴょこっと前肢を上げて挨拶をするアナグマ達はそっくりだった。多分双子だ。
「悪魔と家事妖精と靴磨きの妖精……一般的に街に住んでいるものなの?」
「いやあ、前の主人が亡くなってから、随分引き籠っていたみたいなんだけどな。メフィストフェレスは名前が知られた悪魔だし、家事妖精のとシュティレは家を整えて家人の世話をする事しか興味がないし、この双子は子供だし。前の主人が赤ん坊で拾って来たらしいぞ」
メフィストフェレスとシュティレは、ンガガルとンガガロを育てていたという訳か。
「靴磨くよ!」
「革の物も磨くよ!」
「ちなみにンガガルは右側の靴しか磨かないし、ンガガロは左側の靴しか磨かないぞ」
「んん?」
「……なんで?」
思わずイサは唸り、ピルグリムが反問してしまった。
「靴磨きの妖精はそういう性質なんだ」
「じゃあ一人しか靴磨きの妖精がいないとどうなるの?」
「片側の靴は自分で磨くしかないな」
「おおう……」
「……そっか」
イサとピルグリムは納得するしかなかった。
「いらっしゃい、エンデュミオン」
「ラライラ」
木の上の家の扉が開いていて、森林族のラライラが出て来ていた。その後ろからヴィンフリートが顔を出す。
ヴィンフリートの視線がエンデュミオンとンガガルとンガガロに向いた。ぱあっと嬉しそうな顔になり、大木の幹に沿ってある階段を駆け下りてくる。
「ヴィン! 走ると危ないわよ!」
「うん!」
返事だけは良い子で、階段をそのまま下まで駆けおりてくるヴィンフルートの後を、ラライラが追い掛けてくる。
「わあー」
ヴィンフリートがンガガルとンガガロの前にしゃがみ込む。ヴィンフリートの肩には闇竜のキーゼルがしがみ付いていた。
「こんにちはー」
「こんちはー。ンガガルだよー」
「こんちはー。ンガガロだよー」
「ヴィンフリートだよ! このこはキーゼルだよ!」
「ぴぃー」
にこーと笑い合う三人と一匹に、イサは内心安堵した。相性は良さそうだ。
「ンガガル、ンガガロ、ヴィンフリートとラライラと遊んで来るといい。エンデュミオンが〈扉〉を付けてイサとピルグリムに説明し終わったら、朝のおやつにしよう」
「あーい」
「あーい」
「はーい」
「ぴぃー」
ンガガルとンガガロとヴィンフリートとキーゼルが返事をする。
「お散歩に行きましょうか」
ラライラが三人と一匹をうながし、散歩に連れて行ってくれる。
「エーヴァとヨルクは?」
「バロメッツの囲いに行っているんだ」
「バロメッツがここにもいるのか? ここのバロメッツの蹄は何色だ?」
「赤っぽいかな。どうして?」
考え込んだエンデュミオンにイサは訊いた。エンデュミオンがちらりとイサを見る。
「現在ハイエルンでバロメッツを栽培しているのはコボルトと人狼だが、蹄の色が異なる。別種だな。リグハーヴス種とヴァイツェア種とも違う」
「……と言うと?」
「ここにいるのは稀少種だ。多分毛質が違うかもしれん。蹄の色ごとに差異があるから」
リグハーヴス種のバロメッツは蹄が緑で暖かい布が織れるのだそうだ。エルネスティーネの森のバロメッツは、暖かいが春や秋に着るのに良い布が作れる。
「ここでは誰が布を織れるんだ?」
「ピルグリムがエルネスティーネ婆ちゃんに教えてもらったみたいだけど、人用の織り機なんだよね」
なので、織れていないのだ。糸だけ紡いで貯めてある。
「そうか。糸があるなら、うちにいる織子のヨナタンに織ってもらえるぞ。織り機が欲しいなら、コボルト用の織り機を取り寄せ出来る。染色職人も知っているし。ヨナタンの兄だがな」
最初に会った時に、エーヴァ達が孝宏から〈Langue de chat〉の家族について聞いていた。
