下
本日二話目
サイン会の翌日。
学院に向かう馬車でイリアと顔を合わせたルーカスはいつになく、沈痛な面持ちで、イリアと目を合わせようとしなかった。
──やはりお気づきになられた?
それにしても、ルーカスの表情はただ怒っているというふうではなく、何か思いつめたような表情である。
──ひょっとしたら、側仕えを解任されるのかも……。
イリアはため息をついた。
学園でルーカスの傍にいるのは、役目ではなく、イリアの意思であり、給料などが支払われているわけではないから、厳密な意味では解任という言葉は当てはまらない。逆に言えば、ルーカスの気持ち次第で、いつでも簡単に切られてしまう関係だ。
──今日は部活の日でよかった。
イリアは剣術部だが、ルーカスは魔術研究部に所属している。この日だけは、元々ルーカスと別行動の日だ。
着替えをして道場に入ったイリアは、違和感を覚えた。
「ジャック、今日は、見学が多いのね?」
傍らに立つジャックに声をかけると、突然観客からキャーという歓声が起こった。
「え? 何、あれ」
ダメーという悲鳴まである。
「さあ?」
ジャックは首を傾げた。
「レイ、何か知っている?」
キャー、と、また歓声が起こる。
「イリアさまに反応しているみたいですね」
レイは苦笑する。それはイリアにもわかる。
もともとイリアには女性ファンが多い。それはイリアにも自覚はあるのだが、今日は異常だ。イリアが誰かに話しかけるたびに歓声が起きている。
「ああ、あれ、冬山オコジョの新作のせいっすよ」
靴紐を直していたサムが答える。
「え? どういうこと?」
「新作の主人公が女騎士なんですが、イリアさまを彷彿させるそうなのです。それで、そのバディ役マックスの相手のモデルが誰だろうってことになったらしくて」
サムは苦笑した。
「それは……フィクションなのよね?」
イリアは焦る。
今回の新作は、今までのコテコテ恋愛路線ではなくて、活劇を中心とする路線だからと主人公は女騎士にした。決して、イリア自身をモデルにした訳ではない。ついでにいえば、そのバディ役の騎士も特に誰と決めて書いたわけではないのだ。
「うーん。そうなのですけれどね。うちの妹なんか、完全にイリアさまを重ねて読んでましたからねえ」
ざわざわと女性たちが騒いでいる。
何故こんなことになってしまったのだろう。
確かに女騎士というのは、珍しい。学生たちが自分たちの知っている人間を当てはめるなら、イリアということなのだろう。
が、主人公はイリア自身とは違い、すでに成人した騎士だ。ストーリーだって学園ものではないし、そもそも容姿だって違う。
作者のイリアからすれば、主人公の相棒の男性こそ、自分を投影して書いている。
それにしても。
ひょっとして、今までイリアが書いた他の小説でもこんな風に誰かに迷惑をかけていたのだろうか。誰をモデルにしたのかわからないように書いていたつもりだったけれど、モデルの人物はことごとく自分のことのように感じたとサイン会の時に言っていた。
その時、キャーという歓声が再び起こり、観客たちがざわめきはじめた。何事かとそちらをみれば、ルーカスがそこにいた。
「殿下?」
ルーカスは剣術部ではないけれど、鍛錬の為に、道場におとずれることはある。だが、それは、数か月に一度、軍部から剣術指南者が派遣されてくる日だけだ。
今日はそんな予定はない。
「イリア」
ルーカスは壁にかけられていた訓練用の剣をとると、つかつかとイリアの方へ歩いてきた。
「一体誰だ? マックスというのは?」
「え?」
ルーカスの目はどこか暗く、そしてぎらついている。
「その男を教えろ。イリアの隣にいていいのは私だけのはずだ」
イリアが今まで聞いたことがないような暗い感情を感じさせる低い声だ。
「あの、殿下? 何をおっしゃっているのかわかりません」
ルーカスの気迫に押されて、イリアは思わず一歩下がる。
「剣術部にマックスという名の部員はおりませんよ? それに私もミリではありません!」
「……そんなことは、わかっている」
言葉ではそう言いながらも、ルーカスは部員たちの顔を品定めするかのように見まわしている。皇太子のあまりに鋭い視線に、部員たちは震えあがった。
「あの、イリアさま」
ジャックが恐る恐る手を挙げた。
「今日はもう殿下と一緒にお帰り下さい。俺たち、まだ死にたくありません」
「……わかったわ」
正直、今のルーカスを相手にするのは、イリアも怖い。怖いけれど、ルーカスをここまで怒らせてしまったのは、たぶんイリアのせいだ。
「殿下、場所を移しましょう──何もかもお話いたしますから」
イリアは覚悟を決め、ルーカスを道場から連れ出した。
宮殿に戻るための馬車に乗り込むまで、イリアもルーカスも無言だった。
