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長いので2話に分かれております。
2話目の投稿は21時台になると思います
侯爵家令嬢、イリア・ランドルには、人には言えない秘密がある。
ランドル侯爵家は、イリアの祖父に当たるグラン・ランドルが武勲を立て、取り立てられた武門の家門だ。侯爵家になった今も、イリアの父、エドウンはこの国の騎士団長であり、イリアの兄は近衛隊隊長をしている。皇室への忠誠心が非常に厚いことでも有名だ。
イリアもまた、幼い頃より剣を学び、皇室に仕えるべく育てられた。
皇太子であるルーカスが同い年ということもあり、イリアは『遊び友達』だった。
イリアが十三歳の時。
「僕たち二人、生まれた日は違っても、同年同月同日に死すことを願おう」
白い雪原を赤く染める夕日を見ながらルーカスに提案され、二人で誓いを立てた。
まるで結婚式のような誓いにイリスの胸はときめいた。
が、あとから兄から聞いたところによれば、東方の物語にある『義兄弟』の誓いにそんな言葉があるらしい。愛だと思ったのはイリスの誤解だった。
その誓いの証としてルーカスから帝国の紋章の入った金のブレスレットが贈られてきた。父は、今は仮約束だから、大きくなったら殿下に返すか、一生それを身につけるかをしっかり考えなさいといった。
以来、イリアは側近の証として常に身に着けている。
十八歳になってもイリアは侯爵令嬢でありながら、刺繍や縫物より剣を学び続けていた。
肩までしかないストレートの黒髪は、女性としてはかなり短い。
学院の制服はさすがに女生徒のものだが、それ以外の時は男ものを着ている。顔立ちは非常に整っているが中性的なこともあり、ルーカスの隣に常に控えても、イリアはあまり令嬢と認識されていない。
勇猛果敢で名高いランドル家の人間として生まれ、剣の道一筋に育てられたイリアに来るラブレターは、昔から圧倒的に令嬢からのものが多いのだ。
夜会に出れば、男性ではなく令嬢がイリアと踊りたいと列をなす。
周囲はイリアに男性よりも男らしくあれと望んでいることがわかっているから、イリアはどうしてもそうふるまってしまうけれど。
しかし、イリアの内面は、夢見る乙女であった
本当のことを言えば、小動物のように可愛らしく、レースたっぷりのドレスをまとって、白馬に乗った王子さまと恋がしたいと思っている。
ただ、今のイリアがそのようにふるまったところで、笑いものになるに違いない。
自分の心と現実のギャップで苦しくなったイリアは、願望のすべてを注ぎ込んで、小説を書くようになった。
愛らしい女性にかっこいい男性。こてこてのステレオタイプの甘く切ない恋愛物語だ。
イリアの予想に反して、小説は売れた。
が。
イリアは未だに自分が作家であることを周囲に話せていない。
出版元の協力のおかげで、『冬山オコジョ』というペンネームの他は非公表ということになっている。
いずれ両親には話す必要があるが、逆鱗に触れそうで怖い。
何より皇太子であるルーカスに知られたら、軽蔑されそうだ。
「ねえ、イリア。眠そうだけれど大丈夫?」
授業中に居眠りしていたところをルーカスに目撃されてしまったらしい。
特に教師に見とがめられることもなかったが、ひょっとしたらかなり目立っていたのだろうか。
皇太子の側近としてあるまじき態度ではある。
「すみません。ちょっと夜遅くまで本を読んでいたもので」
イリアは慌てて答えた。
締め切りが迫っていて徹夜してしまったせいで、つい寝てしまったのだ。
「別に私に謝る必要はないよ。真面目なイリアが珍しいなあと思っただけだから」
皇太子であるルーカスは、ふふっと微笑む。
その藍色の瞳は優しい光を帯びている。
イリアの胸がドキリと音を立てた。
──そんな目で見られたら勘違いしてしまう。
イリアと皇太子は義兄妹の誓い、つまり主従の誓いを立てた仲だ。ときめきを感じるのはまちがっている。イリアは慌てて、自分の気持ちにふたをする。