ヨナタンはコボルトの織子だ。北方コボルトなので口数が少ない、大人しい子のようだ。
「じゃあ、少し布を織ってもらおうかなあ。ヴィンフリートの新しい服を作りたいって、ラライラが言っていたし。そっちに仕立屋いる?」
「ヨナタンの布を預けている仕立屋が近所にあるから、仕立てるといい。〈扉〉が出来ればうちを経由して街に直接行けるからな。森林族のお針子の店だから、ラライラも気安いんじゃないか? 問題があるとすれば、確実にギルベルトが待ち構えているだろうって事か」
「元王様ケットシーだっけ?」
時々、魔改造をやらかという。
「ギルベルトはエンデュミオンの養い親でもあるんだが、子供に〈祝福〉を与える癖がある。イサもピルグリムもヴィンフリートも、ギルベルトに捕まると思うぞ。ギルベルトの〈祝福〉を貰っておけば、助けが必要な時に来てくれる」
「……ギルベルト、強い?」
「本気を出せば災害級だ。だがギルベルトなら防御をしている間にエンデュミオンを呼ぶ気がする。もしくは即座に保護対象を回収して〈転移〉で逃げるんじゃないか? 〈Langue de chat〉や緑の冠岩辺りの、エンデュミオンの領域に入って来ればこっちで守れるしな」
「そっかー」
エンデュミオンは黒森之國で一番強いのではなかろうか。
自分の領域と認識している場所には、魔法陣をゴリゴリに張り巡らせていそうだ。
イサもピルグリムも、魔法陣が目で見えるので、リグハーヴスの街が楽しみのような怖いような気がする。
「さて、〈扉〉を何処に付ける? 木の幹でもいいが、家の中に付ければ天気に関係なく使えるぞ。使っていない壁はないか?」
「使っていない壁かあ。でも森の外から誰か来る事を考えたら、家の外に〈扉〉があった方がいいのかな?」
「広場から直接見えないように、幹の裏側に付けるか? 隠者の庵ではそうしてるんだが」
エルネスティーネの森では、殆どが古木で幹が太い。〈扉〉が裏側にあっても、反対側からは見えないだろう。
「イサとピルグリムは場所を知っていれば〈転移〉が出来るから、余り使わないかもなあ」
そんな風に言いつつ、エンデュミオンが広場を囲むように生えている大木の一つに近寄る。くるりと木の裏側に回り込むのでイサとピルグリムもついていく。
「この辺でいいか」
エンデュミオンはひょいひょいと前肢で宙に魔法陣を描き出し、目の前の大木に飛ばした。魔法陣は木肌に貼り付き、ぱっと銀色に輝いた。
「おー」
「……〈扉〉出た」
魔法陣が消えると同時に、大木には赤茶色の上下二枚に分かれた〈扉〉が現れた。〈扉〉の上側にも下側にも取っ手が付いている。取っ手はシングルカットをした透明な魔石で作られた握り玉だった。
「上の握り玉を使うと、上も下も〈扉〉が一度に開くんだ。下の握り玉だけ使うと下側の〈扉〉だけが開く。こっちはイサとピルグリムが使う方だな」
つまり、身体の小さな妖精用という訳だ。
赤茶色の〈扉〉には、魔銀でケットシーの顔のシルエットが埋め込んである。
「この〈扉〉からは、ケットシーの里にある隠者の庵の近くに行ける」
そう言いながら、エンデュミオンが〈扉〉を開く。
開いた〈扉〉の向こうには、エルネスティーネの森と似た木立が見えた。
「ついてこい」
エンデュミオンが〈扉〉の中に入っていく。イサとピルグリムもあとについていく。二人が入って来たのを確かめて、エンデュミオンが〈扉〉を閉めた。反対側から見た〈扉〉には〈精霊樹と嵐〉の紋章が魔銀で入れられていた。
「帰る時は、この〈扉〉でな。そっちにある狼の紋章の青い〈扉〉は、リグハーヴスの森番小屋に行っちゃうからな。こっちの緑色で〈精霊樹と眠る竜〉の〈扉〉が緑の冠岩に行けるから」
