第二十九話
研究所に着いた。あの時と変わらない様相を保っている。ここだけ時間が止まっているようだ。
中に足を踏み入れる。カビ臭い匂いを感じた瞬間、あの時の記憶がリフレインした。まだ、ケインが生きていた頃だ。四人で列を成しながらここを進んでいた。だが、今は三人だ。
「相変わらず臭えな」
「そうだね」
ここにゾンビがいないことはわかっている。たった一人を除いて。
残りのゾンビは全て地下にのさばって居る。
光を灯しながら、廊下を歩いた。
◇◇◇◇◇◇
あの場所に着いた。ロッドが化け物となり、落とし穴に閉じ込められた場所に。
光を灯せば、大きな瘤に隠された金色の瞳が爛々と輝いた。それに呼応するように、真白の一角が煌めく。ロッドは俺たちを見るなり、乱杭歯を剥き出しにして手を伸ばした。
ここから出ようとしているのか、俺たちを食おうとしているのか。
真偽はわからないが、思わず口を歪めてしまう惨状だ。
「どうするんだ、フィーナ」
レオンが端的に質問した。フィーナは、無言で俺に手を伸ばした。
「その銃、貸して」
フィーナの瞳は、真っ直ぐに俺を見つめていた。断ることなく銃を差し出す。
「爆撃で死ぬのは辛いだろうから、私が殺してあげようと思って」
呟きながら、銃をロッドの額に合わせた。
未だ、安全装置をオフにしていない。
「フィーナ、安全装置を」
「そ、そうだったね。ごめんごめん」
フィーナは引き攣った笑みを浮かべながら、辿々しい手つきで安全装置をオフにした。そして、もう一度狙いを定める。両手でしかと握りしめながら、息をした。
フィーナは目を瞑った。大きく息を吸う。そして、ゆっくりと吐く。見開き、人差し指に力を込めた。落ち着いた様子だ。だが、違った。
頬は上気し、赤くなっている。息が上がっていて、肩で息をするようにしている。頬に流れた汗が首筋を伝った。銃を持つ手が震え出した。カタカタと、弾丸が中で震える音だ。
まるで、グレースを殺す時の俺を見ているようだ。怖気付いて、この先を想像してしまって、踏み出せない。今にも逃げ出したくなるような恐怖。フィーナの表情から、それをひしひしを感じ取った。
フィーナの息が早くなった。そして。
「⋯⋯できない」
蚊の鳴くような声で呟き、銃を取り落とした。
「レオン、フィーナを外に連れ出してやってくれ」
「どういう意味だ?」
「あんたも、父親が死ぬとこは見たくないだろうし、手にかけたくないだろ」
その言葉に、レオンはハッとした。何かを言おうとして口を開いた。だが、すぐに閉じる。
「分かった。⋯⋯行くぞ、フィーナ」
レオンはフィーナの肩を抱きながら、出口に向かった。
残ったのは、俺とロッドだけだった。
「グアア⋯⋯」
「ロッドさん。あなたの子供たちは、立派に成長しましたよ」
フィーナが取り落とした銃を拾い上げ、グリップ部分をさらりと撫でた。
「短い付き合いですが、それは保証できます」
銃を構えた。チャキ、と音が鳴る。
「なので、安心して眠ってください」
再び、ロッドが手を伸ばした。俺には、それが救いを求めているように見えた。垂らされた蜘蛛の糸に、泣きながら縋る人間に見えた。そう見えてしまった。
「では、さようなら」
俺は、ゆっくりと引き金を引いた。
◇◇◇◇◇◇
「終わったよ」
「ごめんね、トウマ。嫌なことやらせて」
「いや、大丈夫だよ」
謝るフィーナを慰めながら、レオンにこれからのことを問う。
「すぐに港に向かうぞ。救出用の船はでかいはずだ。でかい船が泊まれる港は一個しかないから、そこを目指そう」
「わかった」
「あと二時間ってとこか。まあ、すぐに着くよ」
港に向かって歩き出す。
斜面を下っている時、フィーナが口を開いた。
「色々あったね」
「まあな」
レオンが同意した。
「俺もそうだけど、二人ほどじゃないな」
俺はゾンビパニックが起こって、数年経ってからこの世界にやってきたからな。二人ほど島の地獄を体験していない。
「どういうこと?」
「いや、俺はずっと一人で暮らしてたらさ、どこにも行かずにね」
とりあえず誤魔化しておく。
「そうだな、もう⋯⋯二年か、二年も経ってるんだな」
「私、誕生日祝われてないや」
「俺もだよ」
「そっか」
二人の他愛もない会話に耳を傾ける。
「最初はさ、実感わかなかったんだぜ? ゾンビが島にいるって」
「そうだよね。お父さんがいなくなってからようやくって感じだったね」
「トウマはどうだったんだ?」
「俺か?」
そうだな⋯⋯。
「俺も色々あったよ。初めて人を殺したし、フィーナとレオンと会って、冒険もしたし」
「その人のところには行かないのか?」
レオンの言葉に、グレースの顔が明滅する。
