第59話 決められない公爵令息
馬車の中、二人寄り添って隣に座る。
アレクシスの多忙と、倒れたことで、婚礼は予定よりさらに半年伸びた。
「本当にすみません」としょげるアレクシスに「気にしてません」とさらっとエレノアは答える。
式の時期が伸びたことは、本当に、気にしていなかった。
結婚が半年伸びようと、式の規模が変わろうと——そういったことへの実感が、もともとうまく湧かない。
指輪を贈られる日が来ても、きっと自分はふうん、と思うだけだろうと思っていた。それが、この日まで変わらなかった。
めまぐるしい日々のなかで、今日だけはアレクシスが車内で書類を確認しなくても良い、二人だけの贅沢な時間だった。
「そういえば…」
窓外を流れる景色を眺めながら、アレクシスがふと愛おしげにつぶやいた。
「初めて、僕たちが顔合わせしたのも、去年のこの時期でしたね」
エレノアは去年の自分に思いを馳せる。
言われてみれば、もう一年が経つのかと驚く。時の流れはあまりにも早い。
「まさかこんな風に、あなたと愛し合えるようになるとは、思ってなかった」
澄んだ青い瞳が優しく細められる。
——私は、あなたがそんな風に微笑んでくれる人だなんて、知らなかった。
そう思ったが、心にしまっておく。代わりに、「私もです」と心からそう言った。
到着した宝石店は、地下へと階段を下りていく風変わりな仕様だった。
宝石店に来るのはエレノアは初めてだ。アレクシスにエスコートされて店内に入ると、そこは外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
店は暗くて、視界がチカチカしている。
慣れると、テーブルと、少しの明かりのみがある、簡素な店内だった。
「こんにちは。予約しているヴァルトハイムだが」とアレクシスが声をかけると、奥から眼鏡をかけた物腰の柔らかい若い男性が現れた。その手には、黒いベルベットのトレーが恭しく抱えられている。
「アレクシス様、エレノア様、お待ちしておりました。この店のオーナー、オリヴィエと申します。この度はご婚約、心よりお祝い申し上げます」
テーブルに案内され、二人で座る。
「父が、エレノア様のご両親のご婚約のときに、担当させていただいたようです。この度は僕も、エレノア様のご婚約に携わらせていただき、光栄です」
「そうでしたか…」
では早速。とオリヴィエがリングを紹介してくれる。
「では早速、今流行のデザインや、私どもが自信を持ってお勧めするルース(裸石)をご紹介いたします 」
オリヴィエが布を払うと、トレーの上で大粒の宝石たちが息を呑むような煌めきを放った。 赤や青、透明、モヤの柄があるもの…いろいろなのがある。
リングも様々なデザインがあり、オーダーメイドで組み合わせてくれるのだという。
「こちらは伝統的なデザインになりますね」
アレクシスは真剣な顔でリングや宝石を受け取り、エレノアの指にそっと当てる。
「……いや」
即座に首を振る。
「もっと指が綺麗に見えるはずだ」
「十分綺麗ですよ?」
「違う。あなたの指はこんなものじゃない」
「えぇ……」
二人の会話を聞きながら、オリヴィエはにこやかにうなずく。
では、こちらは?どれがお好みですか?とオリヴィエがさまざまな違うパターンを見せる。
エレノアはどんなデザインがあるのかを把握するだけで精一杯だ。
——好みか…。
(どれが自分は好き?)
エレノアは問いかける。
すると、アレクシスが、エレノアの手を優しくつかみ、指輪をつけ始めた。
——何なに!?
