第二十六話
「また会おうね」
そう言い残し、リノは学校に行ってしまった。手をひらひらさせて、振り返りもせず。
「おう」
いい加減な人間だ。死んでしまうかもしれないのに、簡単に再会を約束した。
でも、それに返事をした俺も、いい加減な人間なのかもしれない。
今から、全ての元凶の研究所に行く。きっと、一筋縄では行かないはずだ。改造されたゾンビや、動物のゾンビもうじゃうじゃいるだろう。
もう引き返せないところまで来ている。まあ、元から引き返す気なんてないけど。
リノが見えなくなってから、ケインが言った。
「行くぞ!」
その力強い言葉に、皆が返した。
「「おう!」」
「うん!」
◇◇◇◇◇◇
支部を出て、一時間は経過していた。
研究所から近いとは言っていたが、まだ到着はしていない。
ゾンビが多すぎるのだ。
研究所に近づくにつれ、うろつくゾンビの数も増えていっている。中には、犬や猪のゾンビまでもがうろついている。
それに、傾斜も少しキツい。
「こりゃ多すぎるな⋯⋯」
レオンが汗を拭いながらつぶやく。
「そうだな」
ケインもそれに同意する。
ゾンビを殺しながら進んでいるため、銃弾の消費が激しい。研究所にはこれよりも多い数のゾンビがいると想定されるため、戦力は残していたい。
「来てるっ!」
フィーナが声を上げながら指差した先には、ゾンビと化した猪がこちらに向かって突進してきていた。
「俺がやる」
レオンが前に出た。猪に狙いを定めた。レオンが持っているのは、ダブルバレルショットガンだ。もっと装弾数が多いショットガンがあったはずなのに。
十分に惹きつけてから額に一発。猪は絶命し、勢いのまま体が投げ出される。そのまま斜面をゴロゴロと転がり落ちていった。
「フィーナとトウマは後ろを頼んだぞ」
「うん」
「はい」
ケインの言葉に、二人で頷いた。だが、正直なところ、後ろからはあまり襲ってこない。傾斜がキツくて、体がボロボロになったゾンビは登ってこれないのだ。
匍匐前進するしか進めないようになっている。そして、匍匐前進する知能は、ゾンビにはない。
だが、まれに足腰が傷ついてないゾンビがいる。そいつらを倒すのが俺とフィーナの任務だった。
一体撃ち殺したら、十分間は出てこない。
「レオンってさ、なんでその銃を使ってるの? もっといいのがあったはずじゃない?」
思い切って聞いてみた。ダブルバレルショットガンよりか遥かに扱いやすい銃が存在するはずだ。なのに、レオンはずっとそれを使っている。
「俺が好きだからなんだよ、これ。良いだろ、カッコ良くて。俺の弟みてえな存在だ」
言いながら、薬莢を落としてリロードした。
へえ、なんか不思議な感じだ。生き残らなきゃいけないのに、自分が好きだからと言う理由でダブルバレルショットガンを使ってる。なんとも言えない気分になる。
「お兄ちゃんはこだわり強いもんね」
「そうか?」
フィーナの言葉にレオンがとぼける。
「もう直ぐだぞ」
ケインの発言に、皆が黙った。だんだんと傾斜が緩くなっていく。そして、研究所が見えてきた。
苔むした壁、蔦が絡みつく鉄柵、赤黒く濡れた地面。視界に入れた瞬間、研究室から、近づいてはならないという警鐘を鳴らされたようだ。
壊れた監視カメラが、意思を持ってこちらを睨んでいる。
首筋がザワつき、周りの空気が冷えたような感覚に見舞われる。ドス黒いオーラが研究所から染み出しているように見えてしまう。
心臓を鷲掴まれたように、胸が締め付けられる。
これは⋯⋯。
それに、予想していた以上に大きかった。今いる場所からは、全体像を把握できないほどだ。
「でっけ」
呟かずにはいられない。
「⋯⋯」
誰もが息を呑んでいた。それほどまでに、研究所には近づいてはならないと、本能が叫んでいた。
「あ、あはは」
横にいたフィーナが笑った。口角を不自然に上げている。引き攣った笑みだった。
「大丈夫か?」
「う、うん」
震える声でそう言った。
いや、絶対大丈夫じゃないだろ。正気を取り戻させるために、肩に手を伸ばした。触れた瞬間、手を掴まれた。万力のような力で握り込まれる。
「っ⋯⋯!」
みかねて、もう一度声をかけようとした瞬間。
パンッ、と音を立てながら、フィーナが自分の顔を両手で叩いた。
フィーナは目を瞑っていた。そして、ゆっくりと開ける。
「行こう。もう、怖くないから」
フィーナの言葉に、一気に緊張が解けた。横にいたケインとレオンも、普段通りの表情に戻っている。
フィーナの行動に勇気をもらったようだ。
「妹がビビってないのに、兄貴がビビるわけにはいかないよな」