おそらく、ルーカスはイリアが『冬山オコジョ』であることを知って、新作も読んだのだろう。
『女騎士ミリの憂鬱』は、活劇物で恋愛色は薄めだ。騎士物語だから主君として忠誠を誓う『王』はいる。話の都合上、人物は良いがあまり優秀な王ではない。そこを不敬だと思ったのだろうか。
──わからない。
だが、不敬だと思ったにしろ、マックスを捜そうとする理由にはならない。
マックスはイリア自身を投影した。今回は誰かをモデルにした訳ではない。
馬車に隣同士に座ったまま、イリアはルーカスを盗み見る。
相変わらず口をつぐんだままで、雰囲気は暗くて重い。馬車の窓から見える景色もどんよりと曇った空だ。
「殿下のお怒りの理由は、私が『冬山オコジョ』だからでしょうか?」
イリアは意を決して、口を開く。
「恋愛小説の執筆など、騎士にあるまじき行為ですよね。申し訳ございません。護衛の解任もやむなきと──」
「解任も何も、イリアは私の護衛ではないよね?」
ルーカスの一言にイリアは息をのんだ。
すうっと何かが冷えたように感じる。
「そう……ですね」
イリアは命じられたわけではない。イリアが勝手にルーカスの傍にいただけだ。ルーカスの正式な護衛は別にいる。そんなことはわかっていた。
イリアは体が震えるのを感じる。傍にいることを拒否されたと感じた。
今まで、ずっとルーカスの護衛を自称していたけれど、ルーカスは望んでいなかったということか。
「申し訳ございません」
イリアは左腕にはめたままのブレスレットに視線を落とす。
幼き日の誓いはイリアにとって大切なものだった。たった一つのつながりが壊れてしまったように感じる。
「イリアが『冬山オコジョ』だってことは、少し前から知っていた」
ルーカスはポツリと呟く。
「私はイリアが思っている以上に、イリアのことを知っている。いつ話してくれるのか、待っていた」
イリアは目を丸くした。ランドル侯爵家の誰も知らないことを、どうして皇太子のルーカスが知っているのか。
「商店街に誘った時、用事があるといったイリアがあまりに不自然だったから、イリアに護衛を付けていた」
「私にですか?」
イリアは驚いた。
ランドル家は武門の家系。
自分の身は自分で守ることが、家訓でもある。家族のだれもイリアが屋敷を抜け出すことに気づいたとしても、そんな発想にはならなかったに違いない。
「イリアが強いのは知っている。でも、侯爵家の令嬢だぞ? 若い女性が一人で出歩くなんて、危ないじゃないか。ランドル侯爵家は少し危機感がなさすぎる」
「……ありがとうございます」
イリアは戸惑いながらも謝意を述べた。
ルーカスがイリアを年頃の令嬢だと認識していたことが一番の驚きだ。
「最初は驚いたけれど、冬山オコジョ、イリアの話はとても面白い。私は別に君が執筆することを止める気はない。ただ、話してほしかった。秘密にしてほしくはなかった」
ルーカスは首を振る。イリアがルーカスに対して秘密を持っていたことが辛かったと口にする。
「申し訳ございません」
イリアは思わず俯く。
サイン会の日、ブレスレットの有無関係なく、ルーカスはイリアだと気づいていたことになる。
「私みたいな人間が、恋愛小説を書くとは知られたくなかったのです……」
自分の中の夢見る乙女の部分をイリスは他人に知られたくなかった。
特にルーカスには。
女性の部分を見せてしまったら、今まで通りの主従関係でいられなくなるかもしれない。
万が一にでもルーカスに惹かれている気持ちを知られたら、きっと護衛から外されてしまう。
何より、まるで似合いもしないフリルたっぷりのドレスを着て悦に浸っているところを見られたような気分で、落ち着かない。
「どうして? イリアの小説は、イリアの観察眼が活かされているし、面白い。それに意外でも何でもない。可愛らしくて優しいイリアそのものじゃないか」
ルーカスは首を傾げる。
ルーカスにはイリアの羞恥心が理解できないらしい。
信じられないことだが、イリアが『冬山オコジョ』であることになんの驚きもなかったようだ。
「それはいいんだ。ねえ、イリア。女騎士ミリの憂鬱は、今までと違うよね。甘い恋愛小説じゃない」
ルーカスは眉間に皺を寄せる。
「それは、その。違ったテイストの話を書こうと出版社とも相談した結果なのですけれど」
ジャンルが変わったことに何か問題でもあったのか。
恋愛は薄くなったが、冒険譚としての出来は悪くないとイリアは自負している。ミリとマックスの関係もまあまあうまく書けたと思っていた。
「今までのヒロインはイリアとは別人だと思えた。だけれどヒーローはどこか私に似たところがある気がして、私はうぬぼれを感じていた」
ルーカスの指摘に、イリアは顔に熱が集まるのを意識した。