突如訪れる、彼が真剣な顔で、指輪をはめる図。
ドキッとしたエレノアにも気づかず、手元をじっと見て、独り言を言っている。
「これは、ノアに似合う」
アレクシスが黒いベルベットの上のリングを見つめる。
「……でも」
今度は別のリングを見る。
「こちらは、あなたがウエディングドレスを着た時の手に似合う」
エレノアは目を瞬かせ、口角が思わずあがってしまう。彼の頭の中には、もうドレスを着た私がいる。それがなんだか、異常にうれしい。
アレクシスは苦しそうに眉を寄せる。
「どれも似合うが…どれがいいか…」
真顔にため息をつく姿に、エレノアは吹き出すのを我慢する。私より真剣に選んでる。
「オリヴィエさん」とアレクシスは言う。
「ティーカップをお借りすることはできますか?」
「「ティーカップ?」」
エレノアとオリヴィエの声が重なる。
お茶ならお持ちしますが…と言うと、ではお願いします。と言う。
——何をする気?喉が乾いていたのかな?
オリヴィエが、二人分の紅茶を持ってきてくれた。「いただきます…」と言って、カップをつかんだ手を、アレクシスが凝視する。
「ティーカップを持つ手に合うのはこれ」
ブフ!盛大に紅茶を吹き出すエレノア。もう我慢できなかった。
「もうアレクシス様、選び方がおもしろすぎて…!」
オリヴィエも顔をそむけて笑っている。
「いや、真剣ですよ。こっちは」とアレクシスはあくまで真顔だ。
「ヴァルトハイムの名にかけて、あなたの美しい指に合う最高の指輪をプレゼントしたい。手袋をしていない白い指に合うものもいいが、つける場面を考えれば手袋ごしや茶会になることが多い。そうなるとあなたの美しさに映えるものがいいと考えるのは当然じゃないか。エレノアの今の髪色に合わせるのも素敵だが、燕尾服に合うのもいい」
オリヴィエは脱帽したのかぽかんとしている。エレノアはくつくつと笑う。
「私のためにいっぱい考えてくださって…ありがとうございます、アレクシス様」
アレクシスは、は!と耳を赤くしながら我に返り、「…当然です」と下を向きながら指輪を手に取る。
しかし、とこちらへ向き直る。
「エレノアはどんなのがいいですか?あなたの好みが一番です」
アレクシスが言う。オリヴィエもうん、とたたずまいを直し、エレノアに向き合う。
エレノアはずらりと並んだ輝きの真ん中で、ゆっくりと思考を巡らせた。
――ここに来るまでは、特になにも欲しいもののイメージができてなかった。むしろ何か申し訳ないな、みたいな気持ちだった。
指輪を贈ってもらうことの意味も、あまりわかっていなかった。
でも、彼が。私の指を大切そうに包み、私のこれからの人生のすべての瞬間を美しく彩ろうと、必死に指輪をはめてくれた。 それが、素直に、泣きそうになるほど嬉しかった。
結婚するんだって、実感が湧いてきて。
彼と幸せになりたいと思った。
そして、そんな彼を見ていて、ぐっときたものがあった。
「ダイヤと、これです」
すらりとした細身のなめらかに湾曲したリングだった。
「これを、アレクシス様に、私の指にはめていただきたいと思えました」
落ち着いた、本心からのエレノアの低い声。はちみつ色の瞳が、甘くアレクシスをとらえる。
「これは、あなたが見つけてくれた、私らしい色の宝石だと感じました」
アレクシスは一瞬、弾かれたように驚いた顔をした後、ゆっくりと、世界中の光を集めたかのように本当に嬉しそうに微笑んだ。
「決まりましたね」
オリヴィエも、二人の幸せを祝福するように微笑む。
幸せな余韻に包まれながら店を出た、その時だった。
エレノアはふと、賑わう通りの向こう側に、奇妙に佇む一台の馬車が停まっているのに気づいた。その車体に刻まれた不穏な紋章。 しかし彼女が焦点を合わせようとした瞬間、馬車は雑踏の向こうへ滑るように走り去り、一瞬で視界から消えた。
気のせい、だろうか。 朝、父から不穏な話を聞いたから…。
胸をよぎった微かな違和感を振り払うように、エレノアは隣で微笑む婚約者の腕に、そっと身を寄せた。
本日もお読みいただきありがとうございました!
次回は少し時系列をさかのぼった、引っ越しのお話です。
9/21(月)予定です。