ルーカスは長身で、非常に整った高貴な顔立ちをしており、まるで物語に出てくる王子さまそのものなのだ。品行方正、文武両道。それなのにまだ婚約者はおらず、それこそ令嬢が常に列をなしている状態である。いっそ婚約者が決まっていれば、イリアも己の想いを捨てて生きる覚悟ができるのに、淡い期待を思わず抱いてしまう。
そのたびに左腕のブレスレットに視線をおとし、あの日の誓いを思い出す。
イリアは生涯、ルーカスの忠臣として生きると決めたのだ。
「ねえ、イリア。二日後のお休みなのだけれど、妹のリナティアと一緒にでかけないか?」
「二日後ですか?」
イリアは青ざめた。
その日は、『冬山オコジョ』の新刊発売を記念しての初めてのサイン会なのだ。欠席は当然できないし、簡単に日付を変えられるものではない。
「申し訳ございません」
イリアは頭を下げる。
「その日は、どうしても外せない用事がございまして……」
皇女であるリナティアが一緒となると、男性の護衛騎士だけではいろいろと不安なこともあるだろう。本来なら、一も二もなく同行すべきだが、今回ばかりはどうしようもない。イリア一人の問題ではないのだ。
「そうか。用事があるなら仕方ないね.」
ルーカスは少しがっかりした表情を見せた。
「護衛として大変申し訳なく──」
「別に護衛として誘ったわけじゃないから、そちらは気にしなくていい。ちなみに、用事って、何?」
「それはその……」
イリアは思わず口を濁す。
「まさかデートじゃないよね?」
煮え切らない態度に、きらん、とルーカスの瞳が鋭く光った。ぐいっと顔を近づけ、嘘は許さないとばかりにイリアを睨みつける。
「違います!」
イリアは慌てて否定した。
「私にそのような相手はおりません!」
「そう。それならいいんだ」
いたとしてもつぶすけどと、小さく呟いたルーカスの言葉はイリアには聞こえていない。
「翌週なら、大丈夫ですが?」
「残念だな。リナティアがラースフルド街のイベントに行きたいと言っているから、その日しかダメなんだ」
「ラ、ラースフルド街!」
イリアは思わず叫ぶ。
ラースフルドは今週、商店街を挙げてのお祭りが行われる。イリアがサイン会をするのもそれに合わせてのイベントだ。
「ん? どうしたの?」
「な、なんでもありません」
当日は、ラースフルドのあちこちでイベントが開催されることになっているし、ラースフルド商店街はとても広い。だから遭遇する可能性は非常に低いはずだ。
内心だらだら汗を流しながらも、イリアは平静を装った。
サイン会の会場は、商店街の奥まった場所にある小さな書店だ。実は二階にイリアのお世話になっている出版社事務所がある。
しかも冬山オコジョの正体は秘密なので、サイン会の部屋は、基本、一人ずつ入ってもらうようになっていて、外を歩く人はもちろん並んでいる人にも見られないようになっている。
──ここなら、偶然に殿下たちが来ることはないわね。
イリアはほっとした。
万が一にもイリアが『冬山オコジョ』であることを知り合いに知られてはならない。
「しかし、先生、本当にそれを被ってサイン会をなさるおつもりですか?」
「当然です。覆面作家の素顔など、誰も見たくないでしょうし」
イリアがサイン会にあたって、編集のトマスに用意してもらったのは、白いオコジョの被り物である。オコジョというより、ネズミのような顔になってしまって少々残念な出来ではあるのだが、製作者がオコジョを見たことがなかったらしいので仕方がない。服装で貴族であることがばれないように、平民の女性が着るワンピースを着ている。
「そもそも、私のサインをもらうために新刊を買ってくれる人がいるかどうかも疑問なのですけれど」
「何をおっしゃるのです! オコジョ先生の新刊『女騎士ミリの憂鬱』をサイン付きで手に入れられるなど、ファンにとっては垂涎ものなイベントですよ!」
