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三年後、王室御用達になった私の商会に、元婚約者が面接に来ました  作者: 秋月 もみじ


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第1話 3年後、元婚約者が私の商会に面接に来たのですが


「——志望動機をお聞かせ願えますか?」


机を挟んで座った男は、私の顔を見た瞬間から目を合わせていない。


「当商会は、経験よりも志望動機を重視しています」


低く、穏やかに繰り返した。


革張りの椅子が軋む音だけが返事をした。



三年前のことを、今ごろ思い出す。


父は実家の応接室で、私の顔を見ないまま言い放った。


「商人に嫁ぐなら絶縁だ」


母は窓の外を見ていた。兄はいなかった。

家名を汚した娘の顔を見るのは、一家のうちで父一人で十分だ——そういう家だった。


あれから隣国へ渡った。

祖母が遺した種銭と、祖父の形見の鑑定用具を、鞄ひとつに詰めて。

茶葉を売った。商会を立ち上げた。王室御用達の札を掲げるところまでたどり着いた。


今日は新人採用の面接日。


三人目の候補者の履歴書は、応接室に入る直前に私のもとへ届いた。

名前を見た瞬間、手のひらが冷たくなる。


**セオドア・ヴァルデン。**


侯爵家次男、齢二十五。

職歴——貴族家の紹介で入った王都の小さな商会、勤続一年半。


見間違いであってほしいと数拍ほど願って、諦めた。

字が三年前のままだった。余白の詰め方にまで気を使う、綺麗に整った筆跡。


その右上に、小さく書かれた「☆」のマーク。


——どこかで見たことがある。


思い出しかけて、何かが指のあいだをすり抜けていった。


横に座る副代表のクローディアが、履歴書の角を指先でなぞった。


「……リディア様、この方」

「ええ。たぶん、同じ方です」

「代わります。私が面接しますから」


彼女の声は低かった。机の下で拳を握っているのが、袖口の動きでわかる。

私は首を振った。


「大丈夫」

「……」

「きちんと面接しましょう。商会の方針は、家柄で候補者を落とさないことです」


クローディアが小さく息を吐いた。私も同じだけ吐いた。



「どうぞ、お入りください」


扉が開いた。


入ってきた彼は、三年前と同じ仕立ての上着を着ていた。

仕立ては同じなのに、肩のあたりが微妙に余っている。


「お久しぶりです、リディア」


空気の温度が下がった。

気のせいではない。クローディアのペンの持ち方が変わった。


「……お久しぶりですね」


頷きもせず、微笑みだけを返す。


「お久しぶりですね。当商会は、経験より志望動機を重視しています」


そこで一拍、置いた。


「——で、なぜ当商会で働きたいと思われたのですか?」


(「経験を語らせる」と、この人の得意な話術に引きずり込まれる)

(志望動機なら、思想を問うことになる)

(——思想を持たない人間には、最も答えにくい質問だ)


「貴社のビジョンに共感したからです」


三年前もこういう言い方をした人だった。


舞踏会で。仕立屋で。茶会で。

誰かに感想を求められるたびに——「素晴らしい」「共感した」「いいと思う」。

中身のない社交の定型文。それが、社交界では彼の武器だった。


(ここでは、武器になりません)


私は穏やかに尋ねた。


「では、当商会のビジョンを三つほど挙げていただけますか」


空気が止まった。


彼が机の上の履歴書を見下ろす。

自分で書いた履歴書に、答えは書かれていない。


「えっと、その……海外との交易を拡大する——」

「それは事業内容です」

「……貴族階級への——」

「それも事業内容です」

「……」


彼の手が机の上の水差しに伸びて、途中で止まった。

グラスに自分で注ぐという作法が、侯爵家の応接室にはなかったらしい。

手のひらを膝の上に戻す。指先がわずかに震えていた。


私は何も言わなかった。

急かしもしなかった。

私の仕事は、候補者の中身を引き出すことであって、追い詰めることではない。


——追い詰めていたのは、彼自身だった。


クローディアが横でペンを一度だけ動かし、書類に何かを書き足した。


一分。


二分。


三分。


その三分のあいだに、私は彼の三年ぶんを、ほとんど見終えていた。

肩の余り方。爪の長さ。靴の汚れ方。

「侯爵家次男」の看板だけで三年生きてきた人の姿だった。


「ありがとうございました」


私が立ち上がる。彼もつられて立ち上がった。


「結果は追ってご連絡いたします」


面接室を出ていく背中が扉で半分消えたとき、私はようやく肩の力を抜いた。



応接室の扉を閉めると、廊下の壁際に一人立っていた。


ジェラール・カスティヨン。


共同経営者。出資者。私が三年、仕事の片腕として信頼しきっている人。


「お疲れさま」


低く落ち着いた声。その手に、湯気の立つカップがふたつ。


「どうぞ」

「……ありがとう」


片方のカップが私の手に渡された。

渡す瞬間、彼の指先が私の指先に触れた。


一瞬だった。

たぶん偶然だった。


それなのに——


触れた場所だけが、長く熱を持っていた。


(……なんで今、こんなこと考えているんだろう)


一口、含む。


祖母がよく淹れていたブレンドに、少し似た香りがした。

花の匂いと、青草の匂いと、その下に隠れた、煙っぽい後口。

子どものころ祖母の膝の上で一口だけ飲ませてもらった、あの味に近い。


温度がぬるめに整えてある。

飲みやすい温度。——私が今、熱いものを飲めないと知っている人の温度。


「……あの人」

「知ってる」

「え」

「履歴書を、先に見た」

「そう、だったの」


ジェラールはカップを持ったまま、廊下の窓の外を見ていた。

夕方の光が、彼の横顔の輪郭だけを淡く金色に染めている。


「採否は、君が決める」


そう言って、一度だけ私を見た。


「俺は、結果を尊重する」

「……ありがとう」

「お疲れさま」


もう一度そう言って、彼は先に歩き出した。

足音が廊下の石畳に吸い込まれていく。


私は廊下に残って、カップを見つめた。


机の上に置いてきた履歴書を、頭の中でもう一度めくる。

右上の小さな「☆」のマーク。


——どこかで見たことがある。


見たことがあるのだ。確かに。

遠い記憶の箱を引っくり返しても、鍵の位置がわからない。


指先が何かを思い出しかけて、またすぐに逃げていった。


温かいカップを握り直す。


手のひらに、さっき触れた熱がまだ残っている気がした。


——答えは、まだ出ない。

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