「そうだな」
フィーナがいの一番に歩き出した。
「お父さんを探そう!」
研究室のドアを開けた。軋んだ音を立てながら道を開ける。その瞬間、肺が凍りつくような冷たい空気が流れ出してきた。
重く、どんよりとしている空気だ。明かりは弱く、切れかけの蛍光灯が、命を振り絞るように、弱々しく光る。
「ホコリ臭えな」
レオンが言った。確かに、ホコリ臭いし、カビ臭い。足元を見れば、一歩歩くごとに埃が宙を舞う。
誰もここを通っていない、それをこの埃が証明していた。
人が住めるような場所ではない。人がいた生活感もまるでない。
異常だけがこの研究所で息をしている。
「ウウウウ⋯⋯」
進んでいる廊下の、ずっと向こうから、呻き声が聞こえてきた。廊下の先は見えない。人間の声ではなかった。あまりにも悍ましく、頭を麻痺させるような音だ。
「何かが、いる」
ケインの言葉に、ヒリつきを感じた。吸い込まれそうな闇の向こう側に、歩を進める。
「ウウウウ⋯⋯」
先ほどより大きく聞こえるようになった。近づいているのだろう。拳銃を取り出した。
「ガアア⋯⋯」
呻き声が聞こえるたびに、拳銃のグリップを強く握り直した。手汗がとめどなく滲んでくる。その度に、また、グリップを握り直す。汗が首を伝った。
今直ぐにでも逃げ出した口なるような気配が、一歩、また一歩と進む度にヒシヒシと肌を突き刺した。
「止まれ」
ケインが制した。
「どうした?」
「床が腐ってる」
ケインの足元の少し先、色が変わっている床があった。変色している床の上の天井を見ると、床と同じ色をしている。水が漏れているようだ。
ケインが床を踏むと、踏まれた部分が凹んでいく。重い物体をここに乗っからせた瞬間、床が落ちそうだ。
「壁の近くの床を歩こう。その方が安全なはずだ」
レオンの言うことに従い、壁に体をくっつかせながら、腐った床のところを通り抜ける。
また、奥の方へ向かった。どれくらい進んだだろう。やがて、広い空間に出た。
だが、照明がないため、よく周りが見えない。
「離れるなよ」
俺がそう呼びかけた瞬間、つかなかった照明が全て煌々と煌めいた。あまりの明るさに視界を覆うしかできない。
指と指の間から、過剰な明るさに潤む目を覗かせた。目の前にあった物体を目にした瞬間、傷んだ目のことを忘れ、見開いた。
鉄格子があった。いや、それよりも。
目の前には、ゾンビがいた。いや、鬼というべきか。
光を飲み込むほどの漆黒の体に、それとは対照的な、額に生えた真白の一本の角。目の上にできた夥しいほどの瘤。瘤が肥大化しすぎていて、金色の瞳がわずかに覗く程度だ。
顔は牛のような顔をしていて、胴体は蜘蛛のような形をしている。
顔を背けたいほどの醜悪さだった。
「ひっ!」
フィーナが息をのむような悲鳴をあげた。
「な、なんだこれは」
「気持ち悪い」
なんだ。なんだ。何なんだ、これは。この化け物は。あまりにも、この世の存在とは思えない。
「アアア⋯⋯」
化け物が手を伸ばしてきた。だが、頑健な鉄格子に阻まれ、届くことはなかった。
「やあやあやあこんにちは」
天井から声が降ってきた。
「何だ!?」
「シウバと同じ手法だな! おい、出てこい。ビビってんのか?」
レオンが声を荒らげながら、銃を天井に向ける。向けた先には、魚眼カメラがあった。レンズの中に、赤く点滅している電球がある。それが俺たちの動向を見ていると物語っていた。
「名を名乗れ、アンタは誰だ!」
ケインがカメラに向かって叫んだ。しばらくして。
「⋯⋯オルガだ」
一言つぶやいた。
「オルガ⋯⋯」
フィーナが彼の名を口にし、考えるそぶりを見せた。刹那、弾かれるようにして顔を上げる。
「あなた、お父さんの上司ね!」
「よくわかったね。彼とは腹を割って話す間柄だったよ」
「お父さん⋯⋯お父さんはどこ!?」
フィーナが声を上げた瞬間、オルガは笑い始めた。
「フフッ、クククッ」
初めは小さい笑い声だったが、次第に大きくなっていった。笑うことを我慢できない、そんな風に笑った。
「何がおかしいの!」
「いやあ、子供というのは案外薄情なものだと思ってねえ。少し堪えきれなかったよ」
「いらねえこと抜かさねえで、さっさと親父の居場所を吐きやがれ!」
レオンとフィーナの抗議に耳を傾けているのか、オルガは話さなかった。
「ロッドはどこだ、答えろ!」
ついにはケインも怒り心頭になり、オルガに向かって叫んだ。
「ひどいねえ、いるじゃないか」
「ああ?」
レオンたちは気づいていないようだ。だが、俺は気づいてしまった。
まさか、俺の目の前にいる、コイツが、牛鬼が⋯⋯!