トマスは熱弁するけれど、イリアは懐疑的だ。
自分にファンが本当にいるのか、どうしても疑ってしまう。それに前に出した本が売れたから、次の本も売れるとは限らないのだ。
「さあ、そろそろ準備してください。時間ですよ」
「ええ。わかったわ」
イリアはオコジョの被り物を頭からかぶり、机の前に座った。
「キャー、オコジョ先生!」
一番に並んでいた令嬢は会場に入るなり、声を上げて走り寄ろうとして盛大にこけた。
「だ、大丈夫ですか?」
びっくりして立ち上がり手を差し伸べた冬山オコジョ(イリア)は、彼女を見て、どきりとした。
思いっきり、知っている顔だ。
彼女の名は、マリア・テイラー。伯爵令嬢ではあるが、婚外子ということで、つい最近貴族籍に入ったばかりの令嬢だ。
まだ貴族令嬢としての所作が身についていないだけでなく、信じがたいドジっ子属性を持っている。ふわふわな金髪で大きな瞳が可愛らしい。
「ありがとうございます」
マリアはてへっと、可愛らしく笑った。
「また、ドジッちゃいました」
恥ずかしそうに彼女は立ち上がり、新刊を差し出す。
「先生のデビュー作の『恋は突然に』のメリーが、私と同じドジッ子で。だからすごく親近感があって、大好きなのです!」
「まあ……それは、ありがとうございます」
無難に返しながら、イリアは本を受け取りペンを持つ。
内心はひやひやだが、悟られてはいけない。
親近感も何も、メリーのモデルは彼女なのだ。
「実は私も皇子さまで転んだことがあるんですよ。へへへ。ただ、恋は始まらず、助けてくれたのは、女性の騎士さまなのですけれど」
──うん。知っている。それ、私だから。
と、イリアは内心で頷く。
「あ、マリアさんへでお願いします」
「……これでよろしいでしょうか?」
さらさらとペンを走らせた。
「キャー! 家宝にします! ありがとうございます!」
「こちらこそありがとうございました」
握手をして、本を受け取るとマリアはへたくそなスキップをしながら出て行った。
次に現れたのは、豪奢な金髪を縦ロールにした美女だった。
比較的おとなしめなドレスだけれど、明らかに貴族とわかるドレス。非常に優雅で、姿勢が良い。
──アラミス・エグザール公爵令嬢?!
またしても見知った顔に、イリアは汗がだらだら流れるのを意識した。
被り物をかぶっていてよかったと、しみじみ思う。
「冬山オコジョ先生。新刊の発売おめでとうございます」
丁寧にお祝いを述べながら、アラミスは本を差し出す。
「先生の『公爵令嬢の大逆転』とても好きなのですの。自分のことのように感じられて、爽快でしたわ」
「ありがとうございます」
公爵令嬢の大逆転の主人公、サーラのモデルはアラミスである。
自分のことのように感じるも何も、多少のアレンジ、脚色はあるにせよ、彼女を描いたのだから当然である。
「残念ながら、ヒーローが皇子さまというのが気に入らないのですけれど」
「……申し訳ございません?」
「いいえ。先生は悪くございませんわ。お話ですものね。ここにアラミスと名前を入れていただけます?」
「はい」
公爵令嬢の大逆転のサーラのモデルはアラミス。お相手の皇子はルーカスがモデルだ。
そういえば、アラミスは魔術省の秀才と噂がある。ヒーローがお気に召さなかったということなのだろう。さすがにそこまでリアルにしたら、誰をモデルにしたかバレてしまう。いくらフィクションでも、それはまずい。
「アラミスさまへ……と。これでよろしいでしょうか?」
「ええ。とても嬉しいですわ」
握手をして本を受け取ると、アラミスは来た時と同じように優雅に去っていった。
閑古鳥が鳴くことも覚悟していたイリアだったが、サインを求める人の列は途切れることなく続いた。
「オコジョ先生、あの、ロイヤルなかたが来てます」
トマスが次に並んでいる人を見て、驚いて耳打ちに来た。
「えっと。どなた?」
トマスの話に顔を上げると、じっとイリアとトマスを睨んでいる男性と目が合った。
──殿下?!
