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三年後、王室御用達になった私の商会に、元婚約者が面接に来ました  作者: 秋月 もみじ


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第9話 王室御用達披露パーティー


大広間の高い天井に、シャンデリアの細かな結晶の音が降りていた。


——正確には聞こえていない。

聞こえていない音を聞いている気がするほど、広間の空気が、静かにはりつめていた。


王族テーブルの中央に、国王レオポルド三世陛下。

右手奥に外務卿。左手奥に王室商務官、ド・ラ・フォンテーヌ卿。

貴族テーブルの窓際に、ヴァルデン侯爵家の一同。

末席のほうに、子爵家の薄緑色のドレスの少女——ミリア・ラトガー。


みな、席に揃っていた。


壇の脇で、私は息を整えた。

手のひらの冷たさは——もう気にしないことにした。


ジェラールが壇の反対側の袖に立っていた。

目が合った。彼はほんの少し顎を引いた。

それで十分だった。



「——リディア・カスティヨン商会、代表、リディア様」


進行役の声。


私は壇上に上がった。

足元の絨毯の毛足が柔らかかった。

絨毯の柔らかさをこんな時に意識する自分が、少しだけ可笑しかった。


壇上の小さな演台の上に、三年前の革表紙の冊子をそっと置く。


「本日はお招きを賜り、ありがたく存じます」


広間のいちばん奥の壁まで声が届くように、息をひとつ取った。


「——当商会の成り立ちにつき、お話をと賜りました。お時間を頂戴いたします」


冊子を開いた。


三年前の、私の字。

訂正の線のない、清書された交易計画書。


そのいちばん最初の頁に、私の目が触れた。


——「隣国エスピエラ、南部内陸の茶葉産地を起点とする、両王国間の長期にわたる交易の、構想」。


声にした。


自分の三年前の文字を声に出すのは——初めてだった。


書いた時は、まだ二十歳だった。

読み上げている今は、二十三歳。

そのあいだの三年間のことを——文字は知らない。

知らないのに、そこにちゃんといた。



頁を進める。

広間が静かだった。


「——長期にわたる取引を、一年ごとの発注に分断せず、十年単位の契約として、両国の信用の基盤に据えること」


そこまで読んだとき、

国王陛下の低い、穏やかな声が、私の朗読にひとつ応えた。


「——素晴らしい構想だ」


広間の空気が一段、明るくなった。

拍手の直前の、ほんの一瞬の、あの明るさだった。


褒められた。


——それに気づいた瞬間、私の喉の奥が止まった。


(え)

(あ、だめ、これ)

(——声が、出ない)


頁の上の次の一文が、見えているのに読めなかった。

紙の白さだけが目の前に広がっていく。


(出ない)


胸のあたりで何かがぎゅっと縮んだ。


——そこに、壇上の私の左の肘のあたりに、

軽い手の温度が触れた。


ジェラールだった。


「——ありがとうございます、陛下」


彼の落ち着いた声が、私の喉の代わりに広間に流れた。


「当商会の長年の構想をお認めいただき、光栄に存じます」


彼の肘の、私の肘に添えられた指が——離れなかった。

離れないまま、私に小さく頷いてみせた。


(……ああ)


喉の奥が解けた。


私は頁の次の一文に、目を戻した。



「——では、本日、この場にて」


王室立会人の声が、広間の中央に流れた。


「エスピエラ王国カスティヨン本家、ならびに当王国リディア商会との、

十年にわたる茶葉交易契約を、王室の立会いのもと、ここに正式に締結する」


契約書が運ばれた。

私の署名。ジェラールの署名。

王室立会人の封印。


紙の上の乾いたインクが——十年分の未来に輪郭を持った。


広間の、貴族テーブルの窓際の方向から、

かしゃん、と乾いた音がひとつ聞こえた。


ワインのグラスがソーサーに落ちた音だった。



音のした方を、私は見ていない。

見なくても、誰の席から聞こえたか、広間の人は全員わかっていた。


視線だけが、そちらに流れた。

視線の流れる音が——聞こえる気がした。


セオドア・ヴァルデン。


彼の胸元の白い布に、赤が広がっていた。

手が震えていた。

口元が動いた。

何か小さな音節を繰り返していた。


——たぶん、「☆」の数字を。


思い出したのだ、と壇上の私はようやく理解した。


三年前、自分が何を書き込んだかを、

三年前、自分が何を朗読して笑ったかを、

彼は忘れていた。


忘れていたものが、今日、この広間で——ぜんぶ一度に戻ってきた。


私は冊子を閉じた。


そのあと国王陛下が、王室立会人を呼び、低く穏やかに言った。


「ヴァルデン侯爵家の茶葉供給の件は——当該商会に一任する」


広間が、再び静まった。


今度の静けさは、息を呑む種類のものだった。


◇◇


馬車の車輪の音が、乾いた石畳を叩いていた。


わたくしは夫のすぐ横に座っていた。

座っていた、はずだった。

馬車の揺れのどの瞬間も、わたくしには届いていなかった。


陛下のお声が耳の奥に残っていた。

「当該商会に、一任する」。


公式のお言葉だった。

侯爵家の今後の茶葉供給は、わたくしたちの手の中からはもう出ていった。


三年前、わたくしはひとりの娘を、この家から出した。

三年前に出したものが、三年後に——家全体を外側から縛ることになった。


夫は何も言わなかった。

夫が何も言わないときの方が、夫が言葉を発するときよりも——わたくしには重い。


「——私たちは、自分の家の未来を、自分で潰したのね」


言ってしまってから、わたくしは唇を噛んだ。


言葉にしてはならない種類の事実だった。

言葉にしてしまった事実は——もう取り消せない。


侯爵家の深い赤の家紋が、馬車の扉の内側で、

淡い灯りに揺れていた。


◇◇


王宮の西翼のテラス。


披露パーティーの余韻が、大広間の方から遠く漏れていた。

笑い声と、硝子のぶつかる音と、楽団の終盤の旋律。


春の夜の風が、テラスの石の手摺を冷たくしていた。


ジェラールと私は、肩が触れない距離で並んで立っていた。


「……お疲れさま」

「お疲れさま」

「ジェラール」

「うん」

「肘」

「うん」

「……ありがとう」

「仕事だ」

「またそれ」


彼は笑った。

ひと呼吸分だけ、短く。


そのあとで、テラスの手摺の向こうに視線を戻した。


「リディア」

「なに」

「明日の朝、商会で会いましょう」


その言い方が——いつものビジネスの約束の言い方とは、

違う層にある気がした。


気がしただけ、かもしれない。


でも今夜は、気がしただけでも十分だった。


「うん」


と、私は答えた。


春の夜空に、星がひとつ、やけにはっきりとあった。

——なんの星なのかは知らない。

知らなくても、そこにある星だった。

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