「目の前に、ね」
嘲笑混じりの声で告げた。
「何、言ってんだ」
レオンがこぼした。
「そんなわけねえだろうがあ!」
叫びながら、カメラに向かって銃をぶっ放す。解き放たれた散弾がレンズをカチ割り、カメラとしての機能を損なわせた。
「鉄格子があっては再会のハグができないだろう? ロッドを解放してあげよう。感動のシーンは見れないが、音声があれば十分だ。まあ、聞こえるのは悲鳴だけだろうがな」
プツリ、と放送が途切れた。それと同時に、鉄格子のドアが開かれた。
「逃げるぞ、皆!」
「おう!」
広間から逃げ出そうとした。だが、足が止まる。フィーナはその場から動けないでいた。
「何してるんだ、フィーナ!」
「お父さんは⋯⋯まだ、そこにいるんでしょ?」
フィーナが牛鬼に手を伸ばした。そして、牛鬼もまた、手を伸ばした。そして、虫を蹴散らすように、フィーナを叩こうとする。
フィーナが吹き飛ぶ寸前、俺がフィーナにタックルをかます。ギリギリで腕の軌道から外れ、二人もろとも地面に倒れ込んだ。
「行くぞ、フィーナ」
「やだ! お父さんがいるのに」
「もう手遅れだ。見たらわかるだろ!」
動かないフィーナを無理やり抱き抱え、前を行くレオンとケインについていく。
「嫌だ、離して、トウマくん!」
「ダメだ。諦めろ」
「嫌⋯⋯」
「フィーナ!」
レオンが割って入ってきた。
「親父はもう、死んだんだ」
その言葉に、フィーナが絶句した。目のハイライトが消えていく。事実を告げるレオンの声が震えていた。綺麗な茶色の瞳も、フィーナを見つめることはなかった。
「俺も信じたくねえよ、あんなの。でももうダメなんだ。親父はもう、助からねえ」
「こっからどうする。叔父さん!」
「どこかの部屋に入って撒くぞ」
「待って!」
俺はケインの指示に待ったをかけた。
「床が腐ってるところまでいくんだ!」
ケインは直ぐに俺のいうことを理解し。
「このまま突っ走るぞ!」
「ギャアアアアア!」
雄叫びを上げながら、猛進してくる牛鬼。八本の腕を蜘蛛のように動かしながら迫ってきた。
体が巨大なため、壁に体をこすりながら走っていた。牛鬼が一歩踏み出すたびに、壁や床、天井が軋み、崩壊寸前のような悲鳴をあげる。
牛鬼が伸ばした手を振り下ろしてくる。後ろ目にそれを確認した俺は、右膝の力を抜き、瞬時に左足の筋肉を収縮させ、地面を蹴った。
飛ぶように右側に移動し、牛鬼の手を回避した。振り下ろされた手は、地面にひびを入れ、地割れのような衝撃を起こす。
あれに当たったら、形も残らない⋯⋯。
ついに腐った床のエリアまできた。足を取られないようにつま先を使って走り抜ける。
ここの床は人間が体重をかけただけで凹むほどだ。牛鬼ほどの体躯のものが乗った瞬間に床が抜けるはず。
直ぐに牛鬼は追いついた。床に手をついた。瞬間、その手が床に飲み込まれた。次々に床が抜けていく。
やがて体も床を突き抜け落下した。落ちまいと手を伸ばすが、レオンが狙い撃ち、使い物にならなくする。
「グギャアアア!」
牛鬼は完全に落ち、登っては来れなかった。手を伸ばしても、穴の淵には届かない。
「グウウ」
牛鬼は、鋭い歯を剥き出しにして、こちらを睨んできた。
「もう登ってこれないだろう」
「良かった」
ケインとレオンも安心しているようだ。
「危なかった⋯⋯」
「ト、トウマくん。そろそろ下ろして?」
「⋯⋯! ご、ごめん」
どうやら俺はずっとフィーナを抱えて走っていたらしい。逃げるのに夢中で気づかなかった。そっとフィーナを地面に下ろす。
「ひどいねえ。父親を撃つなんて」
また天井から声が降ってきた。
「てめえが親父をこんなふうにしたからだろうが!」
オルガの煽りの言葉に、レオンが即座に返す。
「ロッドも息子に撃たれるなんて、夢にも思わなかっただろうしねえ」
「くっ⋯⋯」
オルガの物言いに、レオンが歯噛みする。
「お兄ちゃん。早く、こいつを倒そう」
フィーナがレオンに駆け寄り、手を握る。その手の温もりに、レオンはハッと顔を上げ。
「そうだな」
と、呟く。すると、どこかに行っていたケインが戻ってきた。
「この研究所に二階はなさそうだから、地下に行く道を探そう」
誤字・脱字報告を受け入れているので送ってくれたら嬉しいです。




