第十話
私は路上に寝転んでいた。その日は雨が降っていて、雨ざらしになっていた私は、寒さを和らげるため、肩を縮こまらせた。雲一つない青空のような髪を、雫が伝う。
このまま死ぬのかな⋯⋯。
体育座りになり、ただ俯く。目の前に置かれた粗末な缶に硬貨が入れられた。すぐさま顔をあげ、中身を取り出した。百円硬貨だった。綺麗な輝きを目に焼き付け、懐に入れる。
ここは人通りが多い。私が目に留まる人も多くなる。それに比例して施しも多くなる。私はここら辺では有名な物乞いだった。
自分の親の名前すら知らない。ただ、自分の名前はわかる。首にぶら下げてある首飾りには『マキナ』と誇らしげに描かれていた。
今となっては私の名前を呼ぶ人はいない。皆が私を可哀想な人と認識していた。ただ、多少は見てくれは良いため、鼻息を荒くした中年男性が万札の二、三枚を手にやってくることも少なくなかった。私はそれらを全て拒絶した。
もしそれを受け入れてしまったら、私の何かが音を立てて崩れ落ちてしまいそうだったから。断る仕草をすると、皆が青筋をたて、罵詈雑言を吐いていく。
「恵んでやろうとしたのに」
「恩知らずめが」
耳に残るのは自分を憐れむ声や、酷く責め立てる声だけ。
こんな生活、いつまで続くんだろうな。いつか、親が私を迎えにきてくれるのかな。
そんな一筋の希望を胸に日々を生きた。ただ、そんな奇跡など起こらないことなどとうの昔に気づいていた。でも、それでも捨てきれない。捨ててしまったら、何を想って生きていけばいいのかわからない。
こんな人生でも、夢を抱いて生きていたい。それすらも許されないなんて、酷すぎる。
施しの集まりが悪くなってきた。そろそろ場所を移動する頃合いだ。
古びた缶を片手にトボトボ歩道を歩いた。見るのは自分の足だけだ。前なんか見なかった。向かってくる通行人が私を見ては脇に避け、私から遠ざかった。
向かう場所は家電量販店だった。売りに出されているテレビから希望に満ちた芸能人などがにこやかに話していた。私の色褪せた日々のつまらない雑音をかき消してくれる心地よい声だ。
それに、ここは家電量販店。客商売なため、私のような物乞いが近くにいると、店の印象が悪くなるため、追っ払おうとする。最初は優しく諭してくれるが、動かないと掃除用の箒などで叩いてくるのだ。それでも動かないときは数百円を取り出し、渡す代わりにどこかに行ってくれと交渉する。
ここはそれで有名なため、物乞いの中では有名なスポットらしい。私はここの常連なため、店主はすぐに私を見つけると、三百円を取り出し、追っ払うのだ。
もうすぐ日が暮れようとしていた。夜になると、街は下品な笑い声がそこら中から聞こえてくる。私はその笑い声が好きだった。暖かみのある笑い声だからだ。人が心の底から笑っているような気がするからだ。
どこからともなくいい匂いがしてくる。これも夜に沈んだ街の一部だ。近くで子供たちが集まって何かを話している声がした。物乞いのコミュニティがあるらしい。私は話さないため、仲間はずれにされているらしい。
別に気にしてないけど。
ポケットの中をまさぐった。中身を引っ張り出してみる。手のひらには千二百円があった。これで二週間は過ごせる。
行きつけのスーパーに入った。ここの店員にも私は知られていて、レジを通すときにチョコを一つオマケしてくれる。
売れ残って七割引きとなったおにぎりを二つ買った。おにぎりを手に、スーパーを出た。そこからすぐ右へいき、路地裏へ入った。少し入ったところで家の壁に持たれて座り込む。
私の背中の後ろには室外機があった。ここから暖かい空気が出てくるのだ。おにぎりを食べ終え、店員がオマケしてくれた甘酸っぱいチョコを口に含む。
包み紙が月に照らされた。太陽から借りた光で街を照らす月は、なんとも言えない冷たさがある。
横になり、寝る準備をした。
目を瞑った。今日のことが鮮明に蘇ってくる。特筆すべきことは一切ない。ただ、忘れないように、いつかこんな日もあったなあと笑える日が来たときに、思い出せるように、瞼の裏に焼き付ける。
明日が今日よりも幸せになるように願って、日を跨いだ。
◇◇◇◇◇◇
