第六十二話
「はぁはぁはぁ」
膝に手をつき、乱れた息を整える。
「負けたよ」
上から声をかけてきたのは甲斐田だった。
「速かったな」
「先輩も⋯⋯めっちゃ速かったです。怖かったですよ」
俺の言葉に、甲斐田は苦笑した。俺の背中を叩く。
「お前のほうが相応しいんだな」
「何にですか?」
「いずれわかる」
それ以上、何も言わなかった。観客席に戻っていく。
直後、同じチームの先輩に飛びつかれた。
「トウマすげえよ!」
「よく勝ったよねぇ」
「あそこからまくるなんてな!」
口々に褒め称えられ、気恥ずかしくなる。
「いやー、抜かれた時はどうなるかと思ったけどね」
閉会式をするため、観客席から生徒が降りてくる。グラウンドは埋まり、すぐに閉会式が始まった。
◇◇◇◇◇◇
(波川サクラ視点)
一生懸命に走っている篠村さんは、とてもカッコよかった。私には手も足も出ないほど速い先輩を劣勢の状況から抜き返してみせた。
走る前、先輩と何かを話していたような雰囲気があったけど、私の場所からは聞こえなかった。距離が近かったとしても、声援で聞こえなかっただろうけど。
でも、先輩と何かを話してから、明らかに篠村さんの空気が変わったのが見てとれた。
目つきが鋭くなり、猛獣のような威圧感を出し始めたから。
そんな篠村さんを見て、私の胸は高鳴っているのだ。もう、ユウナさんや、シュンさんにはバレてるかもだけど、私は篠村さんが好きだ。
あの静かな時も、私と話す時の柔和な時も、危なっかしい時も、全部が好きだ。
好きになったタイミングはわからない。でも、いつからか、視線で追っていた。
勇気を出して、篠村さんと同じグループになれるよう、頑張った。
林間学校のとき、急激に距離が縮まった。篠村さんは私が何か重いものを持つと、率先して手伝ってくれた。一緒に肝試しを回りたいという、無茶なわがままも聞いてくれた。
怖がる私に優しく話しかけてくれた。
⋯⋯思ってしまったんだ。もしかしたら、篠村さんは私のことが気になっているのじゃないかって。
でも、実際はそんなことはなくて、いつもアカリさんの近くで笑っている。
アカリさんの家で勉強した時は、篠村さんがトイレに行った時、アカリさんのお母さんと話しているところを見た。隠れて見るのは失礼だと思ったけど、そうせざるを得なかった。だって、篠村さんがすごく楽しそうだったから。
苦笑しつつも、お母さんとは仲良く話してるから。
クラス会で海で遊んだ時、水着を篠村さんに褒められた。私はそれで胸がいっぱいになった。でも、アカリさんはそうじゃなかった。篠村さんに見てほしいと直接言った。私には逆立ちしたってできない芸当だった。あんなにまっすぐに好意を伝えられるなんて。
そして、そのあと篠村さんはナンパされた。綺麗なお姉さん二人組に。私はさっきの遅れを取り戻そうとして、抱きついた。抱きついて、離さないと宣言した。
でも、アカリさんは私よりも長く抱きついて、篠村さんと何かを話していた。
私にはできなかった。
夏祭りの時、私はぼんやりと篠村さんはアカリさんと出かけているんだろうな、と思っていた。なんとなくだ。でも、どこか確信めいたものもあった。結局私の予想は当たっていて、二人は夏祭りを楽しんでいた。
私は弟の手を繋いでそれを見ていた。
弟は手が痛いと言っていた。私は無意識に手を握っていたらしい。
嫉妬なんて、いらないのに。友達が幸せになろうとしてるのだから、それを見守れば良いのに。なんて言葉はすぐにかき消された。
でも、理性だけは働いた。踵を返して視界に入る前に消えようと思ったけど、アカリさんは私を見逃さなかった。心の中にモヤモヤが溜まっていった。
そして、邪魔をした私を蔑むことなく、それどころか一緒に花火を見ようと提案してくれた。
胸が締め付けられた。
私は不思議に思った。私とアカリさんは何が違うんだろうって。
話し方? 愛嬌? かっこよさ?
