第61話 聖域には、ふわふわが必要らしい
数日経ったある日。
エレノアは、最低限の家具のみが設置されている自室を見回していた。日当たりや風通りも良く、部屋自体に全く不満はない。むしろスッキリとした部屋で気に入ってはいた。しかし、アレクシス邸に引っ越してきてから、常々考えていたことを実行することにしたのだった。
「部屋に置く小物を買いたいので、付き合っていただけませんか?」
エレノアは、朝食の席でアレクシスにお願いする。普段あまりお願いなど言ってこないエレノアに、アレクシスは意外そうな、そして少し嬉しそうな顔をした。
「もちろんいいですが、小物とは?」
「クッションとか、置物とか、揃えようかと思って。アレクシス様の意見を参考にしたいのです」
アレクシスは何も私物がないエレノアの部屋を思い出した様子で、うんと頷いた。
玄関を出たエレノアは、いつもより護衛の数が多く、配置も厳重になっていることに気づいた。アレクシスが密かに警戒を強めているのだとわかる。
先日の街での視線については、帰宅後、彼に伝えた。しかし、訓練された護衛たちでさえ誰も異変に気づいていなかったという。殺気や害意といった明確な毒がないのだ。
——品定めするように全身を舐め回される、ねっとりとした視線。 …ただの、視線。
害はないはずなのに肌が粟立つような、女性だけがわかるのかもしれないあの不快感と不安は、言葉でいくら説明しても「気のせい」で片付けられてしまう性質のものだった。
ただ見られていただけ。
(でも……絶対に気のせいなんかじゃない)
護衛たちは首をかしげていたが、アレクシスだけは一切「気のせい」だと笑わなかった。
「エレノアが嫌な予感がしたなら、それがすべてです」と静かに怒りを宿した瞳でエレノアの言葉を信じ、すぐさま警護を倍に増強してくれたのだった。
護衛を見て、顎に手をあてて考え込んでしまったエレノア。
アレクシスはエレノアに不安を与えまいと、いつも通りの優しい笑みを浮かべて「さあ、行きましょうか」と手を差し出した。
****
王都の一角に、その貴族御用達の輸入雑貨店はある。異国の織物や陶器、東方の香木などを扱う、格式のある店だった。
二人がドアを開けると心地よいベルが鳴り、奥から出てきた店主が恭しく頭を下げる。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなものをお探しでしょうか」
「クッションと……あと、何か、雑貨とか、部屋を柔らかい雰囲気にできるものを探しています」
エレノアが答えると、店主は心得たように、いくつかの棚を案内し始めた。
エレノアの目的は、正直に言えば、実は決まっていた。
ちら、とついてきたアレクシスの方を見る。彼は棚に置かれている商品を物色している。
——リィが好きなものを、選ぶ。
美しいものとかわいいものが好きという彼。しかし、彼の部屋は簡素だ。
レースや美しいもの、甘いものが好きなのはわかった。夜会のドレスも作ったそうだけど、部屋からは一切にその気配がない。アレクシスは自分の好みや気持ちを、いつも誰にも知られないようにしている。
もしかしたら簡素な部屋が好みかもしれなかったけれど、自室でさえ家の”理性”に制御されているのかもしれない…と、エレノアは思っていた。
エレノアもヴァルトハイム家に嫁ぐ身。しかし、外から嫁いでくる”夫人”というポジションの人間は多少優遇されているものだ。
ひと続きの自分の部屋に彼の趣味のものを置けば、エレノアの領域という隠れ蓑の元、雰囲気の違った彼の憩いの場にできるかもしれない。自分には特に部屋を飾ったりする趣味もないし、アレクシスのために少しでもできることがあればしたいと思っていた。
店内を見て回りながら、エレノアはさりげなく、隣を歩くアレクシスの反応をうかがっていた。ーー彼女は気づいていなかった。ノアのようなキレのある目が、かつてないほど優しいまなざしで彼にむけられていることに。
——かわいいや美しいにも、いろいろある。君はどんなものが好みなんだ?