「ねえ、ここにヴィンフリートがうっかり来ちゃったらどうなるのかな」
「……来そうだね」
ヴィンフリートの精神は、色んな事に興味津々な子供なのだ。
「ここはケットシーの里の一部だからな。知らない魔力が入って来たら、ケットシーはすぐに気付く。〈扉〉のある古木の背中側に進むと、すぐに隠者の庵があって、住人がいるんだ。もしヴィンフリートが一人で迷い込んでも、あっと言う間にケットシーが見付けて、マヌエルが保護してくれる」
「マヌエル?」
「元司教の隠者だ。平原族だが、エンデュミオンが森林族だった頃からの友人だ。一緒に南方コボルトの聖職者シュトラールがいるから、ヴィンフリートも不安にならないだろう」
確かに見慣れたコボルトなら、安心するかもしれない。
「一応グランツに言っておくか」
エンデュミオンがそう呟いてから、「グランツ、いるかー?」と呼び掛ける。
すると、何本か奥にある大木の根元から茶色い毛のモグラが顔を出した。モグラの姿の地の精霊だ。
「グランツ、もし星空のような魔力を持った人族が一人で〈扉〉から出てきたら、隠者の庵に誘導してくれ。見た目は青年だが、心が子供だ。ルッツやシュネーバルくらいの幼児だと思ってくれていい。近いうちに顔合わせさせるから、覚えておいてくれ」
「……」
こくこくとモグラが頷く。エンデュミオンはグランツに杏のような果物を渡した。そしてイサとピルグリムを前肢で示す。
「コボルトがイサ、ウィスパーがピルグリムだ。碧羅と嵐の〈柱〉だ」
「……!」
シュ! とグランツが爪の長い前肢を上げて挨拶してくれたので、イサとピルグリムも同様に挨拶した。
グランツは古い地の精霊のようだった。しっかりと実体がある。
グランツが地面に潜って行くと、エンデュミオンがイサとピルグリムの近くに戻ってきた。
「グランツは力を貸してくれる精霊だから、困った時には頼むといい。特に子供には親切だから」
「もしかして、イサとピルグリムも子供枠?」
「ああ」
確かに、エンデュミオンやグランツに比べたら子供に違いない。妖精や精霊は、大体精神年齢で判断するからだ。
「じゃあ、緑の冠岩に行くぞ」
エンデュミオンが緑色の〈扉〉を開いた。ふわっと暖かい空気が顔に当たる。ケットシーの里とはまた違う濃い緑の香り。
「こっちの方が気温が高い?」
「緑の冠岩はヴァイツェア公爵領だからな。リグハーヴス公爵領に比べたら、年中気温が高いな」
「リグハーヴス公爵領からヴァイツェア公爵領に一気に来れちゃうんだ。〈扉〉凄いな」
「〈転移〉で酔ってしまう人は〈扉〉だと酔わないから、使えるように覚えるといい。妊婦も〈扉〉の方が安心だ」
基本形を覚えれば、出発地点と到着地点を書き換えるだけで応用が利くと聞いては、覚えない訳にはいかない。エンデュミオンの授業でしっかり覚えなければ。
緑の冠岩に肢を踏み入れた先は、広場になっていた。色鮮やかな芝生には、白や青の小花がちらほら生えていて、そこに大きな雀とカニンヒェンプーカ二人と、クリーム色で耳や四肢の先と尾、顔の中心が灰色のケットシーがいた。カニンヒェンプーカの一人はヴェスパだった。
「ヴィヴォ(ししょー)」
「こっちに遊びに来ていたのか、ヴェスパ。イサ、ピルグリム、こっちのカニンヒェンプーカはヴェスパの長兄でビルケだ。エンデュミオンの父フィリップの薬草師としての弟子だ。ケットシーの方はアメリ。森番小屋にいるハシェと契約している。大雀はオブシディアンだ」
「チュン」
大雀が鳴いた。丸々としていてでかい。もっふりしていて、羽根艶が良い。よく手入れされているようだ。
「イサ、ピルグリム、アメリに触らせておけよ。覚えてもらっておかないと、知らない人だと思われるからな」