「いや、行かないよ。俺がそう決めたから」
「ふーん、そうか」
「きっと、その人もそう思ってるだろうし」
ですよね。
◇◇◇◇◇◇
港に着いた。すでに多くの人が集まっている。目を凝らして見るが、顔見知りの人間はあまりいなかった。
「あと一時間で爆撃が始まるな」
すると、水平線上に、船が見えた。
「あれ⋯⋯!」
「脱出用の船か!」
船が見えた途端、集まっていた人たちが歓喜の声を上げる。呼応するように、船も警笛を鳴らした。
俺はグレースの言葉を思い出していた。
「仲間がこの島のことを教えていたらいいけど」
あの時の仲間は、約束を果たしたようだ。
すぐに船は到着し、次々と人を乗せていった。
乗り込む人々の中には、安堵してへたり込む人や、泣き出す人もいた。
「トウマさん!」
「?」
唐突に名前を呼ばれ、急いで振り返る。そこには、アレスがいた。
「お久しぶりです!」
「アレスじゃん。久しぶり!」
再会の言葉を交わし、差し出された手を握り込む。
「生きてたんですね!」
「ああ、幸いな」
「アレスくん。久しぶり」
「フィーナさんまで!」
アレスは俺から手を離し、フィーナの手を握った。そして、後ろにいるレオンに視線を移した。
「彼氏さんですか?」
「いやいや、お兄ちゃんだよ」
「あ、そーですか。初めまして、アレスです」
「おう、よろしくな」
俺は三人が話している場を離れ、甲板に上がった。甲板の先端に行き、体を預け、海を眺めた。ゆっくりと船が動き出す。
突然、背中を叩かれた。
「何?」
少し上擦った声を出して振り返ると、そこには見知らぬ女性がいた。
「久しぶり、トウマ」
なんだ。誰だ?
俺は結構顔を覚えるほうだ。だが、この女性は一ミリも覚えていない。
ショートの黒髪に、緑色のメッシュが入っている女性なんて会ったことなんてないぞ。
「あの、どちら様でしょうか⋯⋯」
「ひどいなあ、トウマは。僕のことを忘れるなんて」
聞いたことのある一人称。まさか──────
「⋯⋯リノか?」
「正解!」
そう言って、リノはコミカルな動きでウインクをする。
「全然気づかなかった⋯⋯」
「そもそも僕の性別をどっちだと思ってたの?」
「男」
「ええ〜ひどい。僕は華奢な乙女なのに⋯⋯」
言いながら顔を隠す。
「泣き真似はやめろ」
「あはっ、バレた?」
隠していた顔を曝け出し、にぱっと笑う。
「おじさんはどうしたの?」
「死んだよ。俺たちを逃すために」
「⋯⋯そっか、残念だね」
少しだけ静寂が流れた。すぐにリノがかき消す。
「ま、生きてくれてよかったよ」
「俺もだよ、リノ。最初は見つからなかったからな。心配したんだ」
「僕はここにいるよ」
再び沈黙した。そして。
「あ、戦闘機」
リノが見上げる空を見ると、戦闘機が五機ほど島に向かって飛んでいるのが見えた。あれが島を爆撃するための戦闘機だろう。
「フィーナとは会ったのか?」
「あ、まだだ」
「会わせてやるよ」
そう言って、甲板から降りようとした。瞬間、心臓が大きくはねた。目の前がチリチリする。
な、なんだこれ。
そして、視界の端に青い光が灯った。この光は転移するときの光。どうやら、時間のようだ。
「ごめん、俺、中で休ませてもらうわ。二人によろしく言っといてくれ。入り口近くの部屋にいるから」
「うん、わかった」
そう言って、リノにはフィーナの元に行ってもらった。
俺は人気のない部屋に入った。ベッドは二つあり、椅子と机が設置されていた。机の上には、ペンとメモ用紙が置いてあった。
椅子に座った。
その時、轟音が聞こえた。どうやら、爆撃が始まったみたいだ。きっと、政府がゾンビパニックが起こったことを隠蔽したいのだろう。そのために、この島の痕跡を全て消すつもりだ。
その後は、過酷な運命が待ち受けているはずだ。戒厳令が敷かれたり、政府直々に内密にさせるだろう。そして、隔離生活も送るはずだ。きっと、辛い生活になろうだろうな。
でも、俺の仲間たちなら大丈夫だろう。心配はいらない。野暮なことだ。
また、心臓が跳ねた。青い光がさらに強くなる。意識が薄れていく。
俺はペンを手に取り、メモに何を書こうか迷った。だが、すぐにペンを走らせた。俺の仲間に、言葉はいらない。
意識が──────
最後に『。』をつけた。
がんばれ。
◇◇◇◇◇◇
意識が覚醒した。
俺は見慣れた自分の部屋に横たわっていた。
⋯⋯これで良かったのかな。
まあ、良いか。きっと、うまくやるはずだ。
「あー、腹減った」
なんか食うか。
これで二章『屍人に支配された世界』終了です。
面白いと感じたらブックマーク、感想等お願いします。
誤字・脱字報告も受け入れているので送って下さい。




