第60話 軽装備令嬢、エレノア
朝食を食べた後、エレノアはユノ、フィオナの三人で出かける。今日はエレノアの新しいドレスを買う日だった。
「え…!僕も行きたいです」
アレクシスが、リィとしてはどうにか参加したい!と一緒に来たがった。しかし、どうしても仕事で叶わないし、彼は忙しい。
「今回は女子会なので」と言い、今日は別れて来たのだった。
でももし、アレクシスがリィとしてここにいたら...。4人で歩く様子を想像すると、ちょっと面白い。
「ふふ、ふふふ....!」
一人で笑っているエレノアに、嬉しそうにフィオナが話しかけた。
「エレノア様、私も一緒に連れて行っていただけるなんて!光栄です!」
「この間、ユノとも、フィオナを誘おうと話していたのよ」
エレノアの言葉に、ユノがにっこりと頷く。
「クローゼット、本当にドレス少ないですもんね……私、びっくりしちゃいました」
「必要なかったから」
エレノアは苦笑する。
****
「エレノア様、本当にお荷物はこちらだけなのですか……!? 」
天気の良い、ある春の日。アレクシス邸の使用人たちは目の前の光景に一様に目を丸くしていた。
正式に引っ越してくることになった未来の公爵夫人エレノア。大々的に待ち構えてみれば、来たのは本人の乗った馬車と荷車がたった「一台」だった。
母からの支度品でさえ、ほぼ持ってこなかった。もちろんエレノアの母は嫁に行く娘へ、大量の調度品を持たせようとした。しかし、エレノアはほぼ断り、母の気持ちも組みながらも荷車の隙間に入る程度に収めた。
「改めて、これからよろしくお願いします。ギルバート」
エレノアは挨拶をする。
出迎えたギルバートが微笑み、美しく頭を下げる。
屋敷に入れば、フィオナやメイドたち、ヴィクトルまでが並んで迎えてくれる。
「エレノア―― !」
その時、馬車の到着を聞きつけた人物が、中央階段を駆け下りてきた。
「アレクシス様!」
アレクシスが笑顔で手を強く握る。息を弾ませる彼は、待ちわびた喜びに溢れていた。
「やっと帰ってきてくれましたね。僕も皆も…待っていました」
エレノアが実家へ戻ってしまってから、数カ月経って。
以前のアレクシスなら、使用人の前で、こんなにも感情を出すことはしなかった。
しかし今、婚約者に会いたくて走って階段を駆け下りてきた上に、自分の気持ちを正直に口にしている。皆、その様子をほほえましく見守っていた。エレノアははちみつ色の瞳を柔らかくした。
「来てください、あなたの部屋に案内します!」
「はい……!」
アレクシスがエスコートして、階段を上がっていく。
三階まで上がり、以前エレノアが使わせてもらっていた客間とは反対側の方向へと廊下を進む。
重厚な木目の、初めての扉の前に立つ。アレクシス邸は真ん中に階段があり、左右に部屋が広がっている。客間は階段を上がって右だったが、今度は左の奥だ。
左側の奥一帯がアレクシスのプライベートエリアだった。エレノアは、この辺りにはあまり足を踏み入れたことがなかった。
「ここが、今日からのあなたの部屋です」
アレクシスがゆっくりとドアを開ける。
一歩足を踏み入れた瞬間、ふわりとエレノアの心が安心感に包まれた。落ち着いた雰囲気の、整った部屋だった。思わず、初めてアレクシスの執務室に入ったときのことを思い出す。
日が部屋いっぱいに入っているが、眩しくなくて。
優しい風が吹いてカーテンが揺れている。気持ちが良い。
家具はアンティーク調の本棚、机、テーブルと椅子、寝台、飾り棚。
机にはエレノアが屋敷に置いていた図鑑がおいてある。
エレノアは静かに部屋を見回す。客間ではなくて、"これから帰ってくる場所"だった。
窓辺に置かれた心地よさそうな椅子。
読みかけの本を置けそうなサイドテーブル。花を飾れそうな棚。
「祖母が使っていた部屋だったみたいです」
アレクシスは懐かしそうに言う。
「祖母は、形式ばった人ではなかったので。もしエレノアがここを使ったら、きっと喜ぶ気がしたんです」
——おばあ様の……。
エレノアは温かい気持ちで、部屋を見回す。
「手は入れていますが。これから、あなたが使いやすいように変えてください」
その顔が、本当に自分を迎え入れてくれているんだとわかって、さらに胸が熱くなる。
奥は、客間のように洗面台や風呂場があり、使いやすそうだ。
「とても気に入りました。ありがとうございます。」
エレノアはお礼を言いながら、ふと、部屋の隅にある「もう一つのドア」に気づく。入り口の重厚な扉とは異なる、壁と同化するような簡易的な、隠し扉のような見た目のドアだ。
