第二十八話
(トウマ視点)
「そして⋯⋯後は、君たちが知っている通りだ」
オルガはそう締め括った。
「なんてことを⋯⋯」
「驚いたかい? だが、私からしたら、この程度で驚く君たちに心底驚くよ」
「お前は本当に人間なのか?」
オルガの言葉を無視し、ケインが問うた。
「⋯⋯私はこの世の誰よりも、自分のこと⋯⋯を人間だと思うよ」
何くわぬ顔で、オルガは答えた。まるでそうであるかのように。そして。
「私は負けてしまった。だが」
瞬間、怖気が走った。
「まだ、私は負けていない」
腰に下げていた銃を取り出す。
「ここにいる人間を皆殺しにしろ!」
引き金を引いた。銃弾はオルガの額のど真ん中を貫いた。
「くそっ⋯⋯」
一手遅かった。
ガラスの割れる音が部屋に響いた。部屋に取り付けられているモニターには、ゾンビがガラスを突き破って、こちらに走ってくる様子が映し出されている。
「どうやってここから抜け出す!?」
「ここで戦うしかないぞ!」
いや、無理だ。あまりにも数が多すぎる。多くのゾンビが研究所を走っているからか、研究所が地震に見舞われているかのようだった。天井に設置されている配管が揺れに合わせて上下する。
「どっか逃げ道がないか探せ!」
何か、何かないか?
ふと、天井に視線が向かった。配管が今にも落ちそうだった。
その下にはフィーナがいた。
危ない、そう声をかけようとした。だが、それよりも早く、配管は落ちた。
咄嗟にダイブし、フィーナを突き飛ばした。慣性の法則によって、俺は配管の下にとどまり、落下した配管に左足が押しつぶされ、悲鳴を上げた。
「ぐうっ!」
「トウマ!?」
フィーナがすぐに配管を退けてくれた。
「心配するな! 今は逃げ道を探すんだ」
「う、うん」
立とうとして、左足に力を込める。刹那、激痛が足に走る。
「ッ⋯⋯⋯⋯!」
冷や汗が流れた。足が折れてるのか?
でも、目に見える外傷はない。一見すると、ただの打撲だ。でも、この痛みは。
「折れてんのか、ヒビが入ったか」
どっちみち、動かなければならない。気合いで右足だけで立ち、ジャンプしながら逃げ道を探した。
すると、ケインが叫んだ。
「こっちに来い!」
すぐに集まる。ケインが示した場所には、ダクトがあった。
「若干上に向かってるから、ここから脱出できるかもしれない。幸い、四つん這いになれば通れるはずだ」
「トウマが足を怪我してるから、無理はできないよ」
フィーナの発言に、レオンとケインが俺を見た。
レオンは、こちらを悔しそうに見た。
ケインはこちらを決心した顔で見た。
四人脱出するには、時間がかかりすぎる。俺が足を負傷しなければ⋯⋯。
いや、俺が招いたことだ。ここは俺が。
「皆、俺がのこ」
「俺が残ろう」
俺の発言を遮り、ケインが宣言した。
「ダメだ。俺のせいだから、俺が残らないと!」
俺の説得に、ケインはびくともしなかった。
「子供は、未来なんだ。俺はおっさんだから、もう未来はないよ。そして、この世界に未練もない」
それを言われると、俺たちは何も言えなかった。
「さあ、行くんだ!」
「叔父さん!」
フィーナが叫んだ。
「ありがとう」
ケインは驚いたように目を丸くした。そして、微かに笑った。
「逃げるぞ!」
俺たちはダクトに潜り込む。ケインを犠牲にして、研究所から脱出した。
◇◇◇◇◇◇
俺たちは支部に逃げ込んでいた。ここは安全という点については折り紙つきだ。
フィーナに支えてもらいながら、支部まできたのだ。
「クソ、クソォ⋯⋯」
レオンが途方に暮れていた。おじさんの件だろう。俺は自力で立ち上がり、レオンの元に行った。
「ごめん」
「あ?」
「俺のせいで、おじさんが」
「チッ、謝んな」
レオンはふい、と顔を逸らした。