何かを思い浮かべたって、しっくりとくる答えは思いつかない。きっと、思い浮かばないから、私はダメなんだろうな。
そんな堂々巡りの思考を回しながら、布団を頭まで被って、朝まで悩んだ日もある。
もしかしたら、期限をつけたらいいんじゃないかって思った。だから、体育祭までを期限にした。それまでに気付けなかったら、私は諦めようって。
でも、閉会式が終わった今でも、こうして藁にも縋る思いで考えている。
なんて意地汚いんだろう。どうして潔く諦められないんだろう。
自分を否定する言葉が浮かんでは霧散する。今にも泣き出したくなる。
ずっと前で篠村さんと話しているアカリさんを見た。
アカリさんは楽しそうに、ただ、少し頬を赤らめている。その背中には、何か一種のプレッシャーのようなものが感じ取れる。
やっぱり、私は何かがない。アカリさんと私には、何か決定的な差がある。きっとそれは、篠村さんに必要なものなんだ。
篠村さんは、私が転んだ時、手を差し伸べる。
篠村さんは、アカリさんが転んだ時、笑って横に立つ。
きっと、これだ。私はどう頑張っても、篠村さんの横には立てない。後ろで支えることができても、篠村さんの視界にはいられない。
でも、アカリさんは違う。 アカリさんはトウマさんと対等に肩を並べられる。同じ困難を乗り越えられる。どちらかが倒れた時、肩を組んで、一緒にゴールできる。
だから私は違う。⋯⋯なんで、もっと早く気付けなかったんだろう。気付けてたら、傷も深くなかったのに。
アカリさんは、横に立とうとしてるんだ。 なら、私は、それを見ていよう。 後ろから、二
人を眺めていよう。
二人が倒れそうになった時、いつでも支えられるよう、後ろで見ていよう。
アカリさんは水を買いに篠村さんの元を離れたようだ。
私は、汗を拭っている篠村さんに声をかけた。
「篠村さん」
「どうした?」
私を見るその目は、とても暗くって、見通せやしない。
その目にも、私は恋心を抱いていたんだ。
「私たち、ずっと友達でいましょうね!」
にっこりと笑いかけた。もう、戻るつもりはない。
「最初から友達だろ?」
はにかみながら笑う顔も、ほんの少しだけ枯れた低い声も、そのどれもが私を夢中にさせた。
きっと、関係は最初から変わってなどいなかった。
「約束ですよ、『トウマ』さん!」
ずっとこのままで。
◇◇◇◇◇◇
(篠村トウマ視点)
さっき、急にサクラが俺の元にやってきたが、一体なんのためだったのだろうか。
友達がどうのと言っていた。もしかして、友達認定されてなかったとか?
いや、さっきのセリフは否定しなかったしな⋯⋯。
でも、サクラが認めてなかったかもしれない。勝手に盛り上がってた俺がバカみたいだな。
うーん、わからん。
でも、友達認定されたってことは俺は許されたってことか。
ならそれで良いや。
「トウマ、さっき何話してたんだ?」
シュンが俺の元までやってくる。シュンは着替えていたようで、新しい体育服になっていた。
「さっき、サクラさんが来てさ、ずっと友達でいましょうねって言われて。なんのことかはわからないけどさ」
「⋯⋯まじか。いや⋯⋯⋯⋯まじかぁ」
顔を覆って大袈裟な反応をされてしまった。
「いや、そんな大袈裟なもんじゃねーよ。俺もよくわかんねえし」
「いやいやいや⋯⋯まじかぁ」
シュンはよほどショックを受けたようで、語彙力が低下している。そんなにサクラの言ったことが悲しいのか?