「触る?」
「アメリは目が見えないから、触って覚えるんだよ。魔力は見えるんだけどな」
声と触れて覚えた形、それと魔力の色で人を識別しているのか。
「ヴ」
ヴェスパがアメリの前肢を引いてやって来た。アメリの青碧色の不思議な輝きの瞳は、真っ直ぐに、前を向いていて視線が動かない。全盲なのだろう。
「にゃー」
アメリがイサに前肢を伸ばして来る。
「イサだよ。どうぞ」
「にゃっは」
ふにふにとアメリの柔らかい桃色の肉球で触れられる。近くで見れば、まだ随分と幼い。ぽやぽやとした幼体特有の毛がまだある。
「にゃあ」
アメリが頷く。知っている形だと言っているようだ。コボルトの知り合いはいるからだろう。
すり、とイサに身体を擦り付けてから、アメリが地面近くまで下りて来ていたピルグリムに向かう
「……ピルグリムだよ」
「にゃっ!?」
ピルグリムに話し掛けられて、アメリが尻尾を一気に膨らませた。慣れないと身体を風が吹き抜けるような感覚はやはり驚く。
「にゃ……にゃ」
前肢を伸ばし、アメリがピルグリムに触れる。フード付きの袖付きマントの中身は闇なのだが、触るとモフッとするのだ。
ちなみにピルグリムの服は着替えが可能だが、素材が限られる。魔物の蜘蛛の糸や、バロメッツ、砂漠蚕や森蚕など、上質の素材のみを着られる。魔力を含む素材でないと無理らしい。
「にゃー?」
アメリが首を傾げる。今までウィスパーを触った事がないだろうから、何だか解らないに違いない。
「ピルグリムはウィスパーだぞ、アメリ。フードを被った状態の形をしているんだ」
「にゃっ」
エンデュミオンの説明に、アメリはぽふっと肉球を合わせる。納得したらしい。
「にゃー」
アメリがピルグリムに身体を擦り付ける。無事に気に入られたようだ。袖口が垂れた手で、ピルグリムがアメリの頭を撫でた。
「……可愛い」
「そうだろう。アメリは〈不死者〉なんだ。ヴェスパが〈守人〉だ」
「どうしてそういう案件をぽろっと言うかな、エンデュミオンは」
「イサとピルグリムも〈柱〉だから、教えてもらわないと駄目だろう。アメリはハシェと契約しているし、今世は好きに暮らさせると決めているんだ。〈聖人〉と〈守護者〉も見付かっているし、〈不死者〉と〈守人〉も見付かった。〈幸運妖精〉もうちにいる。今代は中々にいい状況だぞ」
ニヤリとエンデュミオンが笑う。してやったりという顔だ。目付きが悪いので、少々腹黒い笑みに見える。ところで、エンデュミオンが全員の居所を知っているという事は。
「ねえ、エンデュミオン。もしかして皆リグハーヴスに住んでいたりする?」
「解るか?」
解らない訳がない。イサも〈柱〉になったので、知識として継いだから。守れる範囲に呼べるものは呼んだのだろう。
「殆ど偶然集まったんだぞ。イージドールはマヌエルに頼んだが」
マヌエルが司教時代にやらかしていた。
「ヴ?(なあに? ししょー。アメリどうかした?)」
〈不死者〉という単語にヴェスパが反応する。
「ヴェスパ、覚えておくんだぞ。〈不死者〉と〈守人〉、〈聖人〉と〈守護者〉、そして〈幸運妖精〉が幸せを感じて生活していないと、黒森之國は荒れるんだ」
彼らは人の欲に巻き込まれやすいからな、とエンデュミオンが説く。彼らが平穏無事にいる事が、平和の証なのだ。
「ヴー(〈豊穣の瞳〉は?)」
「モンデンキントはベネディクトに全力を注いでいるから問題ない」
「待って、〈豊穣の瞳〉までいるの!? 確かいるだけで豊穣が約束されるんじゃなかったっけ?」
「……〈不死者〉と同じで昔は所有権争いになったって、本で読んだ」
