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三年後、王室御用達になった私の商会に、元婚約者が面接に来ました  作者: 秋月 もみじ


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2/10

第2話 不合格通知と、三年前のこと


不合格通知にひと手間かけるのも、悪くない。


面接を終えたその夜、私は商会の執務室で、机の上に便箋を一枚広げた。

商会の角印はすでに押してある。あとは署名の前に本文を書けばいい。


——ご期待に沿えず、申し訳ございません。


それだけ。


もっと短く書くこともできたけれど、商会の正式な通知書の体裁には、体裁のぶんの紙の余白がある。余白を埋めるのは美辞麗句ではなく、署名と封蝋でいい。


三年前の茶会の席に比べれば——ずいぶん穏当な文面だと思う。



三年前。

彼の誕生日の、午前中の応接室。


半年かけて書いた交易計画書を、革のリボンで結んで贈った。

結び目のところに、祖母から教わった蝋封の花をひとつ。

祖母はその蝋封の花を「ひとにあげるものに、ひと手間を残しなさい」と言って、私に教えた。

理由は聞かなかった。祖母がそう言うときは、たいてい理由が先にあったからだ。


朝の光が窓から差していて、私は少し緊張していた。


セオドアは受け取って、表紙をめくって——わずかに止まった。


「……僕に、手紙より計画書を贈るのが、君らしいね」


それで笑った。

一緒にいた彼の友人たちも笑った。

紅茶のカップが誰かのソーサーに戻る音だけが、笑い声のあいだにひとつ響いた。


私の手のなかには革のリボンの切れ端だけが残っていて、気がつけば私も一緒に笑っていた。


笑っていた、はずだ。


——あの日、私はどんな顔をしていたんだろう。



ペン先からインクが落ちそうになっていた。


慌ててペンを傾ける。

便箋は無事だった。

それでもインク壺の縁に、黒いしずくがひとつ残った。


拭き取る。書き終える。封をする。封蝋は商会の紋。


面接の結果は文書で伝えるだけ。

採否の理由は書かない。それが商会の方針だ。

不採用の理由を詳しく伝えることが、ときに候補者にとっても酷になることを——私は知っている。


封を終えて、机の端に置いた。

朝いちばんの郵便に出せば、それで三年前にひとつ区切りがつく。


——はずだった。


つかなかったのだ。


机の奥の鍵付き引き出しから、もうひとつの鍵を取り出す。

普段は開けない。

書庫のいちばん奥の棚の、鍵。


ひとりで夜に開けるような棚ではないのだけれど。


今夜は頭の片隅に、小さな影が引っかかっていた。

履歴書の、右上の「☆」のマーク。



書庫の奥の棚の、下の段。木箱のなかに、革表紙の冊子が一冊。


私が三年前に書いた、交易計画書だ。


ランプを机に置いて、埃を指先で払う。

書庫は紙の匂いと、乾いた木箱の匂いと、そのずっと下のほうに、去年のあいだに焚いた香木の残り香がかすかに残っていた。

——ひとりで夜に来る部屋の匂いだ、と思う。

昼にはなぜか気づかない匂い。


表紙を開く。紙の匂いが立つ。

指先に、三年ぶんの冷たさが吸いついた。


半分ほどめくる。


(あった)


右上の余白に、細い線で引かれた星。

その隣に、小さく。


**☆採点 2/10**


見覚えがあった。

あったのだ、ずっと。

彼からこれを返された日に、一度目にしている。


ただ、そのときは数字しか見なかった。


点数が十点満点の二点であることの意味だけで、あの日の私にはもう十分すぎた。


筆跡までは覚えていなかった。

覚える必要もなかった。


今日の履歴書を、頭のなかでもう一度めくる。

名前の字。経歴の字。余白の詰め方。——右上の、癖のある「☆」。


同じだった。


当たり前だ。

同じ人間の字なのだから。


当たり前のことが、今夜、私の中で引っかかっていた。


——三年前に自分の書いたものを笑った人間が、三年後、私の商会の面接に、同じ「☆」を履歴書に書いて現れた。


(覚えていないんだろうな)


自分の書いた字がどこに残っているかを、考える種類の人ではなかった。

三年前の茶会で友人の前で朗読したとき——リディアが一緒に笑っていたかどうかさえ、たぶん見ていなかった人だ。


私は冊子をそっと閉じた。

もう一度、革の紐で結ぶ。


——これは、今夜は棚に戻さない。



どれほど机に向かっていたのか。


窓の外はいつの間にか、夜と朝の境目の色だった。

暖炉の火はとうに燃え尽きていて、部屋が冷えはじめていた。


足音がした。扉が開いた。


——そのあとが、静かだった。


肩に布の重みがかかった。


羊毛のブランケット。

あたたかい、というよりは、「冷えていたことを思い出させる」重みだった。


「……」


顔を上げないままでわかった。


「もう少し、仮眠室を使ってもいい」


低い声。

こちらを見ていない気配だった。

机の上の冊子には視線を落とさないようにしている——そういう気配だった。


(見ても、いいのに)

(……いや、見ないでくれて、いい)


どちらが先に来たのか、自分でもわからなかった。


足音が扉のほうへ戻っていく。

私はその背中に、


「ありがとう」


と、小さく言った。


聞こえていたかは、わからない。


扉が閉まった。


机の端に置いたランプの、油の減り具合を、なんとなく目で追う。

替えの油はたしか、書庫の隣の物置の——いや、今日の午後にクローディアが補充していた。

覚えている。覚えているのに、なぜこんなことを今、考えているんだろう。


(……仮眠室の毛布、新しいのを入れてくれたのは、誰だっけ)


冊子の上に手を置いたまま、しばらく動かなかった。



朝が来た。


窓の外の空の色が、いつのまにか乳白色に変わっている。

ランプを消すと、部屋の隅にまだ残っていた暗がりが、朝の薄明かりに溶けた。


商会の事務室に、朝いちばんの郵便が積まれていた。

いつも通りの束だ。取引先からの見積もり、王都の商業ギルドからの通達、エスピエラ王国の関税局からの確認書——。

その一通だけ、封蝋の色がほかと違っていた。


深い、赤。

中央に、羽根を広げた鷹の紋。


——ヴァルデン侯爵家の家紋。


差出人の名を見る。


**侯爵夫人 エロイーズ・ヴァルデン**


セオドアの、母だった。


手のなかで、その封筒はやけに軽かった。


紙一枚ほどの重さ。

けれど、この家の名で書かれた紙がこの商会に届くことの重さは、それとは別の話だった。


軽さの正体は、まだわからない。

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