シュンはうなだれ、ユウナの元へ行き、何やら話している。耳打ちされたユウナは表情が曇り、シュンの肩を揺さぶっている。何を話しているのだろうか。文脈から察するに、俺についてかもしれない。そんな表情をさせるようなことをした覚えはないが⋯⋯。
疑問符を浮かべたまま、俺は帰路についた。
家の最寄り駅に向かう電車を待っていたところ、ユウナが話しかけてきた。
「やっほー」
「おう、郡元か」
「疲れましたなー」
「だな」
いつものユウナより、なんだか煮え切らない。
「なんかあったのか?」
適当に質問すると、ユウナは神妙な表情で話し始めた。
「どうやらさ、あたしの友達が振られたらしいんだよね。それでショック受けててさ」
「郡元が?」
「どういう意味?」
「いや、本人じゃないだろ?」
至極当然の発想だ。人の色恋に一喜一憂するほど、そんなに人情に厚いのか、ユウナは。
「いや、やっぱりさ、そういう話聞くと気分は落ち込むじゃん?」
「あぁ、そういうことか。⋯⋯それならあるかもな」
「トウマはどう思う?」
「どうって?」
「振ったやつのこと」
「なかなか言いにくいことを⋯⋯」
振ったやつのことか。俺には縁遠い話だ。
「まあ、何か理由なりなんなりあったんじゃないのか? 理由なしに物事をどうするか決めるやつなんてそうそういないだろうし。俺は振ったやつのことも、振られたやつのこともしらからなんとも言えないけどな」
その言葉を聞いたユウナはムッとした表情をした。
「もし、振ったことに理由がなかったら?」
「さあ」
電車が最寄り駅の途中にある別の駅に停まった。扉が開き、数人が降りていく。乗ってくる人はおらず、ユウナと俺だけになった。
「ちゃんと答えて」
ちゃんとって⋯⋯。理由がないのに振った意味。
「他に好きな人でもいたんじゃねーの?⋯⋯これも理由になりそうな気はするけど」
「そ。ありがと」
「なんだよ急に」
「駅に着いたら教えて」
冷たい態度をとったユウナは、いつものスマートフォンの画面をスワイプし、SNSを巡回する作業に入った。イヤホンを両耳につけている。いつもは片耳だけなのに。
◇◇◇◇◇◇
なんか、体育祭が終わってから、変な空気が流れている気がする。
シュンはもう元通りに戻ったが、ユウナだけは元通りにならない。
変わらずサクラとアカリはいつも通りに接してくれている。
何か気分を損ねたか?
だとしたら、体育祭の帰りの時しか思い当たる節がない。逆にそれ以外だったらお手上げだ。
しかし、本人に聞くのは気が引ける。機嫌を損ねた張本人がすまし顔で原因を教えてくれとほざく。俺でもキレる自信があるな。
シュンを頼るか。
俺は前にいるシュンの肩を叩く。
「んお?」
「体育祭から郡元がキレてるんだよ。俺が怒らせたかもしれないんだけど、原因とかってわかる?」
「あぁ、それな。俺も怒るなって言ってるんだけど、なかなか聞かなくて」
「へぇ、理由知ってるのか。教えてくれよ」
「やだよ。プライバシーに関する」
「なんだそりゃ」
妙なことを口走るシュンに違和感を感じながらも、シュンの言うことを信じることにした。シュンはユウナが怒っている理由を知っていて、それを宥めていると。なら、シュンに任せるか。
「あ、そうだ。ユウナとアカリと俺でカラオケ行くんだけどさ、お前も来る? 四人で行こうと思ってんだけど」
思い出したようにシュンがこちらを振り向いた。
「俺が? 郡元は知ってんのか?」
「俺から言っとくよ。それに、来ないと損するぜ?」
揶揄うような口調で放たれた言葉は、俺の首筋を撫でるような感覚を帯びていた。
シュンの確かめるような目。すぐに返事を返した。
「わかった。行くよ」
誤字・脱字報告を受け入れているので送ってくれたら嬉しいです。