イリアは頭が真っ白になった。
男性、ルーカスは、妹であるリナティアを伴っている。
「お兄さま、顔が怖いわ」
「ん? ああ、すまん」
サイン会は原則一人ずつであるが、皇女一人では危険ということなのだろう。皇太子と皇女が二人で入ってきたのは、ある意味こちらに配慮してくれたということだ。きっと会場の入り口には護衛の騎士たちがいるのだろう。
「オコジョ先生。私、大ファンですの。今まで出された本、全部持っておりますわ」
「光栄にございます」
思わず声音を変えて、イリアは答えた。
さすがにオコジョの被り物をしているから気づかれないと思うけれど、日常的に話す機会の多い皇太子と皇女だ。念には念を入れるべきである。
「特に『スヴェータ王女の婚姻』がとても好きですの。私も王女と一緒で、お花が大好きなの」
「ソウデスカ」
あなたをモデルにしているから当然ですという言葉を飲み込み、イリアは答える。
スヴェータ王女の婚姻は、花の咲かない呪いのかかった常冬の国に嫁いだ王女が、凍てついた王の心を溶かしていき、やがて国にかけられた呪いを解くというお話だ。
常冬の国のモデルは、ランドル侯爵領の山岳部。リナティアは知らないだろうが、ルーカスは冬に訪れたことがある。ただ、様子を見る限り、本を読んでいるのはリナティアで、ルーカスは付き添いと考えられる。
それに、モデルがランドル侯爵領だと気づいたところで、お話そのものはほとんどフィクションなのだから、イリアが作者であることは気づかれないはずだ。
「その覆面、もう少し可愛くできなかったのかな」
突然、ルーカスがポツリと呟く。
「お兄さまったら、突然何をおっしゃるの?」
ムッとした顔でリナティアがルーカスを嗜める。
「先生はオコジョが好きだろうから、この覆面は不服かなと思って。この顔だとネズミみたいだろう?」
「すみません。発注先の人がオコジョを見たことがなかったそうなので」
イリアは思わず頭を掻いた。
まさか、そこを突っ込まれるとは思っていなかった。
ランドル侯爵領の山岳部にはオコジョが生息している。
義兄弟の契りをかわしたあの日。ルーカスと一緒に山でオコジョを見た。
──あの日、ルーカスさまは私をオコジョみたいっておっしゃったっけ。
ふわふわした可愛らしい小動物に似ていると言われたのが嬉しかった……だから、イリアのペンネームは、冬山オコジョなのだ。
「今度、出版社宛に可愛らしいオコジョの被り物をお贈りいたしますよ」
「もう。お兄さま。それはどうでもいいのではなくて?」
リナティアはルーカスが作品に全く触れずに、被り物だけに注目していることが気に入らないようだ。
「私、ラストシーンにでてきた雪割草が見たくて。仲の良いお姉さまにお願いして取り寄せてもらったことがありますの。サインは、リナティアと入れていただけます?」
リナティアは楽しそうだ。
──そういえば、そんなこともあったっけ。
その時は、まさか自分の作品のせいだとは全く思っていなかった。
「リナティアさま……これでよろしいでしょうか?」
ペンを滑らせていると、イリアは、ルーカスがやたらとイリアの手元を見ているような気がした。
「ありがとう。家宝にするわ。これからも楽しみにしていますね」
「ありがとうございます」
リナティアに本を渡し、イリアは頭を下げる。
「では、また」
去り際にルーカスは意味深に微笑んで、リナティアとともに出て行った。
──また?
イリアは首を傾げる。
次のサイン会の予定はない。いずれまた、という意味なのだろうか。
不意に、イリアは自分の手に視線を落とした。
「あ」
左手の袖口に、ブレスレットをはめたままだった。帝国の紋章が入った唯一無二のブレスレットだ。
ルーカスはこのブレスレットに気づいたかもしれない。
「ああぁぁぁ」
イリアは頭を抱えて机に突っ伏した。




