第三十二話
「お前なんて言った?」
俺の聞き間違いかも知れないので、もう一度言ってもらう。
「お前は焼きプリンだと言ったんだ」
コイツ、脳みそまでプリンなのか!?
男は俺を品定めしているのか、俺のつま先からてっぺんまで舐め回すように見つめる。
なんだこれ。なんの時間だ。
やがて、男は俺を指差しながら。
「オレとタイマン張れ」
「⋯⋯なんで」
「お前は『食い甲斐』がありそうだから」
やっぱり意味がわからない。
「まあ、お前に拒否権はないけどな!」
言った直後、男は滑るように距離を詰めてきた。
大きな体を縮め、俺の懐に潜り込んでくる。鋭く繰り出されるアッパーカットを、すんでのところで回避した。バックステップで距離をとり、時間を稼いだ。
こんな馬鹿に制限時間まで付き合ってられない。適当にいなして逃げ出すか。
「おい、お前!」
「んだよ」
「名前は?」
「今聞くことかよ」
男はシラけたと言わんばかりに顔にシワを作った。
「お前は料理の名前も知らずに食うのか?」
「⋯⋯⋯⋯へえ」
男は俺の質問を噛み締めた後、弧を描いていた目がスッと窄まる。猛禽類の類だ。
「オレの名前は黒名ロウ。お前を食い尽くす男だ」
ロウはいやに長い犬歯を見せながら不敵に笑う。
「俺は篠村トウマ。よろしく」
大仰な自己紹介とは対照的に、俺の自己紹介は簡潔に済ませる。
「行くぞっ!」
掛け声と共に、ロウはぬるり、という擬音が似合いそうな動きをとった。
流水のように動くロウを捉えるのは至難の技だ。だが、まだ対応できる範疇。
つま先立ちでロウを迎え撃つ。⋯⋯左。
瞬時に動きを察知し、飛んできた右フックを手の甲で軌道を変え、ボディに一発叩き込む。体を横に流し、ロウの正面から逃れる。動きが早いから正面に立つと対応が難しい。
「逃げてんじゃねえ!」
吠えつつ、叩きつけるようなハイキックをかましてきた。
受けるか?⋯⋯いや、受け流す!
足を腕で受け止めた瞬間、素早く体を回転させた。
スリッピング・アウェーの要領でハイキックの威力を受け流したのだ。そして、その回転をそのままに、回転蹴りを放つ。普通じゃありえない回転数だ、強烈な一撃になるだろう。
予想外の攻撃への転じ方に、ロウは反応できなかった。
モロに蹴りがロウの顔面に入った。ムチに叩かれるような音が響き渡る。
決まったか⋯⋯?
「良い蹴りじゃねえか⋯⋯」
ロウは滲んだ血を吐きながら呟く。
コイツ鉄人かよ!?
ロウは俺の蹴りをものともせず、巨体を活かしたタックルを俺の体に叩き込む。
その寸前。
「来たっ!」
ナツメが叫んだ。
ナツメの視線の先には、異様に足が発達した人型が宙に浮かんでいた。ジャンプ鬼か。
「逃げるぞ!」
ナツメは素早く階段を降りていく。それに俺も続いた。
「何してんだロウ、早く来い!」
「クソ、邪魔しやがって!」
どうやら俺とのタイマンを邪魔されたことに腹を立てているようだ。
今にジャンプ鬼に飛びかかっていきそうなほど。
「後にしろ! タイマンなんざいくらでも受けてやるからよ!」
「言ったな!」
俺の言葉に笑顔になるロウ。すぐに身を翻し、四階からダイブした。
「バカ⋯⋯」
急いで見下ろす。ロウは古びた配管を軋ませながら、伝って降りている。
どうやら、俺の心配は杞憂だったようだ。
俺もナツメに続き、階段を滑るように降りていく。
途中、消化器を見つけた。すぐに手に取る。やっぱり君に決めた。
ロウのようにダイブした方が早いが、あんなことをしているといつか落下死するだろうな。
ナツメは民家に逃げ込んだようだ。ロウは俺がどこにいるか探している。
俺がどこかに逃げたと思っているのか、ジャンプ鬼などお構いなしだ。
「バカ野郎! とっとと逃げるぞ!」
「逃げてんじゃねえぞ焼きプリン!」
「俺は鬼から逃げてんだよ!」