ヒーローにルーカスの香りがするのは当然だ。イリアにとって、ルーカスは常にヒーローなのだから。
「今回のミリは、とてもイリアに似ている。でも、ヒーローのマックスは、私とは似ても似つかない。モデルは一体誰? イリアはその男が好きなのか?」
「へ?」
思ってもみない展開にイリアは首を傾げた。
「ミリは私ではありません。それこそ剣を扱うこと以外は何も似ていませんよ? どちらかといえば、マックスの方が私です」
女騎士ミリは絶世の美貌を持つ騎士で、男女を問わずに人を魅了する主人公だ。イリアからすれば、自分がそんな超人とはとても思えない。
あえていうならば、ミリのモデルはルーカスだ。
「いや、ミリはイリアとそっくりだ。剣が得意で、令嬢にも人気があるし」
ルーカスは譲らない。
「それは……ある意味で、光栄ですが。とにかく、あくまで架空のお話です」
イリアは首を振る。
「嫌なんだ」
ルーカスがポツリと呟く。
「架空だろうが何だろうが、私のイリアが私以外の男の隣にいるなんて。イリアがそんなことを想像していると考えるだけでも、悔しくなる」
「殿下?」
ルーカスが何を言いたいのかわからず、イリアはきょとんとする。
「イリア、お願いだ。私の隣にずっといてくれ」
ルーカスの腕が伸び、イリアはルーカスの胸に抱き寄せられた。
突然のことに、イリアは固まる。なぜ抱き寄せられたのかがわからない。
「雪原で誓ったじゃないか。まさか忘れたわけじゃないよな? 生まれた時間は違っても、死ぬまで一緒にいるって」
ルーカスの声が震えている。まるでイリアがいなくなってしまうことに怯えているようだ。
「もちろんお許しいただけるなら、一生、殿下にお仕えする覚悟でおりますが……」
「だったら、いい加減、婚約に了承してくれよ……」
「は?」
イリアはまた意味が分からなくなった。
「あの時、プロポーズに了承してくれたのに、未だに婚約してくれないのはどうしてなんだよ……」
「婚約?」
ルーカスは何を言っているのか。
イリアの表情を見たルーカスも目を見開く。
「ひょっとしてイリアは聞いてないの?」
「何のことでしょう?」
「そのブレスレットを贈った時、求婚状も侯爵家に送っている。侯爵は、私たちがまだ幼いこと、ランドル家が武門の家であることを理由に求婚状は受け取ってはくれなかった。だがそれから毎年、侯爵には婚約したいと伝えていたのだが──」
イリアにとっては初めて聞くことばかりだ。
「このブレスレットは義兄妹の証、つまりは主従の印ですよね。私はずっとそう信じてきたのですけれど」
イリアはずっとそう思っていた。だからこそ、ルーカスの剣であろうと励んできたのだ。
そういえばイリアの父は大きくなったらブレスレットを返却するか、それとも一生身に着けるか自分で決めろと言っていた。てっきり、ルーカスに仕えるかどうかを決めろと言われたと信じてきたのだが、意味が違ったのだろうか?
「待って。なぜ、私がイリアと義兄妹なの?どうしてそうなっているわけ?」
「東方の物語でそういう誓いがあるって、兄上が──」
「な?! あの、シスコン!」
ルーカスは馬車の中だというのに立ち上がり、頭を天井にぶつけた。
「大丈夫ですか?」
頭を押さえるルーカスはいつもの完璧な皇子らしくない。
「イリア、あのね。あれは愛の誓いだから。今思えば幼かったこともあって、いろいろ私の言葉も足りなかったけれど、その後で父上から求婚状を出してもらったからてっきり伝わっていると思っていた」
「愛の誓い?」
ルーカスはコホンと咳払いをする。
「イリア。改めて言う。君が好きだ。死ぬまで一緒にいたい」
「よろしいのですか? 私は剣しか取り柄がないのに……」
「良いも何も、たとえ創作の中でも君の隣に別の男がいることが耐えられないほど、私は君にずっと夢中だ」
ルーカスは僅かに苦笑する。
「私……殿下に恋をしてはいけないと自分を戒めておりました」
イリアはブレスレットをそっと撫でる。忠臣の証に恥じぬよう、心を必要以上に揺らさぬように。
「でも、戒めなければいけない時点でダメですね。私も……殿下が好きです」
「よかった……」
心からほっとしたようにルーカスは笑んで、そうして、イリアにそっとキスをする。
車窓にあの日と同じ、赤い夕陽が辺りを照らしていた。
その後、早々にイリアとルーカスの婚約は発表された。
周囲に驚きはなかった。ランドル侯爵が求婚状を長年辞退を続けていたのは、ルーカスの心変わりを恐れてのことだったらしい。
『冬山オコジョ』の次の新作は、『バラ園の誓い』という東方の義兄弟ものをモチーフにした作品といわれている……。
お読みいただきましてありがとうございました!