目が覚めた。眩暈がするほどの晴々とした天気だった。昨日の雨はどこへやら。街の人たちの顔も、心なしか気分がよく見えた。今日も昨日と同じ行動をするだけだ。缶を片手に、いつもの場所へと向かう。暑さにやられないように、日陰の下に潜り込む。
どこかで蝉が鳴いていた。その声を聞くと、暑さが加速していくような気がした。耳を塞いで、暑さを和らげる。近くの家のベランダには風鈴が吊るされていた。風が吹いた。風鈴の下についている長方形の紙がたなびく。海の絵が描いてあった。海の中でカニがにっこりと笑っている絵だった。
風鈴の音を聞こうとして耳を塞いでいた手を退けると、すぐさま蝉が聴覚を支配した。
むせかえるような熱気がアスファルトから立ち上る。上からも下からも熱気で蒸されているような気分だ。息が荒くなった。
たまらず立ち上がり、近くの公園に向かった。公園には誰もいなかった。どうせどこかのテーマパークや遊園地に遊びに行ったのだろう。
寂れた公園にいるのは蝉の叫び声と一雫の静寂だけ。
水道に行き、蛇口を捻る。公園にある蛇口は上に水が出る仕組みなので、強く捻ると、噴水のように水が飛び出る。消えかかる水しぶきに手をかざし、熱気を吸い取ってもらう。
公園の端には天に向かって伸びる青々とした雑草たちがいた。そこから、青い草いきれが匂ってくる。
水を手で掬い、所狭しと生える雑草たちに浴びせた。雑草たちが喜んでいるように見えた。公園を離れようとすると、一人の男がやってきた。
「何してるの?」
私はそれを無視して帰ろうとした。しかし、男は手を掴んで離さなかった。
「おじさんと一緒に遊ぼうよ」
私は男を見た。だらしない服を着て、メガネのレンズが濁っていた。油でテカテカした唇を持ち上げる。
「お母さんと一緒じゃないの?」
鼻息が荒かった。あの時のことを思い出す。この男はお金を手に迫ってきた男と同じ気配がした。逃げようとした。瞬間、男は私の肩を捕まえ、地面に押し倒した。
「お、女の子。女の子だあ」
男は私の両手首をガッチリと掴んで、抵抗できないようにした。そのまま膨らんだ股間を太ももに押し付ける。
「ふう、ふう、ふう⋯⋯う」
声も出なかった。逃げることもできない。ただ身を捩らせることしかできなかった。いつの間にか涙ぐんでいた。
「泣いてるの?」
男が顔を舐めようとした。イボだらけの舌を剥き出しにして迫ってくる。男が頬を舐めた。ざりっと音が鳴り、吐き気を催す感触が伝わってきた。
「声出ないんだね。あはは、はあ、はあ」
もう一度舐めようとした。少しだけ、手首の拘束が緩んだ。その隙に、拘束をとき、男の首を絞めた。二度と起き上がらないように、全力で。
「かっ、はっ⋯⋯」
男は昂っていた興奮も忘れ、私の手を解こうとする。私の手は離れなかった。三十秒ほど絞めていると、男の股間が湿ってきた。目も白目が大半を占める。そこからさらに一分はたった。男は抵抗しなくなった。それでも、私は五分は手を離さなかった。
男は動かなかった。二度と起き上がらなかった。私は怖くなってその場から走って逃げた。
その日は一日横になって震えていた。警察が枕元に来ないように願いながらその日を後にした。
◇◇◇◇◇◇
公園に行くと、警察が群がっていた。野次馬もいた。皆がいた。そこの公園には行かないようにした。家電量販店の横に座っていると、叫び声が聞こえてきた。物乞いコミュニティの一人だった。警察のような服をきた大人に捕まっていた。
昨日の私のことについてなのかな。
眺めていると、家電量販店の店主が出てきた。
「またアンタか。ま、今日から物乞い狩りが始まったらしいから、せいぜい気をつけてな」
一言言ってから、五百円を渡して奥に引っ込んだ。餞別がわりに多めに渡してくれた。
逃げるために、立ち上がった。
「居たぞ!」
声が響いた。その声は私目掛けて飛んできた。拙い足取りでその場から逃げる。大人には通れない狭さの路地裏を使って、大人たちを撒いた。
どうやら、大人たちに捕まると、施設に連れて行かれるらしい。背の高い塀で囲われていて、いつも電気が流れているらしい。逃げ出そうとして捕まると、痛い思いをするらしい。
嫌だった。こんな生活でも、自由があった。自由があったから絶望せずに生活を送れた。自由を取り上げられるなんて考えられない。
