第六十九話
時刻は消灯時間を過ぎていた。
深夜0時を回ろうかと言う頃、俺はなかなか寝付けずにいた。
いつネックレスを渡そうかな⋯⋯。
お土産だから、帰った時に渡すのが正解だよな。⋯⋯でも、ネックレスを渡すためだけに呼び出すのはなんか違う気がする。
どこかで都合がつくときに渡すか⋯⋯。
なんてことを思っていた時、俺の枕元に置いてあったスマートフォンが震え出した。
アカリだった。
なぜこんな時間に電話を?
疑問に思いながら俺は布団から抜け出し、寝ている二人を起こさないよう、窓際に移動する。
「もしもし?」
『もしもし⋯⋯今、電話できる?』
「できるけど、どうしたんだ? こんな遅くに」
俺の言葉に、アカリは数瞬黙り。
『声、聴きたくて』
「なんじゃそりゃ」
窓際に置いてある椅子に腰掛け、足を組んだ。
『今日、サクラちゃんと楽しそうにしてたから、気になったの』
「スキー教えてただけだよ」
『本当に?』
「本当だよ。まあ、サクラさんが楽しんでるように見えたなら何より」
アカリの言いたいことがイマイチ分からない。
結局、何が言いたいんだ?
そう踏み込めば良いのだろう。だが、そんなことは聞けなかった。この瞬間の、特別で繊細な空気を壊したくないから。
「北見さん、スキーは楽しかった?」
『うん、トウマ君が教えてくれたから』
「そうか、よかった」
そこで会話が途切れる。沈黙の時間が続いた。何か話そうと口を開けど、頭には何も浮かんでこない。
なんか変だな⋯⋯。
違和感を感じていると、不意にアカリが口を開いた。
『トウマ君⋯⋯月が綺麗だね』
その言葉を受け、疑問符を浮かべた。急に月の話題を出してくるなんて。
俺はカーテンを開けた。月明かりが差し込んでくる。今夜の月は満月で、月本来の美しさを遺憾なく発揮していた。
確かに、こうも綺麗だと言いたくなるよな。
「そうだな」
『えっ⋯⋯?』
「空気が澄んでるから、いつもより綺麗に見えるのかもな」
そっとカーテンを閉める。
時刻は深夜1時を回っていた。
「明日早いから、もう寝るぞ。寝坊すんなよ」
『う、うん。バイバイ』
「またな」
そこで、電話を切った。
一時間近く話したが、アカリが何を言いたかったのか、俺にはさっぱり分からなかった。
◇◇◇◇◇◇
(北見アカリ視点)
これじゃダメだ⋯⋯。
入力された文面にため息をついて、削除していく。
また振り出しになっちゃった⋯⋯。
今日、トウマ君はサクラちゃんにスキーを教えていた。二人とも楽しそうで、友達が楽しそうにしているなら、それでいいと思った。
でも、胸の奥の、そのもっと奥のところがズキズキしてどうしようもなかった。
無意識にストックを強く握りしめていた。
今日のことをトウマ君に聞こうとして、メールを送ろうとしたけど、どう送ればいいのか分からない。それに、返事が来るまで、私はろくに寝付けないと確信していた。
じゃあ、電話するしか⋯⋯。
いやいやいや!
恥ずかし過ぎる⋯⋯!