怒声の応酬をしながら、ナツメとは違う民家に逃げ込む。そこで息を潜め、ジャンプ鬼をやり過ごそうとした。ロウも俺と同じ民家に隠れる。
ブラインド越しにジャンプ鬼の動向を見守る。
ジャンプ鬼は周りを見渡しながら、ナツメが隠れている民家に近づいた。そして、窓をカチ割り、侵入した。
「助けるぞ」
「ほっときゃいいだろ、あんな女」
「⋯⋯タイマンの約束は無しだぞ」
「うっしやるかあ、助けりゃ良いんだろ?」
俺の言葉にすぐにやる気を見せる。単純で良かった。俺に興味を持っていることは最悪だが。
「真っ直ぐにあの家に突入して、ナツメを助けるぞ」
「わあってるよ」
◇◇◇◇◇◇
(桐谷ナツメ視点)
ジャンプ鬼の襲撃にあった私は、マンションの近くにある民家に逃げ込んだ。ドアには鍵をかけ、拝借したナイフを手に取り、クローゼットの中に隠れていた。
少しクセのある柔軟剤の匂いが充満していた。
一人で隠れるのは、このゲームが始まってからしているので、慣れている。だというのに、ナイフを持つ手は震えていた。ゲームが始まったばかりの私はなんとも思っていないはずだったのに。
どうしてだろう。
瞬間、脳裏にとある男の顔がよぎった。
篠村トウマ。
あの男は不思議な感じだ。
私の一言に飛び上がるほど驚いたと思ったら、しれっとハイド鬼から逃げ切ったと、なんでもないように言ったり、チーター鬼を一対一で倒したり、私にはできないことをやってのける。
初めて話した時の、柔和な笑顔。何かを隠した暗い声。チーター鬼を倒した時の、天を穿つような瞳。
一人ではないことを知ったから、一人である現状に、私の手が震えているのかも知れない。
立て付けの甘いクローゼットの扉。その隙間から、漏れ出す光がナイフの刀身に反射し、私の視界に飛び込んでくる。
その力強い光に、思わず息を呑む。
突然、窓に誰かが触れた。ガラスを引っ掻くような、つんざく音が聞こえる。その音に心臓が飛び上がった。
誰かが、隠れた家に触れたようだ。十中八九、人間ではないだろう。人間ならドアを一目散に目指すはずだ。いちいち窓を触ったりしないはず。
無意識に、ナイフの柄を握りしめた。
直後、ガラスにヒビが入る。ドアの隙間から外を覗いた。そこにいたのは、人間には到底見えない人型の何か。
「ッ⋯⋯」
飛び出す寸前の悲鳴をなんとか堪え、覚悟を決めた。
ジャンプ鬼はガラスを割って中に入ってきた。地面に散らばるガラス片を気にすることなく踏んづけ、あたりを見回す。そして、近くにあった食卓をひっくり返した。派手な音を立てて食卓が飛んでいく。私が潜んでいるクローゼットのドアにあたり、静止する。
そして、ジャンプ鬼はクローゼットに視線を移した。ギラついた瞳孔が私を捉えたような気がした。
歯をカチカチと鳴らしながら、クローゼットの前にやってきた。瞬間、クローゼットのドアを素手で突き破った。木片が飛び散り、辺りを汚した。
「キャッ!」
中に仕舞われていた洋服を引っ掴み、勢い良く引き抜く。蝶番が壊れ、ドアごと引きちぎられた。
直後、その横暴は止まる。そして、ゆっくりと、ジャンプ鬼が残ったドアに手をかける。力を入れた途端、板チョコのようにひび割れ、砕け散る。蝶番も機能を失い、ドアごと破壊された。
とうとう、私の居場所がなくなった。鬼の影が私に覆い被さる。
ジャンプ鬼と目が合う。
その瞬間、私の中にあったはずの覚悟は、放置された風船のように萎んでいった。ナイフが手から滑り落ちる。
鬼の手が振りかぶられる。
あまりの恐怖に目を瞑った。
そして、願った。
トウマくん──────────
しかし、いくら待っても、ジャンプ鬼の腕は振り下ろされなかった。とっくに死んでいて、感覚がなくなっているのかも知れない、そのことが頭によぎった。
おそるおそる目を開けてみる。