「でも」
「謝んな」
レオンは突っぱねるだけだった。謝罪させてすらもらえない。どうすればいいのだろう。
夜になり、焚き火を焚いていた。
レオンとフィーナはこれからのことを話していた。
「これから役割分担を考えないといけないよね」
「ああ、おじさんの分は俺がやるよ。それが一番良い。トウマはどうだ?」
「ああ⋯⋯」
俺は話す気にはなれなかった。ずっと、叔父さんのことで頭がいっぱいだった。あの時、俺が残っていれば、こんなことにはならなかったのに。
どうして俺は。どうして俺は、こんなにも役立たずなのだろう。
「おい、聞いてんのか?」
「それで⋯⋯良いよ」
俺がもっと動けていたら、怪我せずにフィーナを救えたはずだ。
なのに、どうして俺は。
「おい、トウマ。お前、自分を責めてんのか?」
図星だった。だから、返せなかった。何も言えなかった。口を開こうにも、どうにも話せなかった。
すると、レオンが立ち上がり、俺の胸ぐらを掴んで引き上げた。
「ふざけんな!」
首が締まった。
「誰が! お前を責められると思うんだ!お前はまだ子供だ。それに比べて、俺は大人だ⋯⋯」
胸ぐらを掴む力が弱くなった。
「フィーナが危険に晒された時、俺は動けなかった。頭じゃ分かってたんだ。助けねえとって。でも、俺の足は動かなかった。地面とくっついたんじゃねえかって思った⋯⋯」
さらに弱くなった。
「正直、お前が羨ましいよ。迷わず人を助けられるお前が。⋯⋯人を助けられるほど強くあれるお前が」
もっと弱くなる。もう、掴んでいないのと同然だった。
「そんなお前が、どうして自分を責めるんだ。どうせなら、俺を責めてくれよ。そしたら、まだ⋯⋯まだ。まだ、楽になれたのに⋯⋯」
レオンの手が力無くダラリと垂れる。そして、向こう側に歩いていってしまった。
「どこ行くの、お兄ちゃん」
「寝る」
どこかへ行くようだった。俺はその丸まった背中に声をかけようと口を開いた。だが、直前でやめた。声をかけようとすると、レオンが崩れてしまいそうだったから。
だから、俺の膿は溜まったままだった。
◇◇◇◇◇◇
「俺があの時、怪我してなかったら」
不意に口をついて出た言葉。それはフィーナの耳にも届いていたらしい。
「何言ってるの?」
焚き火を跨いで反対側にいたフィーナが、俺の横に座る。
「それって、私を助けてくれた時?」
「あぁ⋯⋯。もっと早く動ければ、フィーナも助けられたし、俺が足を負傷することもなかった」
その言葉に、フィーナはしばらく口を開かないでいた。
火に焚べられた木の枝がパチリと音を立てる。
「トウマ」
俺を呼ぶ短い声。それに釣られてフィーナの顔を見る。フィーナはどこか顔が赤かった。火に照らされているせいではない。なぜかそう思えた。
「もっと近づいて」
少しだけ腰を上げ、フィーナに近づいた。瞬間、フィーナが俺の顔を包み込み、上を向かせる。
「なんでそんなに暗いの?」
「⋯⋯俺のせいで仲間が死んだから。俺が怪我しなかったら、仲間は死ななかった。俺が⋯⋯」
俺が。俺が。俺が。俺が。
後悔が絶え間なく飛び出る。頭の中にも降って湧いてくる。今まで気にしてこなかった感情が、ここにきて溢れ出す。どうにか吐いて捨ててしまいたい。でも、うまく吐き出せない。
開いた口には何もなかった。ただ一つを除いて。
口に柔らかいものが押しつけられる。唖然としているうちに、口腔に艶やかな物体が侵入してきた。それは情熱的に俺の舌を貪り、口腔を熱く、優しく蹂躙した。
口が溶けてしまいそうだった。冷え切った心が、溶かされるような。そんな感覚がとめどなく押し寄せる。
「─────ッ」
口が一体化したかと思うと、すぐに離れた。
「ぷはっ」
