第三話
休日の昼下がり。
「今日はカレーにしようか。」
「いいね。でも、この前は甘口だったから今日は中辛。」
「零くん、辛いの苦手なのに?」
「……最近は食べられる。」
「強がり。」
美月がくすりと笑う。
零もつられて笑った。
スーパーの袋を二人で分け合いながら歩く帰り道。
商店街を抜け、小さなレストランで昼食を済ませる。
何気ない会話。
何気ない景色。
何気ない幸せ。
「こんな毎日が続けばいいのに。」
零は思わず口にする。
美月は少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「……そうだね。」
その瞬間だった。
ドォォン!!
地面を揺らす衝撃。
悲鳴。
建物のガラスが砕け散る。
「きゃあああっ!!」
人々が一斉に逃げ出す。
煙の中から現れたのは、人の皮を脱ぎ捨てた巨大な異形。
黒い甲殻に覆われたその姿を見た瞬間、零の呼吸が止まる。
「……お前。」
忘れるはずがない。
あの日。
自分が初めて戦いから逃げた時に暴れていた怪人。
あの怪人が、今も生きていた。
怪人は咆哮を上げ、人々へ襲いかかる。
「逃げろ!!」
誰かの叫び。
人波が押し寄せる。
その中で、小さな男の子が転んだ。
「いたっ……!」
母親が駆け寄る。
「立って! お願い!」
だが、人の流れに押され、二人は逃げ遅れてしまう。
怪人の巨大な影が覆いかぶさる。
零の足が止まる。
――戦うな。
――苦しいなら戦わなくていい。
美月の言葉が頭をよぎる。
その言葉は、あの日の自分を救ってくれた。
けれど。
目の前で泣き叫ぶ子どもの姿が、未来の幻よりも鮮明に胸へ突き刺さる。
「……っ。」
零は拳を握る。
怖い。
また未来が待っているかもしれない。
また怪物と呼ばれるかもしれない。
それでも。
「……見捨てられるか。」
スーパーの袋が地面へ落ちる。
野菜が転がる。
卵が割れる。
零は一歩、また一歩と怪人へ向かって歩き出した。
「零くん……?」
美月が息を呑む。
零は振り返らない。
「ごめん。」
その一言だけを残し、駆け出す。
怪人が親子へ腕を振り下ろす。
その瞬間。
零は親子の前へ滑り込んだ。
轟音。
衝撃。
怪人の一撃を腕で受け止める。
「……これ以上は。」
静かな声だった。
「誰も泣かせない。」
胸の奥が熱を帯びる。
鼓動が速くなる。
体中を光が駆け巡る。
忘れたはずの力が、眠っていたはずの意思が、応えるように目を覚ます。
何も身につけていないはずの腰へ、眩い光が集まる。
粒子が渦を巻き、一つの輪郭を描く。
カチリ。
聞き慣れた金属音。
そこには、押し入れの奥へしまったはずの変身ベルトが、まるで彼の覚悟に応えるように現れていた。
零はゆっくりとベルトへ手を添える。
その姿を見つめる美月の瞳が、大きく揺れる。
「……やっぱり。」
彼女だけが、小さく呟いた。
「あなたが――ヒーローだったんだ。」
彼女の表情は驚きだけではない。
安堵と、悲しみ。
そして、自分が敵であるという事実を胸に秘めたまま、愛する人が再び戦場へ戻ってしまったことへの痛みが入り混じっていた。