「あのドアの先は何に繋がっているのですか?」
エレノアが首をかしげて近づこうとすると、「あ、あー……そこは、その……」とアレクシスがあからさまに言い淀む。 そして意を決したように、彼はその細いドアのノブを回して開け放つ。
隙間から見えた景色に、エレノアは「……!」と息を呑んで彼を振り返った。 その先に見えたのは、見覚えのある――アレクシスの、あの広い寝室だった。
彼の耳が赤い。
「これで……いつでも、夜中でも、あなたが僕を必要とした瞬間に、すぐに会えます」
アレクシスは赤くなった顔を隠すように拳で口元を覆い、けれどその青い瞳だけは、 じりじりと熱を帯びていた。
「一応、表向きの社交としては『僕とあなたは別室』という体裁ですが……。この内扉には、あえて鍵をつけていません。つまり……その、実質的には、僕たちの部屋は一つ、ということです」
(それって、つまり…いつでも一緒ってことか)
「嫌ならもちろん、鍵を…」
「そんなわけないでしょ」
エレノアは、口元を覆う彼の手をはがし、手袋の上からその唇をなぞった。じわ、と彼の瞳がまた熱を帯びて、体温が上がっているのが伝わる。きっと同じことを思い出しているのだ。
ノアの装備が入ったトランクを、エレノアはクローゼットへ移動させる。エレノアはドレスも最低限しか持っていない。社交界に大々的に参加するタイプではないし、『無名の夜会』では燕尾服を使っている。
そのため、大きなクローゼットは驚くほどスカスカだった。それを見たフィオナが「こんなに広いクローゼットなのに、もったいないですー!これからたくさんお仕立てしましょうね!」と、使命感に燃えて震えていた。
****
「本当にこれだけですか……?」と、ドレスの少なさに驚いていたアレクシスの顔を思い出して、エレノアは心の中で苦笑する。
今後は彼と一緒に社交場へ出る機会も増える。 今回、ユノとフィオナの二人についてきてもらったのは、ドレスへの興味が薄い自分に代わって似合うものを提案してほしいというお願いからだった。
今までは母に連れられて、母や仕立屋の言う通りのドレスを着てきた。
流行に詳しいフィオナ、エレノアの魅力をわかってくれるユノに相談すれば、似合うものを作れるのではと思ったのだった。
予約した仕立て屋で、エレノアの服の採寸をする。
「肩は繊細なのに、お胸はしっかりあって。腰のラインが綺麗でいらっしゃいますね」
「ドレープが映えますね、仕立てるのが待ちきれません」
仕立屋はほれぼれした顔で、慣れた手つきでメジャーをあてていく。
ユノが「そうでしょうとも!」と鼻高々だ。コルセットは変わらずに苦しいけれど、ユノとフィオナに見てもらう仕立ては楽しくて。
「お嬢様、これ似合いそうです」
「今、王都ではこの色が流行色ですよ!かわいー!!」
二人はキャッキャとドレスを一緒に見てくれる。
レースが使われているドレスを見つけると、エレノアは微笑む。
——これリィ好きそうだな。
いくつか注文して、次はティサロンへと向かう。
その道中のお店についてフィオナがたくさん教えてくれる。
「ここの香水、恋が叶うって噂で!」
「ここのマカロンがほんとうにおいしくて!」
「いや、ここは人気ですけど、私は否定派ですッ。高いだけです…!」
本当に詳しい。
以前、フィオナと来ようとユノと話していた焼き栗の路面店が、季節が変わり、ピクルス店に変わっていたのにはエレノアも笑った。
栗の代わりに、ピクルスをかじる3人。
「え-ん!焼き栗食べたかった~!」
パリポリと良い音をさせながら残念がるフィオナ。
笑ってしまう。
「でも酸っぱくて、美味しいわ」
二人と過ごす時間は楽しくて、最初にあの屋敷に住み始めた時のことが嘘のようだった。
自分の部屋と彼の部屋を繋ぐ、あの鍵のない隠し扉。 表向きは別室ということになっているけれど、夜になれば当然のようにその扉が開かれ、結局毎日彼の寝台で寄り添って眠っている。
「二人とも、また付き合ってね」
エレノアが言うと「はい!」と二人とも笑った。
その時....
ふと視線を感じる。
振り向くと、人影が見えた気がしたが、すぐに消える。
気のせい、と思おうとしたけれど。ピクルスをかじる自分の指先が、ほんの少しだけ冷たくなっている気がした。
腕利きの護衛たちが周囲を固めているはずなのに。 それでも肌を撫でていくその視線は、仕掛けられた見えない網のように、気味が悪かった。
本日もお読みいただきありがとうございました!
更新が遅くなり申し訳ございません。
次回はエレノアとアレクシスの交流のお話です。
9/27(日)公開予定です。