そう、エレノアが思った時。
「これは……」
ちょうどアレクシスの足が止まる。
視線の先には、真っ白でもこもこした毛足の長いクッションが積まれていた。触ると柔らかく、軽い。
「エレノア。……こういうのは、どうですか」
「へえ、いいですね」
エレノアは、わざと少し素っ気なく答える。
——一つ目、決めた。
「こちらもお勧めです」
店主が、棚の奥から取り出したのは、かなり大きな熊のぬいぐるみだった。
異国の職人が仕立てたという、艶のある毛並み。丸い耳。大人向けというよりは、懐かしい、子供向けの柔らかい雰囲気。
触ってみると、ふわふわもちもちとしていた。
(なんか、大きなマシュマロに耳がついてるみたい)
「どうかな?」とアレクシスへ顔を向けてみる。アレクシスの視線が、明確に吸い寄せられていた。
「これは……子供部屋にありそうな……」
そう言いながらも、彼の指先は、すでにその毛並みをそっと撫でていた。
「触り心地が、いいですね」
真顔で品定めをしているつもりの顔だった。でも、その手は、もう離れそうにない。
エレノアはこそっと彼にだけ聞こえる声で聞く。
「アレクシス様、それ…かわいいですね?」
「はい…すごく…。え?」
「買います」
アレクシスはぎょっとしてエレノアを見る。エレノアは琥珀色の瞳をいたずらっぽくきらめかせる。
その目をしばらく見つめていた青い目が、ぐらりと揺らいだ。今日なぜエレノアがここに来たのか、彼女の意図がわかったのだ。
彼は目元を片手で覆う。美しく揃えられた金髪から見える耳が、赤くなっている。
(ふふ。かわいい)
エレノアは笑いを堪えながら、店主に向き直った。
「これも、いただきます」
「ありがとうございます。他にもおすすめがございまして……」
店主はうきうきと商品を勧めてくる。その後も、エレノアは次々と彼の反応が良い「柔らかいもの」や「小さくて丸いもの」を選び続けた。
毛足の長いラグ。
ふかふかのブランケット。
陶器の、小さな動物の置物たち。
アレクシスは、その一つひとつに対して「これは、あなたの趣味に合いますか」「無理はしていませんか」と、律儀に聞いてくる。
はいはい、とエレノアはそのたびに流す。
「リィは、これ好き?」
ノアの声で、ずばり聞かれたアレクシスは「くっ…」と悔しそうにしながらも、こくりとうなずいた。
「…好き」
「うん、好きそうだと思ったんだ。買おうね」
そう答える度に、アレクシスの顔にじわじわと熱が上っている。
だんだんと彼の好みを掴んできたエレノアは、得意げに商品を選んでいった。
****
数日後。届いた荷物で整えられた部屋を見て、フィオナが感極まったように両手を組んだ。あまりにも大量に品を買ったので、店主が後から届けてくれることになったのだった。
「エレノア様……お部屋が、なんだかとっても、かわいらしくなりましたね……!」
本棚の並ぶ知的な空間に、真っ白なクッションと巨大な熊のぬいぐるみが鎮座している。
床には毛足の長いラグ。
棚には、小さな動物の陶器がたくさん整列していた。
ユノが不思議そうに部屋を見回している。エレノアの好みを知っているユノは、あまりにも雰囲気が違うので首を傾げている。優秀である。
しかし、部屋を見回したエレノアは満足げにうなずいた。
その日の夜。
エレノアが部屋に戻ると、彼は寝台の脇、大きな熊のぬいぐるみに寄りかかるようにして、クッションに埋もれながら書類を読んでいた。
足元にはふわふわのラグ。
一心不乱に、真剣な顔で。けれど、片手は無意識に、ぬいぐるみの毛並みを撫で続けている。
「…それ、気に入りました?」
「っ、……エレノア。すみません、少し、休憩を」
慌てて姿勢を正す彼。
けれど耳が赤い。
そして、離れがたそうに、もう一度だけその熊にもたれ直した。
「これ、かわいいです…」
あまりにも幸せそうな顔をしているので、エレノアは何も言わなかった。
——よかった。
隣に腰を下ろし、エレノアはそっと彼の肩に頭を預ける。
「私も、ここ、気に入ってます」
本心だった。
アレクシスがゆっくりと微笑んで、彼女の肩を抱き寄せた。
ふわふわのクッションに埋もれた、完璧な公爵令息と、その企みに満足そうな婚約者。
その部屋は、思ったより早く、二人だけの、柔らかな聖域になっていた。
エレノアはアレクシスの頭を撫でてやりながら考える。
——次は、どうやって彼を甘やかしてやるか。
本日もお読みいただきありがとうございました!
次回はアレクシスが準備していたあるものについて、のお話です。楽しんでいただけたら嬉しいです。
9/28(月)更新予定です!