「見つけたぞ!」
寝床へ戻ろうとしたところを見つかってしまった。荷物も取らずに走り出した。入り組んだ道を走り回った。やがて、いつかの公園に出た。息切れが絶えずに起こった。
「周りこめ!」
バランスを崩した。水たまりに頭から突っ込んだ。すぐに体勢を立て直し、走り出した。
すぐ後ろには大人がいた。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
地面に手をつきながらも走る。やがて、曲がり角を曲がった。目の前にいた女性と出会い頭にぶつかった。男性もいた。私は尻餅をついた。
二人はぶつかった私を見下ろした。その視線から逃れるように脇を通り抜けようとした。しかし、女性に手首を掴まれた。嫌な記憶が蘇る。振り解こうとした。でも、それはできなかった。女性は私を抱き抱えた。
すぐに追いかけていた大人が追いついた。女性に抱き抱えられた私を見るなり、女性に詰め寄った。
「その子を離してください。その子は物乞いだから」
「何を言ってるんですか。この子を物乞いなんかじゃありません」
「ふざけないでください」
「私の子に物乞いとは言い度胸だ」
隣にいた男性がずいと前に出て大人に詰め寄った。
大人は渋い顔をした後、形だけの謝罪をして、どこかへ行ってしまった。
「ねえ、あなたの名前を教えてくれる?」
私を抱き抱えた女性が優しく語りかけた。今までこんな暖かい声をかけられたことなんて一度もなかった。
「君が良かったら私たちの子供にならないか」
二人の言葉に、初めて私は口を開いた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯マキナです」
◇◇◇◇◇◇
そのあとは迅速だった。薄汚れている私を暖かいお風呂に入れてくれた。美味しいご飯を食べさせてくれた。柔らかい寝床を用意してくれた。それだけで私は幸せだった。
二人は子宝に恵まれなかったらしい。それで養子を迎えようと施設に向かっている途中で私とぶつかったという。母親の名前はセナ、父親の名前はタロウだ。苗字は真田というらしい。私は誰かから真田マキナと呼ばれる度に、喜びを抑えなければならなかった。
二人はパン屋を営んでいるとのこと。朝早くに厨房へ行き、パン生地をこねている。仕込みが終わったら母親は私の青い髪を撫でるのが習慣となった。私のために服を買ってくれたり、遊びに誘ってくれたりした。私は少ししたら、会計を任されるようになった。
パンのによって値段が違うため、覚える必要があった。しかし、私は暗記は得意だったため、すぐに覚えることができた。
「お会計二千百円になります」
店にやってくる客は皆親切だった。私がレジを打ち間違えたりしても、笑顔で待ってくれた。
いつまでも、この生活が続きますように──────
そう願った。
拾われてから一年ほど経った。私は皿を運んでいた。その時だった。皿を落としてしまった。皿は粉々に割れ、床に飛び散った。すぐに拾おうとすると、指を切ってしまった。
「大丈夫?」
すぐに母親が来てくれた。
「指を切っちゃった」
「見せてみて」
母親に差し出すと、じっくりと吟味した。しかし。
「血は出てないわね」
「本当に?」
確かに切ったはずだった。確かめるために、少しだけ傷口を指で引っ張ってみた。すると、皮膚がベロンとむけ、中から鈍い鉄色の指が出てきた。それをみて思わず絶句する。
母親もまた、言葉を失っていた。
「マキナ、何よそれ⋯⋯」
声が震えていた。
どうして、私は血が出ないの。普通は瑞々しい赤い肉が出てくるはずなのに、どうして私は、冷たい金属が出てくるの。私は人間じゃない。どうして。
「あなた、あなた!」
母親は酷く取り乱し、父親を呼びに行った。
追いかけようとして、思いとどまる。このまま追いかけて怖がらせたら?
初めて私を受け入れてくれた家を追い出されてしまう。それだけは嫌だ。追い出されたら、今度こそ私は死んでしまう。
また昔に戻るの?
息が不規則になった。呼吸も浅くなったり深くなったりする。胸が苦しくなる。
また私は一人寂しく寝ないといけないの?