「リグハーヴス公爵領にいるのは、コボルトの幼児だ。教会に捧げられたから聖職者になると決まっている。育ての親の司祭ベネディクトは虚弱でな、彼の生命維持にモンデンキントの能力は使われている。リグハーヴス公爵領の土地に関してはほどほどの影響具合だぞ」
元々厳しい土地だから、〈豊穣の瞳〉の力の残り滓がある位で丁度いいと、エンデュミオンが笑う。
「解ったか? ヴェスパ」
「ヴ(うん)」
「アメリと自分を守る時には、遠慮なく相手を蹴飛ばしていいからな」
「ヴ!(うん!)」
ふんす、とヴェスパが前肢を握る。
カニンヒェンプーカは首狩り兎とも呼ばれる、可愛い見た目を裏切る脚力がある。
「あれで合っているの?」
ついイサはビルケに聞いてしまった。ビルケが真顔で言った。
「父が〈暁の旅団〉流の蹴撃の師範なので。あと、危ない時には蹴らないと」
「そっか」
カニンヒェンプーカ的には合っていた。
「ん? まてよ、ルッツは?」
ルッツの主は〈暁の旅団〉のテオだ。
「ルッツはテオが育てたからな。瞬間的に身体強化して一撃必殺じゃないか? 風の精霊魔法で吹き飛ばしたり、〈風刃〉も使うだろう。スキル的にあの子は暗殺者構成だぞ。〈隠密〉はかくれんぼに使ってるけどな。テオと一緒に軽量配達屋やっているし」
持っているスキルの職業に就く必要はないが、全く関係のない職業だった。
「チュチュ」
催促するようにオブシディアンが鳴いて、ビルケの持つブラシに頬ずりする。
「羽繕いの途中だったな、すまんなオブシディアン」
エンデュミオンは大雀の嘴を撫で、出て来た〈扉〉の隣にある扉を開けた。こちらは普通の扉だった。
岩壁に囲まれていると聞いてはいたが、分厚い岩壁を利用して家にしているのだ。天井は高いが、妖精の家だ。
「ここはヴェスパ達の実家になるんだが、今準備中なんだ」
いい香りがする質の良い木製の家具が置かれているが、まだ人が暮らしている気配が薄い。引っ越し前なのだ。
扉を入ってすぐが食堂兼居間になっていて、奧に台所が見える。居間の右手に階段と滑り台が設置されていた。
「滑り台?」
「アメリが階段を使うより、滑り降りた方が安全かと思ってな。結構皆使っている」
階段を上るエンデュミオンに、イサも続く。ピルグリムもふよふよとついてくる。
「二階はヴェスパ達三兄弟の部屋だ。廊下の突き当りにある〈扉〉は、アメリが森番小屋から来られるように付けてある」
「……魔改造し過ぎじゃない?」
「やれるからにはやるだろう」
「……それでいいんだ」
ピルグリムが囁く。
「孝宏とイシュカに怒られなければいいと、エンデュミオンは思っている」
基準がそこなのか。孝宏は主で、イシュカは家主だからだろう。
「ここがヴェスパの部屋だ」
今はヴェスパが部屋にいないのが解っているからか、エンデュミンはそのまま扉を開けて部屋に入った。
子供部屋らしく、可愛らしい印象の部屋だ。何故か入ってきた扉の他に、もう一枚扉がある。
「こっちの扉は孝宏とエンデュミンの部屋に繋がっている。つまり、ヴァイツェア公爵領の緑の冠岩から、リグハーヴス公爵領の〈Langue de chat〉に戻るんだ」
「……魔改造」
「これ領主も知っているの?」
「一応な」
「アルフォンスに同情しちゃうなあ、イサ」
「エンデュミオンが自宅を魔改造しても、アルフォンスに関係ないだろう。緑の冠岩の中に森があって、エンデュミオンの別宅もあって、〈精霊の泉〉も湧いていると言ったら、頭を抱えていたがな」
緑の冠岩はエンデュミオンの領地であり自治区らしいので、誰も文句は言えないらしい。
窓台に翡翠色の竜と木の生えた本と暖炉の形のフェーブが飾られている孝宏とエンデュミオンの部屋を通り抜け、開いている扉から廊下に出る。廊下には幾つも扉が並んでいて、ここが大きな家なのだと解った。