つう⋯⋯と魅力的に俺の口と、フィーナの口が唾液の糸で繋がれる。
それを、フィーナがちろりと舌を見せて舐めとった。
「な⋯⋯何して」
「トウマって何歳だっけ」
唐突な事象と唐突な質問に、俺の脳は限界を超えた。
「十五歳⋯⋯」
「良い? あなたはまだ子供なの。本当はね、今頃、好きな子のことを考えたり、テストの点で悩んだり、友達と会うのを楽しみにするのが子供なんだよ。
誰かの死を重く受け止めるのは、あなたの仕事じゃない。それは私たち大人の仕事だから。トウマは悩まずにいて」
「でも」
「トウマが引きずってたら、私たちのために死んでいった仲間達に失礼だから」
その言葉に、混乱していた頭がリセットされる。
⋯⋯そうだ。俺は、託されたんだ。仲間に、未来を。なのに俺は⋯⋯。
「トウマは、したいことをして良いんだよ」
⋯⋯⋯⋯。
「でも、キスする必要はなかっただろ⋯⋯」
フィーナは焚き火に木の枝を焚べながら。
「これが私のしたかったことだから」
俺の目を見て、微笑んだ。その瞳の中に、何かゆらめくものがあった。それはまるで、今くべられた焚き火の炎のように、優しく、美しく揺れていた。
レオンの寝息は穏やかなままだった。
◇◇◇◇◇◇
朝。少し気だるげな目覚めだった。すでにレオンは起きていた。俺の足の痛みも一時的なもののようで、痛みは引いていた。
「よお」
「レオン、ごめん」
「おう、俺こそな。ダサいとこ見せちまった」
「忘れとくよ」
「あんがとな」
座ってパンを食べているレオンの横に座る。
「ここからどうするの?」
「まあ、しばらくはここを拠点にして食糧を調達するしかないだろうな」
そう言って、残ったパンを口に放り込んだ。
「とりあえず、今はゆっくり休んで体力を回復ことだ。フィーナを起こしてきてくれないか?」
「分かった」
立ち上がり、フィーナが寝ている部屋に向かっている時だった。
島全体を覆うような、耳障りな音が鳴り響いた。
「な、なんだ!?」
やがて、残響を残しながら音が引いていく。そして。
『こちら⋯⋯政府です。今日の午後三時に⋯⋯救助用の船を寄港させます。⋯⋯そして⋯⋯午後三時を過ぎたら⋯⋯この島を爆撃します。⋯⋯乗り遅れた人は⋯⋯いないものとみなします。繰り返します⋯⋯』
まさか。
降って湧いたような脱出のチャンス。だが、あまりにも唐突すぎて状況が飲み込めない。とりあえず、皆も聞いているだろうから、これらのことを踏まえてもう一度今後のことについて話そう。
「皆!」
「分かってる」
「私も聞いたよ」
放送を聞いた皆が、一斉に集まってくる。
「この放送をどう思う?」
「放送されること自体は不思議じゃねえ。この島には時間になると音楽が鳴るようになってるんだ。それを使えば放送することもできるはず」
「でも、この放送が本当かどうかだよね。いたずらの可能性もあるわけだし」
俺はこの島についてほぼ知らないため、口は出さないことにした。
「確かにな。だが、それを加味しても動いた方が得だな⋯⋯」
レオンが少し考え込むように黙った。直後。
「荷物をまとめろ! 港に行って、救出用の船が来るか見守る!」
「うん!」
「おう!」
一同、頷いた。
◇◇◇◇◇◇
「あのさ」
荷物を纏め終わり、支部を出ようとしていた時。フィーナが口を開いた。
「どうした?」
「私、お父さんにもう一度会いたい」
服の裾を握りしめ、意を決した顔で俺とレオンに言った。
「どうする、レオン」
「まあ、午後六時まではあと三時間ぐらいあるから」
皆まで言わなかった。
きっと、レオンも同じ気持ちだったのだろう。
俺たちは最後のケリをつけに、研究所に向かった。
誤字・脱字報告を受け入れているので送ってくれたら嬉しいです。