未だ私には鬼の影が覆い被さっていた。しかし、それとは別の二つの影があった。
一つは大柄な影。そして、もう一つは小さいが、見慣れた影。
二人は助けて来てくれたのだ。
「伏せろっ!」
トウマが私に呼びかけた後、持っていた消化器をジャンプ鬼に向かって放り投げた。それと同時に、ロウが鬼との距離を詰める。
鬼は消化器を弾いたが、その後隙を狙ったロウにタックルをかまされ、床に倒れ伏す。ロウが馬乗りになって、鬼を殴り始めた。
「大丈夫か!?」
すぐにトウマが駆けつけてきてくれた。
「立てるか?」
声を出そうにも、安堵からか、力が抜けてうまく声が出せない。蚊の鳴くような声を出すばかりだ。
みかねたトウマは、私の膝裏と背中に手を回し、一気に抱え込んだ。
「走るから舌噛まないようにしろよ」
そう言って、家から脱出する。私は今の状況を飲み込もうと、自分の状態を再確認する。
今、私はお姫様抱っこをされている。その事実に、場違いな感情が自分の心に広がった。
私はこんな性格だからか、女の扱いを受けたことはあまりない。それのせいか、少しだけ胸が苦しくなる。
トウマは別の民家の中に入り、私を優しく下ろしてくれた。
「ここで待ってろ。ロウの様子を見にいってくる」
「ま、待って⋯⋯」
なんとか絞り出した声。それはトウマの耳にも入っていたようだ。
「大丈夫。『探索』でこのへんにあいつ以外の鬼がいないことは確認してるから」
私を安心させるための言葉をかけ、ロウの元へ行ってしまった。
私は、その様子を見守るほかなかった。
◇◇◇◇◇◇
(篠村トウマ視点)
俺はナツメを別の民家に避難させた後、ロウに加勢しに鬼がいた民家に戻った。
俺が民家に着くと同時に、玄関からロウが出てくる。
ロウは肩を回した後、大きく背伸びをしていた。
「大丈夫か?」
「おう、当たり前よ」
「鬼はどうなったんだ?」
「中でくたばってんぜ」
言い残し、ロウはナツメのいる民家に向かった。鬼の様子を確認するため、中に入った。顔を少しだけだし、鬼がどこにいるか探す。
鬼は床に転がっていた。至る所に刺し傷がある。それこそ数え切れないほどだ。床には血溜まりができており、池のようになっていた。
鬼の横にはひしゃげたナイフが落ちていた。ナツメが持っていたナイフだ。あれを使って鬼を刺したのだろう。
俺はすぐにその場を離れ、二人がいるところに戻った。
「後四十分ってところだな」
ロウが俺が戻ってくるや否や口にした。
「脱出用のドアが開くまでだろ?」
ロウは俺の『P-device』の画面を見せてくる。
「暇だな」
「まあ、そうだな」
俺は頷きつつ返事を返す。
「⋯⋯タイマンすっか!」
「無理」
「⋯⋯」
ロウの提案を容赦なく却下し、ナツメの様子を確認した。
「ナツメさん。落ち着いた?」
「ええ、少し動揺してしまったけど、もう大丈夫よ」
「そっか。よかった」
俺は胸を撫で下ろし、床に寝転がった。最初のデスゲームから色々あったせいで、体がどっと疲れた。
明日は筋肉痛かな⋯⋯。
「本当に脱出できるのかしら?」
ナツメがポツリと呟く。
「どういう意味だ?」
ロウが疑問を口にする。
「脱出用の扉は開くと思うけど、ただ開くだけってことにはならないと思うの。このゲームを作ったやつが、そんな簡単に脱出させると思う?」
「まあ、しないわな」
ロウは腕を組んで壁にもたれかかる。
実は、俺もそう思っていた。このデスゲームは一筋縄では行かないことを。何かあっと驚くような展開が来るかもしれないと。
それに、一つ引っかかっていたことがある。あの銀髪の少年が四人の鬼を紹介した時、五人と言ったのだ。あの性格だ、わざと間違えて不安を煽り、疑心暗鬼にさせようとしているのかもしれない。
杞憂に終わればいいけど。
誤字・脱字報告を受け入れているので送ってくれたら嬉しいです。