「立派な家だね」
「元々大家族が住んでいた店舗付きの物件だったんだそうだ」
少し歪みのある窓硝子越しに、雪がちらちらと降っているのが見える。
「また今度ゆっくり来るといい。今は〈扉〉がどう繋がっているのかを教えておくからな」
「うん」
「……うん」
階段はエンデュミオンの〈転移〉で一階まで下りる。廊下を左側に進むと、閉まっている赤い扉があり、隣の開いた戸口からカウンターの裏側が見えた。
「赤い扉がヴァルブルガの診療所で、そこの戸口から店に出られるんだ」
紙とインクと革の匂いがする。本の匂いだ。
「ルリユールだが貸本屋もしているから、借りに来るといい。屋根裏にビブリオの図書館もあるしな」
「うん」
「……うん」
そしてエンデュミオンは先程から甘い匂いを漂わせている部屋に入って行く。入ってすぐはソファーとローテーブルのある居間だった。仕切り棚の向こうが台所で、キルトの鍋掴みで天板を持つ孝宏が見えた。
「おかえり、いらっしゃい」
「ただいま。今一回り案内しているところだ」
「お邪魔します」
「……お邪魔してます」
イサとピルグリムがぺこんと頭を下げると、孝宏が天板を焜炉の上に置き、膨らんだ紙袋を手に取った。
「これおやつに皆で食べて」
「有難う!」
「……美味しいやつ」
イサは大喜びで紙袋を受け取った。孝宏の作るものは美味しい。まだほんのりと暖かいから、焼きたてだ。
「孝宏は店でお客にお茶とクッキーを出しているんだ」
「そうなんだ。黒森之國のお菓子事情ってどんな感じ?」
「孝宏のお菓子は珍しいな」
その言葉で察するものがある。この二人、既に何かやらかしている。
「それと、この間の調査の時に、ダーニエルから貰った王妃様の薔薇の蜂蜜を分けたやつ」
「ダーニエル?」
誰だったっけ? と思ったら、現王弟で王都竜騎士隊隊長だった。王妃の庭は薔薇園になっていて、そこでは養蜂もしているのだそうだ。
礼を行って〈時空鞄〉に紙袋と蜂蜜の瓶をしまう。
「こっちから裏庭に行けるんだ」
「通りまーす」
「……通るねー」
「はい、いってらっしゃい」
台所に向かうエンデュミオンについていく。孝宏の後ろを通って、裏口らしい扉をエンデュミオンが開ける。この扉も上下二枚に分かれているタイプだった。
雪に覆われている裏庭は、赤い煉瓦敷きの小道だけが露わになっていた。火蜥蜴の力を感じる。つまりは火蜥蜴ロードヒーティング。
赤煉瓦の小道の先には、裏庭を囲む黒い錬鉄製の柵の扉がある。小道は途中で枝分かれしていて、そちらは硝子張りの温室に向かっていた。黒い錬鉄の柱は植物のような意匠になっていてお洒落だ。
温室は北国仕様の二重扉になっていた。温室の中は入ってすぐが香草や薬草が植えてある畑だった。取りやすい所に香草があるのは、孝宏が料理に使うからだろう。
「森の中みたいだね、グリム」
「……落ち着く」
温室の中の筈なのに、中に入ってしまうと木立に囲まれている。
エンデュミンが、人が通れる幅が空いている灌木の間を抜けていく。イサとピルグリムも灌木の間を通り抜けた。
「わあー」
「……広いね」
そこは果樹で囲まれた芝生の広場になっていた。こぽこぽと水音がする元を視線で捜せば、石を刳り貫いた水盤があって、水が湧いていた。ちらちらと水と光の精霊が見える。〈精霊水〉だ。水盤の縁から零れる水は、下にある綺麗な色の丸石が敷き詰められた窪みに落ちて、そこには青い鱗の水竜が寝そべっていた。
水盤の近くには祠があり、月の女神シルヴァーナと水竜の像が置いてある。という事は、この水竜はこの土地の守護竜だ。