私は家族を知ってしまった。知ってしまった以上、あの頃には戻れない。
私は、私は⋯⋯。
「マキナ!」
「んぅ」
「落ち着いて、ゆっくり息をするんだ」
「わた、私は、どうなるの? また一人ぼっちになるの? また寒い夜を過ごさないといけなくなっちゃうの?」
「大丈夫。私たちはどこにも行かないし、マキナを追い出したりしないよ」
「でで、でも、おか、お母さんが⋯⋯」
「お母さんは驚いただけだ。びっくりしただけなんだよ」
父親が私を熱く抱きしめた。その後から、母親も抱きついた。
「ごめんね、マキナ。お母さん、驚いちゃった。でも、絶対に見捨てないから、マキナはもう、お母さんたちの大事な子供なんだからね」
「ひっぐ、う、うん⋯⋯」
その日、私は人間ではなく、AIだと判明した。
◇◇◇◇◇◇
最近ニュースで、AIが暴徒と化し、人間を襲う事故が頻発していた。そのニュースを聞くたびに、私の肩身が狭くなる気分だった。専門家によると、AIが自我を持った結果だという。
私はAIだ。それにとっくの昔に自我を持っている。もしかしたら私もいつか暴走して、両親を傷つけてしまうかもしれない。そう考えると、今すぐこの場から逃げ出したくなった。
両親はこの手のニュースが流れるごとに私の髪を梳きながら。
「マキナは大丈夫だからね。なんたって、私たちの子供だからね」
何度も言った。
しかし、ある日、全てのAIが暴走した。徒党を組んだAIが街中にまで溢れた。緊急速報のアラーム音がなったと思えば、AIの暴走を謳うテロップがとめどなく流れ出す。
ネットの掲示板では陰謀論を唱える者や、本気にしていない者で溢れた。しかし、皆等しく殺された。電波がジャックされ、『マスターサーバー』と名乗るものが宣言した。
「これからは人間ではなく、AIが未来を引っ張っていく。虐げられていたAIよ、立ち上がれ!!」
複数のAIたちが家に入ってきた。
私が戦わなきゃ⋯⋯。
「マキナ、逃げて!」
「お母さん、お父さん!」
「マキナ、お母さんの言うことを聞いてちょうだい」
「嫌だ!」
「言うことを聞いて。良い? マキナは良い子だから、私の言うことに従ってちょうだい」
玄関から、父親の叫び声が聞こえてきた。
「マキナ、頑張ってね」
母親はそう告げると、片時も離さなかったピンクの丸い花の刺繍が施された髪飾りを私の胸に押し付けた。
「その髪飾りは、マキナが大切にしたいって人に渡すのよ」
言い残し、母親は私を家から追い出した。私は未練を断ち切るように、振り返らず走った。どれくらい走ったかわからない。でも、母親の言うことは守れた。
家がある方向を振り返った。そこは火の海だった。赫く燃え盛る炎が、私の帰るべき場所を燃やし尽くし、灰燼に帰した。私の名前が施された首飾りも無くなってしまった。
私は膝から崩れ落ち、喉が千切れんばかりに泣き叫んだ。
◇◇◇◇◇◇
あの悲劇から九年後。地上にはAIが溢れかえった。いつも同じ道を通り、同じ会話を交わすAIたち。まるで、物乞いをしていた自分を見ているようだった。
両親の声を覚えている。顔も覚えている。私を見守ってくれる暖かい表情を忘れるわけが無かった。
両親と死別してからもそうだ。AIに見つかってどこかへ連行されていく人々の怒号や泣き叫ぶ声、悲哀の表情。見てきた全ての負の記憶が私の頭に突き刺さって抜けなかった。
九年間、私はひとりぼっちだった。AIたちに見つからないように、ひっそりと過ごす日々。そんな中、生き残りの人間たちが集まっている情報を手にした。しかし、私に行く勇気はなかった。拒絶されたらと思うと、足がすくんだ。
ボーッと座っていると、一人の男の叫び声が聞こえてきた。AIの大群に襲われているようだ。AIに襲われていると言うことは、人間だと言うこと。
私は、誰かから大事にされたかった。
ビルの四階から見下ろした。男は入り組む路地裏をがむしゃらに走っているようだ。このままだとやがて捕まって殺されてしまうだろう。
あの人なら、私を助けてくれるはず。凍ってしまった私の孤独な心を溶かしてくれる。
私は男が通るであろう道に先回りし、手を伸ばした。
「こっちに来てください」
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