そもそも、友達同士できないことを教えてあげるのは普通のことじゃん。何もムキになって気にすることじゃないのに⋯⋯。
開かれた電話帳の画面。
そこにある十一桁の番号を一回押して仕舞えば、トウマ君がスマートフォン越しに声を聴かせてくれる。
私のそばに寄り添ってくれる。
震える指で、ボタンをタップした。
コールが4回続いた後、トウマ君の声が聞こえてきた。
『もしもし?』
「もしもし⋯⋯今、電話できる?」
『できるけど、どうしたんだ? こんな遅くに』
あ、理由⋯⋯。サクラちゃんのことが気になって。なんてことは聞けなかった。
「声が聴きたくて」
あぁ、変なこと言っちゃった。
「なんじゃそりゃ」
ほら、トウマ君も不思議がってるし。
回らない頭を必死に動かして、言葉を紡いでいく。
でも、限界はすぐにやってきた。
何か話そうとしても、何を話せばいいか分からない。どんな声で喋ればいいか分からない。
沈黙の時間が続いた。気まずい、何か話さなきゃ。そう思うと同時、この時間が心地いい、ずっとこうしていたい、なんて変な気持ちも降って湧いてくる。
いつまで黙っていたんだろう。頭に霧がかかってくるような感覚がした。だから、気付けば口にしていた。
「トウマ君」
止めることはできなかった。
「月が綺麗だね」
言い終わってから、顔が沸騰したかと勘違いするほど熱くなる。
頬に添えた手がひんやりと感じるほどに。
『そうだな』
「えっ⋯⋯?」
ドクン、と心臓が跳ねる。
「空気が澄んでるから、いつもより綺麗に見えるのかもな」
緊張に縛られた体と心がほぐされる。
『明日早いから、もう寝るぞ。寝坊すんなよ』
「う、うん。バイバイ」
『またな』
そこで電話は切られた。
「またな」と言う言葉に、どうしようもない嬉しさが込み上げる。明日顔を合わせることはわかってる。でも、それでも、また会えると言うことを、本人の口から言ってもらえたのが夢みたいで、上がる口角を抑えられなかった。
枕に抱きつき、顔を埋める。
残念な気持ちと、安堵した気持ち。あの言葉に気づいてくれて、返事を返してくれたのなら、私はどうなっていたんだろう。泣き疲れて眠ってしまうか、いろんな場所にいく計画を立てて、寝られずにいるか。
そのどちらも選べる今は、なんて幸せなんだろう。
今のもどかしいこの関係を早く終わらせたいのは確か。でも、この長いようで短い瞬間は、何よりも代え難いのだ。
そんなことを思っていると、寝ることなんてできなかった。
◇◇◇◇◇◇
(篠村トウマ視点)
ホテルの玄関に、生徒が集まる。出発する時間だ。寝ぼけ眼を擦る生徒もいる。
俺はあくびを噛み殺しながら、到着するはずのバスを待った。
「トウマくん、おはよ」
背後から声をかけられた。少し眠そうな声。
「あぁ、おはよう⋯⋯って、どうした」
振り返ってみれば、アカリは目の下にクマを作っていた。あくびを何度も出そうになっているが、その度に噛み殺し、目を潤わせた。
「眠れなかったんだって〜。アカリってばドジだね〜」
「うるさいよユウナ」
アカリは頬を膨らませてユウナの方をポカポカと叩く。そんなコミカルな姿を見て、思わず笑みをこぼした。
「トウマさん、おはようございます」
「おはよう、サクラさん。よく眠れた?」
「はい。とっても」
サクラはいつもと変わらない。
その時、アカリが俺の腕を掴んだ。
ほんの少しだけ、腕を引かれた。アカリが背伸びをした。俺の耳元に向かって。
「トウマくんのせいなんだからね」
「え⋯⋯」
俺のせい?
昨日の電話、遅くまでしてたからなぁ。確かに俺が悪いか。
「ご、ごめん」
「んふふ、いいよ」
アカリは俺を見ておかしそうに笑う。一体何が面白いのだろうか。
ふと、アカリの顔を見て思い出す。
ネックレス、いつ渡そう⋯⋯。
飛行機に揺られ、俺たちは北海道を飛び出した。
◇◇◇◇◇◇
非日常から抜け出し、三日ぶりに見た校舎は、休日明けに見るものとは全然違うように見える。
どこか懐かしい、少し湿った寒い空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
ユウナはシュンと帰るため、俺一人で帰路に着くことになった。
キャリーケースを引きながら歩く。イヤホンをして、音楽を流しながら。
頭の中にあるのはアカリに渡そうとしているネックレスだ。
今日はすぐに帰っちゃったし、呼び出すしかないか。
学校だと没収されるかもしれないし。
音楽をとめ、メールの文面を考えた。二分は考え抜き、送信ボタンを押そうとした。
瞬間、アカリからメールが来た。
『明日、渡したいものがあるんだけど会える?』
偶然にもアカリも同じことを考えていたようだ。これ幸いにと俺は話に乗っかる。
「俺も誘おうとしてた。明日会おう」
『わかった。昼くらいでいい?』
「うん」
すぐに話はまとまり、悩みの種は消えた。
俺は再び音楽を聞き出した。
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