「水竜のキルシュネライトだ。リグハーヴス公爵領の水の守護竜だな。土地の守護竜はエンデュミオンの木竜グリューネヴァルトだ」
「……エンデュミオン、何してるの?」
「グリューネヴァルトが来るまで、守護竜がいなかったんだから仕方がないだろう。キルシュネライト、エルネスティーネの森のイサとピルグリムだ」
エンデュミオンの紹介に、キルシュネライトが閉じていた瞳をうっすらと開けた。
─その子達、〈柱〉じゃないの。
「そうなんだ。碧羅と嵐だ。覚えておいてくれ」
─覚えたわ。
どうやらキルシュネライトはレディのようだ。
「イサだよ」
「……ピルグリムだよ」
─キルシュネライトよ。エルネスティーネの森の地下にも、水を送っておくわ。
「有難う!」
「……助かる」
水は大事だ。水竜と友誼を結べるのは心強い。
「よし、じゃあ隠者の庵に行くぞ。今度はこっちの灌木の間を抜けるんだ」
水盤の近くの灌木の切れ目にエンデュミオンが向かう。
「ねえ、隠者の庵ってケットシーの里だから、〈黒き森〉だよね?」
なぜ温室の中から行けるのだ。イサの問いに、エンデュミオンが溜め息を吐いた。
「元々はエンデュミオンがやったんじゃない。ギルベルトだ」
元王様ケットシーか。
灌木の間を抜けたら、足元に飛び石が現れた。飛び石が進む先には小振りの二階建ての家があった。家の横の畑にはケットシー達がいて、作物の手入れをしている。家の近くに敷かれた敷物の上では、修道女姿の南方コボルトと、スカートを身に着けているカニンヒェンプーカが糸を紡いでいた。
そして、家の前のテーブルとベンチでは、修道服姿の初老の男性と大きなケットシーが〈王と騎士〉をしていた。
「坊や!」
大きなケットシーが大きな緑色の瞳を輝かせてこちらを向いた。長毛種らしくもさもさの尻尾がピンと立つ。
「やっぱりいたか、ギルベルト」
「幼子の気配がした」
にこにこと目を弓なりに細めてギルベルトがやってくる。近くで見ると見上げてしまう大きさだ。ギルベルトは黒くて、豊かな襟毛が真っ白だった。
ギルベルトはまずエンデュミオンを抱き上げて、ぎゅっと抱きしめた。諦観したようなエンデュミオンの横顔が見えた。いつもの事らしい。
それからギルベルトはイサとピルグリムも交互に抱き上げて、額にキスをしてくれた。ほわっと何かに包まれる感じがしたので、これが〈祝福〉だろう。
「有難う、ギルベルト。イサだよ」
「……有難う。ピルグリムだよ」
「ギルベルトだ。〈Langue de chat〉の近所の〈針と紡糸〉のリュディガーが主だ」
ギルベルトは仕立て屋にいるケットシーだった。主のリュディガーは仕立屋ではなく薬草採取家で、番のマリアンが仕立屋なのだそうだ。
「マヌエル、この二人が碧羅と嵐の〈柱〉だ」
「なんですと!?」
黒い修道服の男性が急いでやってきて、人差し指でエンデュミオンの額にぐりぐりと渦を作った。
「どうして先触れをくれないんですか。きちんとした正装でお迎えしましたものを」
「止めろマヌエル、変な所に旋毛が出来る」
ぺしぺしとエンデュミオンがマヌエルの腕を叩く。
「……仲良し」
ピルグリムの言う通り、エンデュミオンとマヌエルは仲良しのようだ。
マヌエルがイサとピルグリムの前に片膝を付く。
「失礼を致しました。隠者のマヌエルでございます。碧羅の大賢者と嵐の大魔女のご来訪、心より歓迎いたします」
「初めまして、イサだよ」
「初めまして、ピルグリムだよ」
「気安い男だから、困った事があったら相談するといい。マヌエル、この二人は家族と一緒にエルネスティーネの森に住んでいるんだ」
エンデュミオンが額に渦巻きを作ったまま言った。マヌエルがふふっと笑う。
「エンデュミオンが何処かから移植した古代の森ですね」
何か色々とばれていそうである。
「近くの木に〈扉〉を作ったんだ。赤茶色の〈扉〉がエルネスティーネの森行きだ」
「承知しました」
「マヌエル、今度ゆっくり挨拶に来るね」
イサはマヌエルに尻尾を振ってみせた。〈扉〉も作ってもらったし、家族全員で挨拶に来なければ。
「はい。お待ちしています」
敷物の上で糸を紡いでいたのは、聖職者コボルトのシュトラールとヴェスパの母親のカニンヒェンプーカのグリューヴルムだった。父親のスコルピオーンは間伐の手伝いに行っていて留守だった。
「向こうに行って小川を渡るとケットシーの里に行けるんだが、今度な。温泉があるからつれていってやる」
「温泉!」
温泉と聞くと血が騒いでしまうのは、元日本人だからだろうか。
「ケットシーと混浴だがな」
「楽しみ!」
こちらの世界に来てから、温泉はとんとご無沙汰だ。
「よし、戻るぞ」
「うん」
「……うん」
マヌエル達に前肢を振って、赤茶色の〈扉〉を潜ってエルネスティーネの森に戻る。慣れ親しんだ森の空気にほっとする。
「イサ、ピルグルム、どうだった?」
額に渦巻きを付けたままのエンデュミオンの伺うような声音に、イサは笑ってしまった。
「エンデュミオン、魔改造しすぎ!」
「色々あって、最終的にああなったんだ。何かあった時に駆け込めるようにな」
「基本的にイサ達は、温室経由で裏庭から訪問でいいのかな?」
「そうだな。台所には大抵孝宏がいるし。街での買い物は孝宏と一緒に行ってもいいし、テオとルッツに頼めば配達もして貰えるぞ」
軽量配達屋は買い出し依頼も受けてくれるのか。便利だ。
「エンデュミオーン」
「おかえりー、おやつー」
泉がある方の木立から、ンガガルとンガガロが走って来る。その後ろから手を繋いだヴィンフリートとラライラがやって来る。
「泉を見て来たのか?」
「うん。綺麗だった」
「カチヤとお魚釣りに来たいな」
双子のアナグマは釣りが好きらしい。
「どれ、おやつにしようか」
エンデュミオンが草の上に敷物を広げる。〈時空鞄〉からバスケットや、お盆に乗せたティーポットやマグカップ等も次々に取り出し始める。
「今日のおやつは、桃のゼリーだぞ」
「やったー」
ンガガルとンガガロとヴィンフリートが喜ぶ。
エンデュミオンが取り出したのは、ピンク色に染まった桃のシロップ煮が入ったゼリー入りの硝子のコップだった。確か皮と一緒に煮ると色が移るんだったか。作ったのは孝宏だろう。
「おいしー」
「美味しいねえ」
「美味しいねえ」
ンガガルとンガガロ、ヴィンフリートが食前のお祈りの後、早速食べて幸せそうな顔になる。
「へえ、ゼラチンとか寒天が手に入るんだな」
「ああ。倭之國の食材もリグハーヴスの街で手に入るぞ、輸入雑貨屋があるんだ。味噌とか醤油とか鰹節とか」
「おおう……」
イサは両前肢で顔を覆った。知っていたら今日連れて行ってもらったのに。
「イサ、次は絶対買いに行く」
「今エンデュミオンが持っているの、やろうか?」
「欲しい」
イサは即座にエンデュミオンに両前肢を差し出した。受け取った容器や紙袋を大事に〈時空鞄〉にしまい込む。これで味噌汁を作ろう。
「イサ、区切られた森から出られて良かったー」
しみじみと思いつつ、口に入れた桃のゼリーは、格別に甘かった。
何処で切ったらいいのか迷って、長いまま上げました。
イサは元々日本人なので、相手によって丁寧な言葉遣いも出来たりします。
日本食に飢えていたので、和の食材が買えると知って大喜び。
温泉も楽しみ。グリムは闇なので、お風呂には入らなそうです。
ギルベルトのセンサーは今日も冴え渡っています。
ヴィンフリートへの〈祝福〉はまた今度。




